第3話
ベール・フォン・マスティア。
マスティア王国の第一王女にしてイングヴァルト王立騎士学校の四年生で生徒会長である。平日は騎士学校で生徒としての役目を全うし、座学に関しては全学年で一番の成績を修め、戦闘における実技に関しても学年で上位に食い込む実力を誇る秀才である。
平日の夜は王族としての公務を担い、休日の多くは公務に宛てている。国王や大臣達のように仕事に追われるような量ではないが、いずれ国を担う者としての下積みに励んでいる。
こんな風に忙しい毎日ではあるが、ベールは決して弱音を吐く事をしない。自分が行っている事は王族としての責務であり、自ら望んでいる事だからと、寧ろ楽しそうに頑張っている。
そんな彼女を政務に関わる者達は感心し、彼女の姿を見る国民達も大きな信頼を寄せている。彼女が国王の座を継げば次代でも国は安定し、更なる繁栄も遂げるだろうと誰もが疑わない。
ベール自身も卒業後は騎士団に入団ではなく、完全に王女としての責務に就くつもりだ。学校に通っているのは王家の習わしであり、学校でしか得られない知識や経験、多くの仲間を得る為に通っている。
因みにアナトは習わしのつもりで通っている訳ではなく、純粋に騎士としての力を欲して通っている。
卒業後も王女として内政に集中するつもりはなく、竜騎士となってドラゴンを討伐するつもりである。
さて、そんなベール王女であるが、最近の彼女はとある悩みを抱えている。それはそれは大きな悩みであり、どんな事でも決して弱音を吐かなかった彼女が唯一「泣きそう」と口にするほど、彼女にとって重大な悩みだった。それは王族や貴族に生まれた身としては切っても切れない問題であり、一人の問題として処理出来るようなモノではない事である。
その悩みとは、『政略結婚』である。
王族の結婚相手は、必ず名のある貴族が氏名される。それは王族としての力を高める為だ。
ここで貴族というものが何なのかを説明すると、以前は一国の王族だったのだ。
現在は世界に存在する国はマスティア王国のみではあるが、何百年も昔にマスティア以外の国は解体され、マスティアに吸収されたのだ。理由としてはマスティア以外の国は、ドラゴンとデーマンから齎された被害により国としての体制を保てなくなり、民達を救う為に唯一ドラゴンに対抗出来ていたマスティアの統制下に入ったのだ。
吸収された国の王族は、マスティア王国の貴族としてマスティア家を支えて国の繁栄に貢献している。
そして王族には王族としての力、魔力が備わっている。質の高い魔力を持つ者同士が一緒になれば、生まれてくる子は更に優秀な力を持つようになる。王族はそうやって力を高めていき、ドラゴンと戦って来たのだ。
即ち、ベールも王族としていつかは貴族と結婚する事になる。そのいつかはもうすぐに迫って来ているのだ。
ベールは今年で19歳になる。婚姻は卒業までしないという国王の意向でまだあと二年あるが、そろそろ婚約者が決まる頃合いになってきてしまった。王族としての責務を放棄するつもりは無いのだが、それでもこの政略結婚に関してだけは裸足で逃げ出したいと思っている。
その理由は、再会した幼馴染みであるレギアスにあった。
ベールはレギアスとずっと一緒に居たいと願っている。
しかしそれは許されない願いでもあった。
レギアスは庶民であり、王族であるベールとは身分があまりにも違いすぎる。
それにレギアスはドラゴンと人間のハーフであり、その存在を隠してはいるが、公になってしまえば十中八九世界から弾き出される存在だ。友人としても側に置けなくなってしまうだろう。
そんな事は絶対に許さないと誓っているベールではあるが、王族としての責務を放棄するつもりもない。国とレギアス、どちらとも選べない現状が、ベールを苦しませていた。
「はぁ……」
放課後、ベールは気分転換も兼ねて中庭で授業の課題に手を着けていた。今日は生徒会の仕事も無く、アナトも所用があると言って何処かへと行ってしまった。レギアスをカフェに誘おうと連絡を入れてみるも、用事があると断られてしまった。
政略結婚という現実から目を背けようと、少しでもレギアスと一緒に居たかったベールは悩みを忘れようとして課題に没頭しようとしていた。
しかし課題は捗らず、溜息ばかり吐いてしまう。今すぐに悩みが解決する訳もないので、思考を切り替えたいのだが、どうあってもモヤモヤしてしまう。
