第一話 凶弾

 ――東京――


 賃貸マンションの一室。

 女はカーテンを開け朝の日差しを浴びる。


 女性にしては大きな体。

 その背中に届くほどのやや青みがかった黒い長髪を

 女はサッと結ぶと荷物を整理し玄関へ向かう。


「行ってきます。お母さん。」


 誰もいない部屋に別れを済ますと

 女は今日も職場へと向かう。


 女の名前は朝霧桃香あさぎりもか

 警視庁刑事部捜査一課、巡査部長。

 即ち……現役の警察官である。



 ――東京都・警視庁――


「うーす、おはようございまーす。」


 捜査一課のオフィスで男が声を発する。

 倦怠感にまみれた、酷くネガティブな声だ。

 そんな彼に中年男性が話掛けてきた。


「おはよう、。」


「あ……どうもです、警部。

 いやー今日も俺の体が重いっすね。」


「知らんわ!

 今日も寒いっすね、みたいに言うな!」


 中林の態度に警部と呼ばれた中年は呆れた。

 するとそこへ、元気の良い女の声が響く。

 オフィスに乗り込んだのは朝霧だった。


「おはようございます! 警部!」


「うん、おはよう朝霧君!

 いいじゃないか。今日も元気だねぇ。」


 中林と対象的な朝霧を見て、

 警部はしみじみと漏らすように呟いた。


「ほら中林! アレだぞアレ!

 警察官たるもの……常に朗らかで無くては!」


 からかわれた中林は警部たちから目を逸らした。

 朝霧に挨拶も無しに自身のデスクへと向かう。

 そんな彼を追うように朝霧はまた声を掛ける。


「お、は、よ、う! 中林!」


 まじまじと彼の顔を見つめ詰め寄った。

 対する中林はボサボサの頭を掻きながら返事を返す。


「おはようございます……朝霧さん。」


「ハイ、良く出来ました。

 挨拶くらいちゃんと返してよね?」


「なんすか? 用事終わったんなら――」


「――まだ!

 以前、買い物に付き合う約束したでしょ?

 退職される先輩へのプレゼント用のやつ。

 それで、今度の日曜日って空いてるかなって?」


「あー……その日はあれっすわ。」


「何?」


「風邪を引く予定です。」


 もう!と朝霧は頬を膨らませる。

 心底怒らせてしまったようだが、

 とにかく中林は彼女の撃退に成功した。


 そんな中、警部のデスクで電話が鳴り響く。


 受話器を取った警部の表情が

 見る見るうちに真剣な物になっていく。

 朝霧たちも神妙な面持ちで会話を聞くと、

 事件発生、という単語が聞こえて来た。

 数秒後、警部は部署の面々に指示を飛ばす。


「お前ら聞こえたな?

 おふざけはここまでだ――出動する!」


「了解!」


 部署の人間たちは警部の言葉でまるで

 スイッチが入ったかのように目の色が変わる。

 一番速やかに行動に移ったのは朝霧だった。

 朝霧が部署を後にすると中林が警部に声をかける。


「相変わらず……ですね。朝霧の奴。

 どうしたらあんな仕事熱心になれるんですか?」


 何の気持ちも無い、ただの雑談だった。

 しかし去りゆく彼女の背中を眺めながら

 警部は冷めた口調で答えた。


「……彼女は、父親を探している。」


 予期していなかった回答。

 中林は思わず警部の顔を見返した。


「警察官になったのはそのためだと言っていた。

 なんでも、物心つく前に蒸発したそうだ。」

 

