第36話



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早足で横浜山手洋館地域のある高台から降りて、人でごった返す横浜中華街の中に入り込む。


朱音と女子高生の絵里と真央は歩きながら互いに自己紹介をし、早足でスマートフォンの地図を見ながら歩く絵里達の後ろで、歩くのが速いです、そもそも歩きスマホはいけません、という言葉を朱音は心の中で繰り返しながらついていった。


平日でも混んでいる中華街だが、土曜ともなるとその混み方もすさまじい。


カラフルな看板、店の前で売っている肉まんなどの良い香りが漂い、カタコトで中華料理店の呼び込みをする人を傍目に見ながら、朱音は今自分がどこにいるのかさっぱりわからなかった。


元々ほとんど中華街に行ったことの無かった朱音には、どの路地も同じように見えて、慣れたように進む女子高生達に必死についていくしか無い。


やっと絵里と真央が立ち止まり、スマートフォンの地図を確認しビルを見上げる。


騒がしいエリアから少し離れているようだが、ビルが密集しているところで薄暗い階段が奥に見え、一階の店舗らしきところはシャッターが降り、スプレーで落書きがされている。


朱音が周囲を見ればそんなにあの賑やかな場所から離れていないのに、会社も多いのか閉じている店が多く、人気もほとんど無い。



「ここの二階みたい」



絵里がそういうと、真央が、うん、と頷いた。



「あと5分!急いで上がるよ!」



突然ダッシュしてビルに入っていった二人を見て、朱音は鞄に入れていたスマートフォンを確認するが何も連絡は無い。


時間的にも冬真は占いをしているところだろう。


朱音はこのスリリングな状況に、自分が楽しんでしまっているのを感じながら二人の後を追って階段を上がった。




二階の薄暗いフロアにはドアが二つだけ。


細長い廊下の突き当たりのドアが開いて、絵里が朱音に向かって手招きした。


中は土足で入られるようカーペットが敷いてあり、入った途端何かお香のようなものが部屋に充満していて、その部屋はすぐ入った場所にパイプ椅子が数個壁に沿って配置され、そしてその部屋の奥にまたドアがあった。


置物も何も無く、窓には外の光が入らないようにか板で目張りした上に紺色のカーテンで隠され、ろうそく台のようなランプがいくつかあるものの部屋の中は思ったより暗い。


絵里と真央の横に笑顔の女性が一人いて、絵里は困惑したような顔をして朱音を見た。



「お姉さんが先なんですって」



「えっ?」



「はい。まずは確認を兼ねてご紹介の方を先に先生に視て頂いています」



真っ白な顔に真っ赤な口紅をしている黒髪ショートヘアの若い女が朱音に笑みを浮かべながら説明した。


朱音は最初購入しないつもりだったが、考えてみれば持ち帰った方が冬真に一番良いはずだ。


なんとなく、よく頑張りました、と冬真が褒めてくれそうで朱音は何としてでも手に入れて持ち帰ろうと決めた。



「私が買った後に、この学生さん達は確実に買えるんですよね?それも半額で」



朱音が奥の部屋に案内しようとした女にそう確認すると、もちろんです、と笑みを返してきた。


振り返ると、二人が入り口近くのパイプ椅子に座らず立ったまま不安そうに朱音を見ている。



「ちょっと待っててね」



朱音の言葉に二人はホッとしたような顔をして朱音は笑顔を浮かべると、女がドアを開け、その中に朱音は足を踏み入れた。



何重にも天井から透明なシフォン生地のようなものがかけられ、それを手で横に寄せながら奥に進めば、いかにも占いである小さなテーブルとその奥に女が一人座っていた。


真後ろの壁には曼荼羅のような大きなタペストリー、目の前の女はウェーブがかかった茶色い髪が肩上くらいでハイネックの服に大きな紫色の石のついたネックレス、両腕に沢山の石のついたブレスレットをつけ、頬にはそばかす、人の良さそうな笑みを浮かべていた。