「はぁ……レギアスが貴族だったら良かったのに……。お父様も共に旅をした仲間なら、オードルさんに立派な地位を授ければ良いのに……」
膨れっ面で中庭の景色を眺めていると、少し離れた所にレギアスが歩いているのを見付けた。
パァッと明るい表情になり、課題を置いてレギアスの下へと駆け付けようとした。
「レギ――」
しかし、その足はすぐに止まってしまう。
レギアスはベールにではなく、別の場所から現れた女性生徒に向けて手を挙げたのだ。
その女子生徒はベールの目から見ても美少女であり、思春期の男の子なら誰しも虜になってしまうだろう。
そんな美少女と、レギアスが二人っきりで密会している。
その事実が、ベールに世界が滅びる程の衝撃を与えた。
レギアスは彼女と言葉を交わし、そのまま二人で何処かへと歩き去って行く。
「……ん? 姉さん、こんな所で何をしてるんだ?」
所用を終わらせたのか、アナトがベールの後ろから現れてベールの肩を叩いた。
ベールがゆっくりとアナトへと振り向く。
「ヒッ!?」
アナトは恐怖で顔を青くした。
振り向いたベールの目は、暗い。とても暗い。深淵の闇が瞳を埋め尽くしている。
表情が顔から抜け落ち、そこから読み取れる感情は負であると理解できる。
闇に染まった表情で、ベールの口から怨念が呻くような声が発せられ、アナトの両肩を掴む。
「ぁあぁあぁ……!?」
「うわぁぁぁぁあ!?」
アナトの悲鳴が中庭に木霊した。
レギアスはエルドに学校の図書館で初代竜騎士に関する情報の閲覧申請を出した。理由を聞かれた際には正直に全て話しても良いのか迷ったが、エルドの生徒に向ける対応は誠実そのものであり、各仕事は出来ないと全てを話した。
当初、エルドは難色を示したが、レギアスの力を今のまま放っておく訳にもいかず、無茶な真似だけはするなよと念を押して許可を出した。
そして閲覧許可が下りた事をクレイセリアに連絡し、早速放課後に調べる事となった。
中庭で集合し、その足で学校図書館へと向かう。
学校図書館は大きな建物一つを使用した施設であり、何千という本が保管されている。今は本の内容がデータ化されて電子機器で閲覧出来るようになっている。
レギアスは図書館に来るのが初めてであり、何千と並ぶ本に圧巻される。
惚けて動かないレギアスの手をクレイセリアは引っ張り、初代竜騎士の情報が保管されている場所へと向かう。
彼の情報はデータ化されず、本のみで保管されている。司書に閲覧許可証を提示し、厳重に施錠されている扉の向こう側へと通される。そこはかなり古いが魔法で確りと保存されている本がズラリと本棚に並んでいた。
「ん~! 初代の情報をこの目で見れるなんて、この学校に来て良かった!」
「普通はあまり許可が出ないらしいな。特別な事情が無いといけないらしいが」
「……その許可が出されたレギアスって何なの?」
「王女様の幼馴染み」
「わぉう……」
二人は本棚に並んでいる本を片っ端から開き、黙示の塔という名前を探し始める。
他の内容にも大いに興味をそそられるが、閲覧時間が限られており余計な情報を眺めている暇が無い。
本を開いては閉じを繰り返すこと数分、クレイセリアが何かを見付けたのか声を上げた。
「あっ! これ何かそれっぽい!」
「どれだ?」
クレイセリアは部屋にあるテーブルにかなり大きい本を置き、開いてあるページの一部分を指さす。
「これ! 初代が倒したドラゴンが、死に際に自分の魔力で生み出したとされる塔!」
「……終末の虐殺竜ニーズヘッグ。その死骸が塔に変じたともされる……ドラゴンが塔になるなんざ、とんでもねぇな」
「これによるとその塔は常に穢れた魔力を発して、デーマンを生み出し続けるみたい。もしかして、今も塔があってデーマンを生んでたりして」
それは否定しがたい冗談だった。裏レギアスは竜剣が存在し、それが黙示の塔にあると言った。それが本当ならば、この本に書かれている塔は世界の何処かに実在していると言う事になる。もしその所在が見つかっていないのであれば、塔はドラゴンの領域にある事になる。
ドラゴンの領域には流石に赴けない。彼処は魔法障壁の外とは比にならない危険度だ。デーマンがいるとかいないとかの問題ではない。そこに充満する魔力だけで人間を死に至らしめる。騎士団が遠征する場合は特別な魔法を施した甲胄や結界を張って侵入するレベルだ。それにドラゴンにだって遭遇するだろう。そんな危険過ぎる真似は出来ない。
