第9話 2 中学生の護衛

 ひとまず知らない場所へ移動するので、宗谷たちはエレナと亜希についていった。駅の周辺から離れて、住宅街へと入っていった。


 その途中、もう一度だけ二人を試してみた。自分の身の安全は何度確認しても困ることはない。


「人気のなくなったところで襲われるなんて考えてなかったのか?」


「きゃー。あの人オオカミだわ。あたしたちのこと襲うつもりだって。厭らしいことたくさんされるー」


 完全なる棒読みだった。表情はにこやかで、エレナは今の発言をわかった上で楽しんでいる。その一方で亜希は割と真剣に捉えていて、表情が凍っていた。


「い、厭らしいこと……⁉」


「あー……。襲うって、魔術師的な意味で。今お前が考えているような意味じゃない。ちなみにお前たちみたいなのは子供っぽくて対象外」


(―全くだ。中学生が色気づいたって気色悪いだけだ)


 美也も宗谷の考えに同意見だった。得意なことや苦手なことに差はあるが、好みなどは似ていた。自分たちなのだから似ていて当然なのかもしれないが。


「聞いた?好みのタイプ……年上の綺麗な女性だったら襲うんだって」


「魔術師的な意味でって言わなかったか?……はいはい、警戒してただけだよ。着いた先に魔術師が待ち伏せされてたら怖いからな。お前たちが俺を捕らえようとしているかもしれないだろ?」


「そうなの?エレナ」


「それは大丈夫。昌也様から丁重にもてなすことを命令されてるから」


 信用などすぐに産まれるわけではない。相手が信用できるか、言動で判断するしかない。他人の心の中が透けて見えるわけでもないのだから。


 着いた先はごくごく普通の一軒家。エレナが先に入り、リビングへと案内された。鍵を使って玄関を開けたので、中には誰もいないのだろう。魔術師の気配もしない。


「さて、亜希への説明が最初かな。魔術師のこと、どこまで話したっけ?」


「魔術が使える人間で、自然の力を借りる人のこと。大昔はそれこそ魔術師の方が多くて、人間の方が少なかったんだっけ?あ、あとさっき血縁が関係してるってことも知った」


「……初歩的なことすら全部言ってないのかよ?」


 まだ半分も言っていなかった。全部説明していたら今日だけでは足りない。今からでは夜が明けてしまう。


「昌也様が遠ざけていましたから。今回の事件がなかったらずっと秘密にするつもりだったそうです」


「なぁ、これから護衛をどうやってするかだけの話し合いじゃ駄目なのか?」


「説明の手は多い方がいいですから」


(―諦めろ、宗谷。……諦めが肝心だ)


 美也は今日が潰れてしまうのはもう諦めていた。どうせ明日は休日。飛鳥から連絡も来ていないのだから、仕事も入っていない。調査のメインは飛鳥で、事件の解決が宗谷たちの役割分担だ。調査は飛鳥一人にやらせても問題はない。


「魔術師と人間の判断の仕方は簡単。体のどこかに特徴的な絵が描かれているの。あたしたちローマだと左脇腹に槍が、イギリスだったら右手に星と星を囲む円が。せっかくなので夏目さん、見せてくれませんか?」


「お前が見せればいいだろう?」


「あら、年下の女性に向かって服を脱げって言うのですか?」


「……わかった。見せればいいんだろ?」


 今は主人格が宗谷だったので、無駄な抵抗はやめた。主人格が美也だったら何が何でも拒んでいた。右手についている包帯を取り、亜希に見えるように向けた。


 そこにはエレナの説明通りに、星が描かれて、それを囲むように円が描かれている。線の色は緑。


 亜希はどういったものか理解したようにうなずき、反対にエレナは意外だったのか眉が吊り上がっていた。


「緑……?宗谷さん、あたしと同じだったのですか?てっきり赤線だと思ってましたが」


「イギリスのナイトが緑で驚いたか?俺だって何でナイトになったのかわからないんだよ」


「ナイトって騎士だよね?この人、魔術師じゃないの?」


「その話は後でまたね。この印が魔術を使う源なの。さっきから色のことを言ってるけど、この色が魔術師にとってとても大事。色によってその人の強さが決まるから。色は四段階あって、青、緑、赤、金。青の方が弱くて、一番強いのが金色ってこと」


 今回の事件の犯人は青色、つまり最弱だった。宗谷たちは緑、魔術師としても相手は格下だったのだ。それに相手が魔術師との戦い方を知らないのであれば、決着はすぐつく。


「あと魔術には系統ってものがあって、魔術師によって自分の得意な系統って違うの。その魔術は個人にとっての自信だから、系統を戦闘の時に多用する人が多いわね。何でかっていうと、得意な系統の魔術は自分の色より一つだけ上の色の魔術師が使う魔術と同等の力が使えるから」


