第5話 1 母の故郷へ
入学式の後は教室に戻り、お決まりの自己紹介があった。ただ、一人だけ自己紹介を聞いていなかった。入学式の最中に脱走した生徒がいたからだ。
ちなみに先生の話では式典の最中に脱走した生徒は二人目とのこと。付け加えれば、一人目の生徒は三回ほど脱走したことがあるそうだ。
宗谷たちと同じクラスである女生徒の二人組が帰り道としてショッピングセンターの近くを歩いていた。黒髪の方が入学式のことを思い出したのか、大きなため息をついていた。
「ホント、最悪なクラス……。何よ、二人も金髪がいて、その内一人は入学式で脱走って……」
「ま、まあまあ彩音ちゃん。何か用事があったのかもしれないし……」
「……よく脱走した奴のことを庇えるね、瑠花」
「庇うっていうか、何か理由があったんじゃないかなって。焦ってたみたいだったし」
「トイレに早く行きたかっただけじゃないの?」
「だったら脱走しないでしょ?入学式よりも大事なことがあったんだよ、きっと」
微笑みながらそう言われたので彩音は理由というものを考えてみたが、すぐには思いつかない。
学生なら学校の行事は大事だが、脱走したのは頭を金髪に染めるような不良少年。そんな少年が焦る。
「うーん……。家族が事故に遭ったとか?」
「それなら先生に理由を言えば帰らせてくれたんじゃないかな?」
「それもそうか。……降参!瑠花はどう思ってるの?」
「……えへへ。わたしにもわからない」
ストレートに返されてしまった。彩音は時々思っているが、この少女の笑顔はずるいと思う。自然な微笑み。自分にはできない純真無垢な笑い。こんなものを見たら、男はすぐに魅了されてしまう。
「ずっと考えてはいたんだけどね……。どうしてもわからないの。しょうがないことだとは思うよ?彼と会ったのが今日なんだから」
「そういえば……先生たちが話してるのを聞いたんだけど、あいつも瑠花と同じ特待生だって」
「そうなの?じゃあ成績は良いんだね」
おそらくそうなのだが、先生たちの態度を見て彩音は少しだけ疑問に思っていた。先生たちはすごく困惑していたのだ。
特待生ということではなく、脱走した生徒の名前を聞いた時に。
「夏目宗谷君……だっけ。本当に日本人なのかな?」
「え?何で?」
「瞳が蒼かったから。たぶんだけど、ハーフとかだと思うよ。あの金髪も地毛じゃないかな」
彩音はそこまで脱走した男子のことを見ていなかった。金髪は染めたものだと決めつけていたし、瞳の色など見てすらいなかった。
それからも脱走した少年の話だけではなく、これからのことを話し合っていた。
一番の出来事は明日に迫っているテストの話。入学式明けでテストというのも嫌だが、昔からの風習なのか成績上位者の名前が張り出される。
成績特待生にとって、一年以内に三回は名前が張り出されない場合、次の年は特待生ではなくなる。
そんな話をしていると、目の前の路地から金髪で学生服を着た男が歩いて出てきた。それはさっきまで話に上がっていた脱走少年だった。
「あ、夏目君」
「……誰?」
(―おそらく、クラスメイトだろ?)
美也は宗谷の答えに納得し、相手が名前を知っていることを理解した。入学式で脱走したクラスメイトの名前はさすがに覚えていてもおかしくはない。
「あんたのクラスメイト。入学式で脱走した不良さん」
美也の質問に答えるように、彩音が呆れた口調で話し始めた。宗谷の答えが正しかったのはわかったが、この場で会いたくなかった。
今ある程度の後始末が終わったとはいえ、ここから先は魔術師の世界なのだ。
「あの……何をしていたんですか?」
「それは脱走してまで、ってことか?」
瑠花は返答にうなずきを返した。好奇心等々から、聞かれることはわかっていたが誤魔化すことを何も考えていなかった。それは美也だけではなく宗谷も同じで、魔術を察知した時には無我夢中で止めようと考えていただけなのだ。
「答えたくないって言って、これ以上聞かないでくれって言ったら満足できるか?」
「わかりました。じゃあこれ以上聞きません」
「え?それでいいの?」
ずいぶんとあっさり承諾を得てしまって、美也たちはもちろん彩音も驚いてしまって思わず突っ込んでしまった。聞いてきたのは瑠花なのに、諦めが早すぎる。
「だって彩音ちゃん、プライベートなこともあるから相手が聞いてほしくないってことにまで首を突っ込んじゃ駄目だよ」
「でも、怪しくない⁉こんな路地から出てきて、入学式で脱走して、特待生なんだよ⁉」
「彩音ちゃん。クラスメイトを困らせちゃ駄目だよ?」