「……他に有力な情報は無い、か」
「まだまだ手を着けてない本はあるけど、流石に一日じゃ探せないかな」
「……エルドに相談するしかねぇか」
「まだ時間はあるし、探そ!」
「ああ」
二人は再び本棚に向かい手を伸ばした。
その頃、レギアスとクレイセリアが居る部屋の外では、光を失った瞳を持ったベールと少し怯えた様子のアナトが椅子に座って部屋の扉を眺めていた。
アナトは今すぐにでもこの場から立ち去りたいと機を窺っているが、今の状態のベールを一人にさせられないとも考えており、どうしようかと葛藤していた。
そのベールはジーッと闇を抱えた目で扉を無表情で見つめている。さながらホラー映画のワンシーンのように、ただ静かに見つめている。内心で何を考えているのか、隣に座っているアナトには想像がつかない。
この原因を作ったであろうレギアスは、見知らぬ女子生徒と二人っきりで扉の向こうにいる。司書に訊けば、初代竜騎士の情報を閲覧しているらしいのだが、おそらくベールがこうなっているのはその見知らぬ女子生徒と二人でいる事なのだろう。
アナトはベールの気持ちを察して理解している。だがまさか、たったそれだけでこの様な状態になるとは思ってもみなかったと驚いている。どうやらベールはアナトが思っているよりもレギアスに心を寄せているようだ。今後、もしレギアスがその気は無くとも女性関係の事案を起こせば、ベールが何を仕出かすか分かったものではない。
「……ねぇ、アナト」
「っ、な、何だ?」
感情の籠もっていない声で、ベールがアナトに話しかけた。
アナトは背筋が凍るような気を感じて肩を震わせる。
ベールは扉を見つめたまま言葉を発する。
「――いっその事、レギアスを監禁したほうが良いかしら?」
「何を言ってるんだ!?」
図書館では静かにするのが常識だが、ベールの発現に大声を発してしまった。
他の生徒達の視線を集めながらも、ベールは続ける。
「知ってる? レギアスって王都に来るまで私以外の女の子と接点無かったのよ。幼いエリファちゃんはいたけど、それは別ね。でも王都に来てから何人もの女の子達からアプローチかけられてるのよ。ほら、レギアスって格好いいじゃない。逞しいし、優しいし、強いし、そりゃモテるわよね……だから、私が見張ってなきゃ駄目よね」
ベールの目が相変わらず闇に飲まれていた。
だがそれでも、アナトはベールの目が本気だと分かった。
自分の姉に底知れない恐怖を抱き、冷や汗をタラタラと流して姉から目を逸らした。
今の姉は知っている姉ではないと、これ以上関わりたくないという気持ちが勝ってしまった。
どうしてベールがこうなってしまったのか、アナトは少しだけ察する事が出来た。
最近になってベールに婚姻の話が振られ始めたからだ。ベールは弱音を吐かないが溜め込むタイプであり、それを表の出さず消化しているから周囲から強い人間だと思われている。
しかし、事レギアスにおいてはそうもいかない。レギアスが王都に来る前までは再会の約束が励みになり、我慢する事が出来た。だが再会した事でそれは決壊し、毎晩付き合ってもいないのに恋人であるかのような惚気話をアナトは聞かされ、苦いコーヒーを飲む回数が増えた。
そんな折りに、将来的な婚姻話がチラチラと顔を見せ始めた。やっと想い人に再会出来てイイ感じになっているのにそんな話が持ち上がり、ベールは無意識に苛々を募らせていた。
そこへレギアスと女性生徒の密会である。本人的には裏切られた気持ちなのかもしれない。
レギアスがそんな事をしないというのは一年しか付き合いがなくとも分かる。
だが女にとって男の心情なんてどうでもいいものだ。女がそう思ってしまえば、それが全てになってしまう。
その時、ベールがスッと立ち上がった。
右手には、ベールの愛銃である専用カスタムリボルバー、魔銃オルトロスの片割れが握られている。目も据わっている。
――やる気だ。
アナトは血の気が引いた。
ベールの凶行を止めようとして後ろから羽交い締めしたその瞬間、扉が開いてレギアスと女子生徒が出て来た。
「……え?」
「わっ、なに? 王女様?」
レギアスは目の前の現状に目をパチパチさせた。
クレイセリアは銃を握っているベールを見てレギアスの背中に隠れた。