「同じ色の魔術師相手なら、系統の魔術のみ、相手を上回ることができる。勝てる見込みがあるってことだ」


「それは相手も同じ……でしょ?」


「そう。多用する人も多いけど、諸刃の剣だってわかってる人は止めの時くらいしか系統の魔術を使わない。魔術師の戦いって存外頭脳戦なのよ」


 ずっと同じ魔術を使っていれば相手はそれが系統なのかと考える。それを確信した時に他の魔術を使われ、それこそが系統だった場合致命傷を負う。


 その前段階として相手の色を知ることが重要になる。魔術の威力を上げるのは色によって限界があるが、下げるのは簡単だ。自分と同じ色が相手だと思っていたら実は格上だったということだってある。


 要するに、騙し合いが魔術戦である。


「あと、魔術師はその地形によって力が変化する。雨がたくさん降る場所だったら水を使う人は魔術の威力が上がったり、制御が上手くいったり。効力も場所によってまちまちだけど、自然から借りてる力だから、自然に影響されやすいってこと」


「魔術が弱まることだってある。だから魔術師は自然保護活動をすることが多い。自分の優位を覆されないためにな」


 地球環境によって自分の強さが変わってしまう、いきなり弱くなるということもある。だから魔術師は基本的に自然保護運動には賛成だ。環境保護団体だと思っていたら魔術結社だったということもある。


 逆も然りで、相手の魔術を弱くするために環境破壊をする魔術師もいる。顕著なのが火を系統とする魔術師で、緑ばかり増やされても困るということで破壊するという。


 魔術師は勝手な奴が多い。


「続けて魔術の話ね。魔術って何でもできるわけじゃないの。自然の力を借りているから。例えば未来を知るとか、時間を巻き戻すとか。できなくもないらしいけど、やったら最後、魔術が使えなくなるみたい」


「あと、死んだ人間を生き返らせるとかもだ。自然の流れには逆らえない。傷をなくす、なんてこともできない」


「え?治癒って自然なことだと思うけど……」


 亜希の言葉は正しくて、宗谷の言葉も正しい。その矛盾をエレナがきちんと説明した。


「魔術によって傷を治すことはできるわ。人間の回復力を促進させればいいから。だけど、傷痕は残る。傷ができてしまったそのこと自体をなかったことにはできないの」


「……万能じゃないって意味、よくわかったかも」


「人間にはできないことがたくさんできるって意味なら便利ではあるぞ?自分のイメージした生き物を魔術で作り上げることも出来る」


 魔術師がよく使う魔術鳩もその一つだ。命令されたことが終わった後自動的に消えたり、複数の魔術師に囲まれた時に共に戦ってくれたりと、中々便利な魔術ではある。


 UMAなどの目撃情報はだいたい魔術のせいだったりする。イメージで創り上げるので、本物と違う形状の生き物が現れることもある。それが一般人に見付かったり、写真を取られたりしてUMA騒ぎになる。


 宇宙人が見付かったという時は、魔術師が自分の身代わりを創ろうとして失敗したのが見付かったというケースもある。未熟な魔術師がよくやる失敗談である。


 そもそも生き物という形状が複雑なものを創り上げるのは難易度が高いのだ。火や水を使うより、数倍複雑である。


「あと、魔術を使いたいからって魔術が使えるわけじゃない。火なら火の、水なら水の構築式を知っていないといけないんだ」


「コウチクシキ?」


「数式みたいなもの。数式知ってると解けやすい問題ってあるでしょ?魔術も構築式を知っていると簡単に発動できる。失敗すると自分の体に反動が返ってくることが多いし、簡単な魔術だと体は何ともないけど発動しないの。難しい魔術ほど、構築式も難しい。火とか水は簡単だけど、それこそ生き物を創るとなると難しい、とか」


「じゃあ魔術師ってたくさん勉強しないと魔術使えないってこと?」


 半分正解半分不正解。ほとんどの魔術は構築式を学ばなければならない。そしてその魔術がどういったものか知らなければならない。ほとんどの魔術はそうやって覚える。


 例外として、感覚的に構築式がわかる魔術がある。それが系統。だから本来の自分より強力な魔術として使え、自信がある。一番頼りになる魔術が系統だ。他の魔術は構築式があやふやになり暴発、失敗する恐れがあるが系統の魔術はそれが起こらない。戦い慣れしていない魔術師が系統の魔術ばかり使う理由だ。


 宗谷と美也の場合、脳を完全に共有しているわけではないので、片方が習えばもう片方も覚えるということはない。


 さらに、宗谷には系統と呼べる魔術があるのに対し、美也にはない。宗谷が系統として使える魔術を美也は必死になって覚えなくてはならなかった。しかもそれは複雑な構築式で、覚えるのに苦労したのだ。


