第15話
朱音が了承したので冬真はスタッフに確認し冬真の控え室がまだしばらくは利用できるとのことで、その小さな部屋で四人座れるテーブルに冬真と朱音が並び、冬真の前の席に女が座った。
「私は加藤理恵子と言います。
声楽家で今日の午前の部で歌を披露しました。
今日のパンフレットに吉野さんの名前があり、スタッフの方々がこぞってあなたに会うのを楽しみにしているようなので、こちらに来るのを待ち伏せして吉野さんを直に確認して、それで確信したんです、この人だと」
待ち伏せした上で確信するとか何だかおかしな話しに思えて朱音は冬真を見るが、冬真は特に笑みを浮かべることも無く話を聞いている。
「なので、吉野さんが美しいと思う宝石でネックレスを作って欲しいんです」
「・・・・・・美しいと思うかは人それぞれであって、僕が思うものはおそらく加藤さんが好む物では無いでしょう。
ご自分で宝石店に出向いて、自らの目で見ることをお勧めします」
穏やかに冬真が話すと、理恵子は不満そうな表情を隠さない。
「私はあまり宝石に詳しくないんです。
ですから吉野さんのようなプロに聞いてるんじゃないですか」
これは非常に失礼な発言だった。
プロに聞くならば無料であるべきではない。
もしもこれが宝石店でなら、販売することにつながるためそれなりに宝石について話すこともあるだろう。
だが冬真は最初から販売することは無いと言っている。
話しだけ聞くと言った冬真の善意に甘え、冬真の知識を無料で引き渡せというのは、農家が丹精込めて作った野菜をただでくれ、と言っているようなものだ。
知識や技術というものは目に見えない物だが、いまそれを簡単になしえたりするためには、膨大な費用や時間、努力が隠れている。
ただでさえ理恵子は声楽のプロであるならそこに気づく必要があったのだが、なかなか自分が頼む側だとこういう風になりがちとはいえ、それに気づく余裕が理恵子には無かった。
冬真はかなり冷静では無い理恵子を前にし、違和感がより膨らむ。
「何故そんなに美しい宝石に執着されるんですか?
何か、理由があるんですよね?」
冬真の問いに、理恵子は顔を強ばらせる。
当たりだ、何か隠しておきたい理由があるのだろう。
「・・・・・・ただ、美しい宝石が欲しいだけで」
「どなたかが持つ宝石にでも、触発されましたか?」
理恵子ははっとした。
美しい宝石のようなグレーの瞳が自分の心の中を覗いている気がして背筋がぞっとする。
相談する相手を間違えた、そんなことを思ったが既に遅い。
相手は笑みを浮かべているが、その笑みがどこにも逃げ場が無いのだとあざ笑っているようにすら感じ、唇が震えそうになる。
「・・・・・・あの女の宝石が」
しばらく理恵子は俯いて黙っていたが、俯いたままやっと聞こえた声は小さく震えている。
「あの女がしていた宝石より、上の宝石が欲しいの!」
絞り出すように理恵子は顔を上げ声を出した。
「本当は私が主役で決定していたのに、次のあわせで突然あの女に主役が変わったのよ!
久しぶりの大きな舞台だったのに、演出家に理由を聞いても答えてくれない。
あの女が突然上手かったわけでも、私がその日調子が悪かったわけでも無い。
納得できずにしばらく経った頃、あの女が自慢げに仲間に話しているのを聞いてしまったの、その日していたペンダントが幸運を呼ぶ素晴らしい物だったのだと。
確かにあの日あの女は大きな宝石のついたネックレスをしていて、皆とても注目していた。
私も純粋に凄いと思ったわ。
でもたかが宝石でと思っていたけど、またしばらくして演出家達が話していたの、あの宝石がとても素晴らしくそれをしている彼女が主役のイメージに合うと思って選んだのだと」
最初は勢いよく話していた理恵子だったが、段々と力尽きるようにまた俯いてしまった。
ただ冬真は聞いているだけで、理恵子が話した後も何も言わない。
朱音はどうして良いのかわからずちらりと冬真を見れば、それに気が付いた冬真は心配させないように優しげな表情をして、朱音はほっとする。
「その宝石、見てみたいので写真をお持ちではありませんか?
例えば集合写真を撮ったとき彼女がしていたとか」
理恵子はそれを聞いてスマートフォンを出すと、画像を確認しているようだった。
「あ、あったわ」
「見せて下さい」
スマートフォンを理恵子から受け取ると、冬真はどこかの稽古場で集まっている女性数名の写真を指で拡大する。
「この人のしているネックレスですね?」
「そう。よくわかったわね」
十名近くいる女性はほとんどがネックレスをして大きな石のものをつけている人達も何人かいたのに、冬真はすぐにその相手をすぐに見つけ、しばらく画像を見ていた。
「彼女はこの宝石をどうやって手に入れたと言ってましたか?」
「確か親戚が舞台が成功するお守りとしてつけて行きなさいと言われて借りたとか言ってたかしら」
「なるほど」
「ねぇ、あなたさっきから色々わかったような顔してるわよね?」
「はは、まさか」
理恵子は苛立ったように言ったのに、冬真はいったん顔を上げ笑顔を見せるとまたスマートフォンに視線を落とした。
トントン、とノックする音で朱音が席を立ちドアを開けると、女性スタッフが申し訳なさそうな表情で立っていた。
「すみません、もう閉館準備に入るとのことで」
「わかりました、すぐに出ます」
冬真が笑顔で答えスタッフが顔を赤らめながらドアを閉めると、理恵子は早く進めて欲しそうな顔をしている。
「時間になってしまいました。
少しの時間話しを聞くだけ、ということをお話しして承知されましたのでキリが良いですしここで終了にしましょう」
「そんな!ちゃんと最後まで対応してくれないと!」
「無料なのに僕はまだ貴女に対応するのですか?」
理恵子が冬真のその言葉にひるむ。
冬真は笑みを浮かべているが、静かに怒っているような気がして朱音は冷や汗が出そうだ。
唇を噛みしめている理恵子に、
「そうですね。
僕の仕事の一つにジュエリーアドバイスというのがありまして、お客様からこういう洋服にどういった宝石が似合うのかというような疑問にお答えしているものなのですが、そちらでよろしければお受けしますよ?