それを見たベールは益々闇を深くし、脅威の力でアナトを引き摺ったままレギアスに迫る。
「ねぇレギアス……その女……ナニ?」
「いっ!?」
魔銃をレギアスの顔に突き付け、クレイセリアの事を訊く。
その顔に、笑みはあるが笑みはない。
「こ、コイツは俺のバイト先の先輩で、三年生のクレイセリアだ!」
「クレイセリア・モルガーナです! 宜しくお願いします!」
クレイセリアはレギアスの背中からヒョイと出て、可愛らしくピースを添えて挨拶した。
アナトはベールを羽交い締めしながら、姉の闇が深まったのを感じた。
「ナニ……シテタノ……?」
「初代竜騎士について調べてたんだよ! 黙示の塔にある竜剣の手掛かりが無いかと思って! クレイセリアはそれを手伝ってくれてたんだよ!」
「竜剣?」
レギアスはベールとアナトにも事情を説明した。
裏レギアスが語った内容を包み隠さず伝えると、ベールはいつもの表情に戻った。
それどころか、とてもイイ笑顔でレギアスの手を取る。
そしてクレイセリアから離すように自分の方へと引っ張り、一つの提案を出した。
「だったら城に来ない?」
「え?」
「ウチにある竜騎士の情報を開示するわよ。此処よりもっと詳しいモノが沢山あるわ」
アナトは瞬時に理解した。
これはクレイセリアに対する牽制だと。
クレイセリアにどんな意図があったのか不明だが、彼女より自分のほうがレギアスの役に立つとアピールしているのだ。姉が己の恋路の為に王家の力を利用しだした事に驚きを隠せず、開いた口が閉じなくなる。
ベールはレギアスに「どう?」って身体を寄せて提案する。
妙にグイグイとくるベールに戸惑いを覚えつつも、レギアスはその提案に反応する。
「良いのか? そう言うのって、許可が必要なんじゃ……」
「王女の私が許可します。お父様も説得します。誰にも文句言わせないわ」
「お、おう……」
「それじゃあ、今晩城に来て。あ、丁度明日は休日だし泊まりがけにしましょう! ね!」
「お、おう……」
ベールに気迫にレギアスは頷くしかなかった。こんなにも気迫が込められた笑顔で迫られたのは初めてであり、こんなにも近くにベールがいると言うのに、別の意味でドキドキと鼓動を激しくしていた。端的に言うと、怖かった。
レギアスは後ろにいるクレイセリアに目をやる。彼の心情的には厚意で手伝ってくれているクレイセリアを此処で外すというのは気が引けると言った所だろう。
それを察したのか否か、クレイセリアはハッとしてレギアスに手を振る。
「あ、私の事なら気にしないで! 今日のこれだけでも充分楽しかったし!」
「あー、そうか?」
「うん! それじゃ、私帰るね! 王女様、さようなら!」
クレイセリアはベールとアナトにお辞儀をし、帰っていった。
気を遣わせてしまったか、とレギアスは今度ちゃんとお礼をしようと決めた。
ここでふと、レギアスは先程ベールが口にした言葉に引っかかりを覚える。
ベールは泊まりがけにしようと言った。
誰が、何処に、泊まると言うのか。
レギアスはベールへ振り向いた。
ベールは可愛らしく首を傾げる。
レギアスはアナトを見た。
アナトも驚きの表情でベールを見ていた。
「ベール……泊まりって言ったか?」
「ええ、言ったわ」
「……誰の家に?」
「私の家に」
あっけらかんと言い切ったベールに、流石のアナトも物申す。
「姉さん何言ってるんだ!? そう簡単に城に泊められる訳がないだろ!?」
「いいじゃない、幼馴染みなんだし」
「わ、私も居るんだぞ!?」
「あら、別に貴女の部屋にレギアスを入れるわけじゃないんだから」
「そう言う問題じゃ――」
「それじゃレギアス、家に帰ったら荷物を持って城に来てね」
有無を言わさないように、ベールは颯爽とその場から去って行った。
何も言えないまま予定が決まってしまったレギアスは、ベールの背中が見えなくなるまで目で見送った後、目の前に残されたアナトへと視線を向ける。
アナトはレギアスと目が合い、最初は愕然としていたがすぐにキィッと睨み付け、何故か若干顔を赤らめる。
「へ、変な真似したら許さないからな!」
「しねぇよ!?」
アナトは自分の身体を隠すように自分を抱き、レギアスから後退った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます