イァリスは殺人を知らない

赤崎拓郎

紫陽花

 死者の遺伝子を紫陽花あじさいの花弁に保存する。

 そんな事を考えついたインド人はきっと、この世界ってやつがあまり好きではなかったんだろう。

 二○四五年、冬。通いなれた寺の境内を歩きながら、僕はそんな事を考えている。 

 右手には「久世くぜ家」と掠れた墨で書きこまれた手桶をぶら下げ、左手にはビニール傘を差している。買ったばかりのビニール傘は、汚れるのを待っているかのような純白をしている。雨で濡れた石の階段を踏みしめるたび、蛙を潰したような音が鳴った。主人を失った蜘蛛の巣をよけて進み、母の墓の前に到着する。そこに墓石はない。


 一輪の紫陽花だけが僕を待っていた。冬に咲く、紫陽花だ。


 今から二十五年前、つまり、僕が生まれ、東京でオリンピックが開催され、日本中でテロリズムが吹き荒れた年、遥か遠く、インド中南部テランガーナ州ハイデラバードで一つの技術が生まれた。

 死んだ人間の遺伝子を、死体の骨髄液から抽出し、特殊なアルゴリズムに則って組み替える。それを菩提樹の木の遺伝子と配合することで、新たな遺伝子を持った菩提樹を生み出す。

 死者の遺伝子を内側に受け継いだ菩提樹は、墓石の代わりに土に植えられ、成長していく。樹木を一つの「生きた墓標」とする、この革命的な技術はしかし、多くの国では無視されるか、あるいは強い反発を受けた。致命的なほどに激烈な反発だ。

 例えば、中東のある国では、人間と樹木の遺伝子を掛け合わせることは、創造主たる神への冒涜であると受け止められ、販売担当者は職場の地下駐車場で襲われ、尖った貝殻で肉を抉られ、嬲り殺しにされた。

 

 しかし日本では、この「技術」は僅かな調整を施す事で、奇妙なほどすんなりと「文化」として浸透していった。遺伝子を配合させる植物を変えたのだ。菩提樹から、紫陽花に。

 不思議な事に、人間の遺伝子と掛け合わせることで紫陽花の花弁の色は様々に変化した。科学的な裏付けは何もないが、花弁の色は、掛け合わされた人間の性格を反映すると信じられている。情熱的な人間の紫陽花は赤色に、陽気な人間は黄色、物静かな人間は淡い青色に、といった具合に。


 僕の母の墓標もまた、紫陽花だ。その花弁の色は、僕が左手で差しているビニール傘と同じくらい真っ白だった。そこからは、彼女の、どのような感情も透けてはこなかった。優しさも、愛情も、あるいは憎しみさえも。

 傘を閉じて、墓の前に身体をかがめると、冷たい冬の雨が頬や額で弾けた。雪になりそこねた、死にかけの水滴だ。薄い膜のように降りしきる雨は、僕と世界との通信を遮断するかのようだった。ネットワークから切り離され打ち捨てられるスマートフォンみたいに淋しい気分になる。革靴とロングコート越しに、寒気が心臓まで染み込んでいく。

 こんなところに長居は無用だった。

 手桶から汲んだ水を、紫陽花の下の黒土に流しかける。手桶の中が空になるまで、何度も何度も。僕の足元で紫陽花が溺れている。そもそも雨が降っているのだから無意味な行為だ。だけど、そんなのは知ったことじゃない。これは、僕が仕事の前に必ず行うと決めている、一種の儀式みたいなものだ。


 人殺しには人殺しの、ジンクスがある。

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