「どうぞ」



突っ立っていた朱音に女は笑みを浮かべて目の前の席を勧め、朱音は慌ててその椅子に座る。



「私は少々霊感が強くて、学生さんの恋のサポートになればと私の力を込めた特別なインカローズのブレスレットをお渡ししているんです。


思ったより力を使って疲れてしまうので、数も作れないし時々しか出来ないので学生さん達にはお待たせして申し訳ないのですが」



困ったように笑うその女を見て、朱音は何も悪い印象を抱かなかった。



「それが段々人気が出てきて、大人にも売って欲しいという話しが出まして。


元々は学生さん達の為でしたし、なら今回お試しでとこんなことをやってみたんです。


朱音さんはインカローズのブレスレットをお求めと言うことで良いんですよね?」



「あ、はい」



ごく自然に名前を呼ばれて朱音は不思議に思ったが、絵里達が先に話したのだろうとそこまで気にならなかった。



「では、両手の手のひらを上にして机において下さい」



朱音がそっと手を机に置けば、その上に重ねるように女が両手を置いて目を瞑った。


ジャラっと両手のブレスレットの石がぶつかる音がする。



「好きな人は・・・・・・外国のモデルでしょうか。


品もあって背も高い、なんとも美しい男性ですね」



朱音は思わずびくっと身体が揺れる。



「随分と難しい相手を好きになってしまったんですね、でも大丈夫。


朱音さんの恋が叶うようインカローズを調整しましょう」



ゆっくりとひんやりした手が離され、朱音は机に手をのせたままどくどくと心臓が音を立てている。


もしかしてこのインカローズのブレスレットをつければ、あの冬真も自分を子供のように扱わず、少しは違うように見てくれるのだろうか。


ずっと世話になりっぱなしで、ずっと子供のように守られて。


私なんかが冬真さんには似合わない、なんて思っているくせに、少しくらい女性と思って欲しい、あの美しいラブラドライトのような瞳に自分だけを映してもらう瞬間が欲しいと心の隅でずっと思っていたことを見破られた、そして自覚してしまった事に朱音はどうしていいのかわからなくなりそうだった。



「朱音さん」



女の呼びかけに朱音は俯いていた顔を勢いよく上げれば、目の前の机には何故か、冬子として出会った時に見かけたあの部屋にあった同じハーバリウムが置いてあった。


もしかして占い師の中で流行しているのだろうか。


洋館に住むようになってたまたまあの仕事部屋に入ったときには、このハーバリウムは無くなっていた。


冬真にその事を聞くと、ヒビが入ってしまって危ないので処分したと聞かされ、とても残念な気持ちになった。



「この中にあるものの色を教えて下さい」



女は屈託無い笑みで朱音に問いかけた。


朱音はじっとそのハーバリウムを見る。


中に入っているものも色もあの仕事部屋で見たものと全く同じ。


後でこれがどこに売っているのか教えてもらおう。


朱音はそう思いつつ声を出す。



「青い薔薇と、スワロフスキーのようなキラキラした石が入っています」



「石の色を教えて下さい」



「赤と、紫、うーん、これは虹っぽいような色です」



「・・・・・・Excellent」



突然、その女の口が動き、低い男の声がした。


朱音は英語で、それも男の声が目の前から聞こえたことに戸惑いじっと女を見つめるが、女は何事も無かったように笑みを浮かべた。



「わかりました。ではインカローズにパワーを込めましょう」



女は横に置いてあった引き出しから何かを取り出し机に置くと、それはインカローズのブレスレットだった。


大きめの、まるで血を薄めたような赤の石が一つあり、それ以外は水晶らしき透明の石が囲んでいる。


女は自分の手のひらにそれを乗せ、両手で挟むと目を瞑る。


ぶつぶつ何か言っているようだが、朱音は足下に置いた鞄から何か点滅してる光があることに気が付いた。


もしかしたら冬真からかもしれない。


朱音はそっと上半身を曲げ、鞄の中に手を伸ばそうとした。



「調整が終わりました」



女の声に慌てて朱音は身体を起こすと、



「では右手を机に置いて下さい」



朱音は言われたとおりに手を置き、女はブレスレットのゴムを伸ばし朱音の手を通らせていたら朱音の指にそのブレスレットが当たり、その瞬間、ブレスレットが弾けるように四方に飛び散った。


カツン、カツン、と床に石達がぶつかっている音が静かな部屋に響き、朱音は驚いて椅子から降りると散らばった石を一粒一粒拾い上げる。


自分の足下にインカローズが一粒落ちていたことに気が付き、朱音がそれに触れた途端、その石が砕け散った。


朱音はまさか石自体が砕け散るとは思わず、触れた石が割れたことを女に謝罪しようとしたが、さっきまで座っていた女が俯いたまま揺らりと立ち上がる。



「あの」



「The worst」



低い男の声が目の前から聞こえ、朱音には英語のようだというだけでなんと言ったかはわからないが、さっきの声が聞き間違いでは無かったと確信した。


俯いていた女が顔を上げ、朱音を見る。


さっきまでの笑みは無く無表情で口を動かした。



「英語が通じないのか。


これならわかるだろう?私の言葉が」



女の口から聞こえてきたのは男の声だった。




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