「勉強しなくても戦えるわ。けど、勉強した方が戦術が増えるから有利になるかな」


「その構築式ってどうやって勉強するの?」


「先人が残してくれた資料を読んで、理論を覚える。要するに本読んで、内容丸暗記しなさいってこと」


「うえぇ……」


 亜希のうめき声の通り、かなりの苦行である。特に系統が簡単な魔術だと他の魔術を覚えるのに苦労する。勉強が苦手な魔術師も、断念することが多々ある。


「丸暗記って言っても、一字一句覚えなさいじゃなくて、概要は全部覚えなさいって意味。簡単な魔術なら、概要も三つくらいだから」


「じゃあ、難しい魔術だと……?」


「あたしが覚えた魔術で最高は二十八かな。夏目さんは?」


「五十四だったと思う」


「そんなに覚えられない~」


 そう言いながら亜希は机へと突っ伏した。宗谷たちもよく覚えたと、自分たちのことを感心している。だが、フォローのために言葉を足した。


「先人が残した構築式が全部正しいわけじゃない。覚えなくてもいい概要もある。昔のことだから、違った概要はある」


「逆に新しい概要も見付けないといけない時もあるけどね」


「あと場所によって概要が通じないとか、不具合が少しある。昔には銃とかビルとかなかったから、そういうことは俺たちが合わせていかないといけない」


「結局大変なんだ……」


 魔術は便利な分、大変なことも相応にある。スーパーコンピューターに相当な電力が必要になるのと変わらない。


 昔と今では全く同じことなんて何一つない。昔は今じゃなければ全部昔。状況はいつも流転していく。


「ただいま」


 男の声。一瞬父親かと思ったが、それにしては若い。二十代の声。宗谷たちはとりあえず兄弟かと思っておいた。誰にしても、この家族の人間なら魔術師なのだから気にしなかった。実際魔術師の反応は三人で話している間から感じていた。


 目の前の二人は反応がまちまちだった。家の住人であるエレナは表情が凍っているように見え、亜希は本当に小さな角度だが、首を傾げていた。


「どこかで聞いたことのあるような……?」


「エレナ、お客さんか?」


 リビングに入ってきたのは灰色のスーツで身を固めた銀髪の青年。瞳は緑色で、手に仕事用のカバンを持っていた。エレナは返事もせず、固まったままだった。


 青年は三人の顔を見て、亜希を見た途端笑顔になった。


「桜ヶ丘さん、いらっしゃい。気兼ねなくゆっくりしてね」


「ファイ先生……?」


「そっちの彼は魔術師だね?イギリスのナイトかな?」


「そうだ。証拠のイヤリングは今ないけどな」


「ああ、別に構わないよ。それよりすまなかったね、君に負担をかけて」


 ファイ先生と呼ばれた青年はカバンを部屋の端に置いて、スーツの上をハンガーにかけて台所へ向かった。


「エレナ、今日はお父さんとお母さんが遅くなるって聞いてただろう?ご飯ぐらい炊いておいてくれよ」


「お父さんお母さん?ねぇ、エレナ。どうしてファイ先生がエレナの家に……」


「先生!どうして今日はこんなに早いの⁉昌也様たちと対策会議してくるはずじゃ……!」


 エレナは急に立ち上がり、台所へ早足で行ってファイへ問い詰めた。ファイは特に気にした風でもなく、穏やかに返した。


「桜ヶ丘さんの護衛のためだよ。エレナ一人には任せられないからね。家に帰ってないって聞いたから、ウチにいるかなって思って帰ってきた。昌也様もその可能性が高いって言ってたよ」


「ちょっと、なにしてるの⁉」


「夕ご飯の用意だよ。君たち二人も食べていきなさい。桜ヶ丘さんは親に連絡しておいたから。ナイト君は大丈夫かな?」


「一人暮らしだからありがたい」


 家に帰れば食材はあるだろうが、誰かに作ってもらえるなら厚意は受けておいた方がいい。実家でそう教わってきたので、言う通りにした。


「で、誰だ?」


「学校の先生。英語の。エレナと親しいのは初めて知ったけど……」


「今からご飯炊くと時間かかっちゃうからチャーハンでも作ろうと思うけど、二人は食べられるかい?」


「大丈夫です」


「俺も同じく」


「わかった」


 ファイはそのまま料理支度を始めてしまった。話を聞いてもらえないと思ったのか、エレナはすごすごと帰ってきて、リビングの椅子に座りなおした。


「エレナ、何でエレナの家にファイ先生がいるの?」


「……魔術師だから」


「ん?一緒に住んでるんだろ?お前の親の弟子とか、組織で関係が深いとか。そうでもないとご飯炊いておいてくれなんて頼まないだろ?」


(―一緒の学校に行って事情通なら、同じ家に住んでてデメリットはないだろうからな)