費用は三十分につき七千円税抜きです」
そう声をかけた。
あの写真から気になることはあったが、今ある情報だけでもたどることは可能。
それにジュエリーアドバイスなどというものは実際はやっていないのだが、彼女の真意を見極めるためにも、そしてハードルをあげておいてそれでも来るのか確認するためにも冬真はそういう提案をあえてしてみた。
理恵子は何だか悔しそうに考えているようだったが、それでお願いするわ、と言うと冬真は名刺を渡し、まだ気持ちが変わらないようなら連絡を下さいと言って冬真と朱音は理恵子と別れた。
冬真と朱音はイギリス館を出て、夕方の横浜元町の歩道を並んで歩く。
アレクの運転する車に二人で乗ったことはあったが、二人だけで歩くのは初めてだと朱音は思いつつも、やはり冬真の理恵子に対する態度の違和感に戸惑っていた。
「嫌な男だと思ったでしょう?」
唐突に横を歩く冬真に苦笑いで言われ、朱音は慌てて否定する。
だがそんな風に取り繕っても冬真の目は優しい。
「何か、理由があったんですよね?」
朱音が確信めいた声で聞くと、笑って冬真は前を向く。
「彼女は魔に捕らわれていました」
唐突な言葉だが魔術師としての話だと思い、朱音は冬真の横顔を見る。
夕方だがまだ観光客らしき人はそれなりに歩いて、朱音の歩く歩道の前後には人がいないが、聞かれたりしていないのか心配になって周囲をキョロキョロとすれば、
「大丈夫ですよ」
冬真が笑ってフォローするので、また考えていることが見抜かれたと朱音の気持ちは複雑になる。
「彼女の主役を奪った女性のネックレスについていた宝石はおそらく魔術用のジェムです」
「えっ?!」
「彼女はそのジェムに酷く影響されてしまっているんですよ、冷静さを失うほどに。
役を奪われる、そんなことは音楽でも役者でも日常茶飯事で、能力だけではのし上がれないことくらい皆わかっていることです。
だけど彼女はあの宝石が原因なのだとわかった。
そこまでは良いとして、彼女はそれに勝る宝石をと異様なほど固執している。
おそらく冷静な彼女ならわかるはずです、たかが宝石一つで彼女に勝てるようになるなんてことは無い、と」
その声は静かで、夕方の静かなこの街に溶け込むように違和感が無い。
「さっきあんな態度を取っていたのって、どこまで彼女が冷静なのか確認するためですか?
気持ちが変わらないなら連絡を、なんて言ったのも?」
どうしても冬真が意味も無く人に冷たい態度を取るのことが信じられない。
まだあの洋館に住みだしてそんなには経っていないが、冬真は朱音が見る限り老若男女関係なく丁寧な対応をしていた。
考えてみれば今回も最初から断れば良いのに、条件付きとはいえ冬真は理恵子の話しに付き合った。
冬真には考えがあってわざとあんな態度を取った、朱音はそう思い前を向いたままの冬真をじっと見ていると、視線だけ朱音に向けてくすり、と笑う。
「いえいえ、僕は結構酷い男なんです」
何故か胸を張って言った冬真を見て、あまりのわざとらしさに朱音は笑いがこみ上げた。
「嘘ばっかり」
くすくすと朱音は思わず笑ってしまう。
「朱音さんは可愛いですね」
突然の言葉に一瞬ぽかんとしたが、笑っている冬真を見てただ複雑さが増すだけだ。
「絶対私のこと子供扱いしてますよね?」
「とんでもない、先日お刺身に間違ってわさびをつけたのに、気づかれないよう頑張って食べていましたし。涙目でしたけど」
「どういうところ見てるんですか!!」
横でしきりに怒っている朱音を見ながら、冬真は口元に笑みを浮かべる。
「疲れたでしょう?
アレクが手作りプリンを作っているそうなので晩ご飯前ですけど食べちゃいましょう、特別に」
「やっぱり子供扱いしてる」
プリンという単語に嬉しそうな顔をしたのに、今度は不満そうな顔で見上げた彼女に笑みを浮かべると、口をへの字にしている朱音を見て今度は冬真が吹き出した。
洋館まであと数分。
二人で笑い合いながらもう少し散歩したいという気持ちが沸いてくるけれど、朱音にはその感情が何を示しているのかはわからなかった。
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