 言葉を失う中林に構わず、警部はさらに続けた。


「育ててくれた母親も高校卒業後に亡くなっているそうだ。

 そして、その母親から聞く限りの人物像では

 蒸発なんかする父親じゃないらしい。」


 警部の話から中林に一つの考えがよぎる。

 家族を置いて消えないような人間の消失。


「じゃあ、つまり――」


「――ああ、朝霧は自分の父親が

 何らかのと踏んでいる。」


「……なぜ、俺に……

 そこまで教えてくれるのですか?」


「あいつ自身、別に隠してはいないらしい。

 それに……お前に言ったのは多分……」



 ――都内・高層マンション――


 朝霧、中林をはじめとする警官数名が

 ある一室を目指して階段を進む。

 警部が一同にささやいた。


「この先の部屋に昨日の強盗殺人犯三名が潜伏している。

 武器の所持も予想できる。

 逃せばこの辺り一帯の住民に危険が及ぶ。

 ――絶対に捕らえるぞ!」


 部屋の前に辿り付くと朝霧がインターホンを鳴らす。

 カメラに仲間が写り込まないよう、

 ドアの真正面に一人で立っている。


「すみませーん。

 このマンションに引っ越してきた者です。

 挨拶に来ましたー。」


 扉が開く。その瞬間――


「突入ッ!!」


 号令と共に朝霧は出てきた男に飛びかかった。

 すると男もナイフを取り出し応戦した。


「流石にッ! 警戒はしてたか!」


 男の腕をつかみ地面に組み伏せる。

 玄関の異常に気づいた残りの仲間は、

 窓から非常階段に飛び移った。


「朝霧! 中林! そのまま追え!

 後の者は出入り口を塞ぐ!」


 警部の指示で二人も非常階段に飛び移る。

 カンカンカンカンと音が逃げる。

 上だ。恐らく隣の建物に飛び移る気なのか、

 犯人二人は屋上を目指す。


 追いかけようとする中林の目にふと、

 異様な体勢の朝霧が映った。

 そしてあの会話の続きを思い出す。


 お前に言ったのは多分……

 お前に見守ってほしいからだな。

 彼女は


「中林、ついてきて――」


 朝霧は瞬きすること無く標的を捉えている。

 逃がさない。鉄格子に手を掛ける。

 逃がさない。体のバネで上に跳ぶ。

 逃がさない。これを高速で繰り返す。


 ダッ! ダッ! ダッ! ダッ!


 獣のように上る姿に犯人の一人は恐怖した。


 捕 ま え た。


 仲間がまた捕らえられたのを見て、

 残りの一人は叫びながらさらに上へ逃げ出す。

 中林が息を切らせながら追いついた。

 間髪入れずに朝霧は怒鳴った。


「手錠貸して! 私がそのまま追いかける!」


 距離的に犯人はもうすぐ屋上に到達するだろう。

 今度も逃がさない。

 すぐさま駆け上がり屋上にたどり着く――


「――なんだよ、てっきり封魔局の追っ手かと。」


 異様な光景が目に映る。

 見知らぬ大男が立っている。

 二、三個ほどのビー玉サイズの光の玉が

 大男の周りを回っている。


 そして、さっきまで追っていたはずの犯人は、

 眉間に穴を空け倒れていた。


 血が流れている。人殺しが行われている。

 目の前の光景に――思考が止まった。


「こっちの女も、殺すか。」


 クイッ


 大男が指を動かす。

 瞬間、光の玉の一個が朝霧を殺しに飛んでくる。


 バシュ


 体に強い衝撃が走る。

 押し倒されたのだろうか。 

 起き上がるとそこには、

 喉を打ち抜かれた中林がいた。


 ゴポッ ヒュー ヒュー


 血と空気が抜ける音しか聞こえない。

 間もなく、中林は死んだ。


 血が流れている。人殺しが行われている。

 目の前の光景に――怒りがこみ上げた。


「貴様ーーーッ!!!!」


 大男に向かい走り出す。


 すかさず大男も指を指す。

 光の玉が一発、朝霧を殺しに飛んでくる。

 屈んだ姿勢だったため当たらない。


 もう一度光の玉を放つ。

 耳元をかすめる。回避した。

 大男がたじろぐ。さらに接近する。


 届く。怒りを込め拳を握る。


 クイッ バシュ


 ――再び指を動かすと、避けたはずの凶弾が、

 背後から朝霧の心臓を貫いた。

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