 宗谷の的を射た発言にエレナはため息をつきながらうなずいた。隣に座る亜希を横目で見ながら、彼女はお願いをした。


「学校の人には言わないで。面倒事増やしたくない」


「あ、うん。言わないよ。でも、いつから?私小学校の頃からエレナのこと知ってるけど、知らなかったよ?」


「誰にも言ってないもの。あたしが家族と日本に来た時からだから、もうすぐ七年。ずっと先生は家にいたよ」


「あ、エレナ!カバンの中から資料取ってくれ。見ておいた方がいい」


 台所からの声に返答することもなく、エレナは端に置かれたカバンから無造作に資料を抜き取った。それをテーブルの上に並べて三人で見た。写真に写っているのは赤髪に赤い瞳の三十代の男。


「今亜希を狙ってるであろう最有力候補。夏目さんは彼を知りませんか?」


「ルーベニック・クロウズ。八年前に魔術によって殺人を犯し、イギリス国魔術結社から追放。懲役二十二年が確定してる……」


(―こいつ、バスの中で毒ガス使って捕まった奴だ。毒ガスで殺したのと、操作を受け付けなかったバスの玉突き事故で数十人殺した……。魔術師だったのか。父さんが話してたのを聞いたぜ)


 美也が資料に書かれていた男のことを覚えていた。二人は全てを共有しているわけではないので、記憶も、主人格ではない時のものは曖昧なものが多い。主人格ではない時は、神経も通っていない。感覚は内側にこないのだ。


 たった一つの体で二人分の全てを共有することなどできはしない。


 美也から教わった情報は出しておいた方がいいと思い、不自然にならないように宗谷は口に出した。


「ああ。こいつ、バスの中で毒ガス使って捕まった奴だ。毒ガスで殺したのと、操作を受け付けなかったバスの玉突き事故で数十人殺した……。魔術師だったのか。父さんが話してたのを聞いたな」


「じゃあ、脱獄したってことですね。戦争促進派が手助けしたってこと?」


(―もう一人、やりそうな奴が思い浮かぶけどな)


「同じイギリスの魔術師でしょ?他に何か知らないの?」


 亜希に尋ねられたが、今美也に教えてもらうまで宗谷はこの男のことを知らなかった。美也もこれ以上は知らないようなので、宗谷は率直に答えた。


「俺も今初めてこいつが魔術師だって知ったんだ。八年前なんて組織に属してなかったし、知ってることなんてない」


「八年前、魔術結社での地位はビショップ。赤線だったと書いてありますね」


「ビショップ?」


「チェスの駒でイギリスは階級を分けてるんだ。一番上がクイーン。次からキング、ナイト、ビショップ、ルーク、ポーンの順番だ」


 一番上のクイーンはあらかじめ決まっている。女王だ。魔術結社に属する魔術師はその他の五つの階級に分けられる。


 ただし、キングの座は近年空白のままだ。キングの座になれるのはたった一人。それもクイーンが指名するのだが、誰も指名されることはない。ナイトの中から選ばれるのだが、誰も適していないと思われているのだろう。


 そのことを説明すると、エレナが疑問を口にした。


「ナイトになる条件って何ですか?緑のあなたがナイトなのに、赤の彼がビショップだというのは……」


「ビショップまでは昇級試験を受ければいい。ナイトは現職ナイト三名からの推薦か、クイーンかキングからの推薦があればいい。あとは人数の問題だろうな。定員が十二人なんだ」


「あなたはどっち?」


「……クイーンからの推薦」


 珍しい方だった。十四歳の時、とある事件の解決に宗谷たちは尽力した。その事件の後クイーンから推薦され、ナイトにさせられた。断ることも出来ず、強制的だった。最年少ではなかったが、それでも確実に若くしてナイトになってしまった。


 ちなみにナイトは定員が十二人なため、序列があった。数が小さい方が偉く、数が大きいほどナイトの中では地位が低い。宗谷は十二位、つまりナイトの底辺だ。


「クイーンから気に入られてるってこと?」


「知らない。知りたくもない」


「ご飯出来たから一旦片してくれるかい?」


 台所からファイがお皿に盛ったチャーハンを片手に一つずつ持って出てきた。資料は一つにまとめて、食事の邪魔にならない所に置いた。その後もう二つチャーハンを持ってきて、エレナが人数分のレンゲと水を持ってきた。


「わざわざすいません、ファイ先生」


「口に合えばいいけど」


「いただきます」


 四人とも暖かいうちにチャーハンを食べることにした。塩コショウの加減がちょうどよく、なかなか美味しかった。宗谷たちの味覚は日本人寄りなので、日本人が作るような料理の味付けは大好きだった。


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