二人はそうして痴話喧嘩のようなものを始めてしまった。だが喧嘩にはなっておらず、彩音が騒いで、瑠花が諭しているだけだ。
「話せることは話せるけど、話せないこともある」
「じゃあ、その髪と瞳は何!元々なの⁉」
「元々、産まれた時からだ。父親がイギリス人だからな」
いきなり怒るようにして彩音に問い詰められた。この程度ならすでに白水に話しているので隠すことはしなかった。
「特待生って何?」
「それは成績優秀者のことだと思うよ……」
瑠花が呟いてくれたのでその質問には答えなかった。厳密には違うのだが、これは話せないことなので、だんまりを決め込んだ。
「あーもう!夏目宗谷って本名⁉」
この質問には答えられなかった。これはほぼ全ての人間を騙しているのだ。
今は美也の方であり、宗谷ではない。この体に二人の人間がいることを知っているのは宗谷たちの家族だけ。
また、本名という意味では英国の名前が本名である。日本での名前も偽物ではないが、本名と聞かれてしまうと微妙な気分になる。
「……本名だよ。日本では」
「イギリスだと名前が違うってこと?」
「違う。けど日本でも国籍は持ってるから、日本では本名だ」
宗谷を演じきること。それが美也のやるべきことだ。この体の中に二人の人間がいることは秘密にすると祖父と誓った。家族以外には誰にも教えない。それは二人とも魔術師であったから。
魔術師の世界では戦力になる人間を一人でも欲していた。それこそ魔術師の中で美也の戦闘能力はかなり高い。今は夏目宗谷という個人が強いと思わせられているが、二人の力だとわかったら何をされるかわからない。それこそ魔術によって二人を引き離すかもしれない。
二人は兄弟であり、家族であり、自分なのだ。離れ離れになりたくなどない。だから秘密だけは守る。
「この路地の先で何してたの?」
「秘密」
「何で入学式の最中だったの?」
「秘密」
「いつから日本にいるの?」
「……昨日」
最期の質問だけ答えられるようなものだったので率直に答えた。質問の内容が百八十度変わったので答えるのに少しだけ間ができてしまった。
「ん?日本に前から住んでたわけじゃないの?」
「初めて来た。母さんの故郷だけどな」
「あなたのお母さん、日本の家族と仲でも悪かったの?」
「両親から勘当されたって言ってた。大金払ってイギリスに留学したのに、父さんと会って、すぐ恋に落ちて結婚。それ以降母さんは日本に帰ってない」
(―美也、そこまで言う必要ないだろ?)
宗谷に言われて気付いたが、家族のことまで話す必要は全くなかった。それに英国では母親は有名だが、日本ではそんなことないと本人に言われた。だからこの二人が母親を知っているわけはないだろうが、うかつだった。
英国ではとある人物がバラしたので、周知の事実だったのだ。ここは日本だというのに。
「素敵な話ですね。怒られてしまうのもわかりますが……」
「やっぱり女の子ってこういう話、好きなのか?」
「大好きですよ。ロマンティックで」
美也たちの妹もよく、こういう話を好んで本で読んでいた。ロマンというものがよくわからない二人には無縁のものだと思っていた。そう言う度に妹と母親に怒られる。
「おーい、宗谷。カバン持ってきたぞ」
美也たちの向かいから美也たちのカバンを持って飛鳥がやってきた。これで学校に帰らずに済む。ただそれだけのために飛鳥にカバンを届けるようさっき頼んだのだ。
「あ、総代の人」
「覚えていてくれてありがとう!なになに、宗谷の友達だったりする?俺、栗林飛鳥。宗谷がイギリスにいた時からの友達なんだ。二人の名前は?」
(仕事が同じなだけだろ)
(―仕事が同じなだけだろ)
美也も宗谷も心の中で突っ込んだ。正直な話、美也たちに友達はいない。知り合いはいても、友達という関係の人間はいなかった。仲間もいない。飛鳥のことももちろんどっちとも思っていない。
「わたし、小鳥遊瑠花です。夏目君のクラスメイトです」
「私は西山彩音。同じくクラスメイト。えっと……栗林、総代ってことは特待生?」
「そう。日本語必死に覚えたよ」
「へぇ?それはまた何で?何しに日本に来たのさ?」
飛鳥もボロを出した。言わなくても良いことを言った。しかも美也より言い逃れが難しいことを言ってしまったのだ。
さっきから話していて彩音は好奇心旺盛で、一度気になることが耳に入ると質問をやめない。瑠花は線引きを決めているが、彩音にはその線引きがない。
「……日本文化には元々興味があったんだ!それで去年ぐらいに行けることが決まったから、必死に日本語覚えた!ついでに日本の学校に編入しようと思った!それだけ……」
「親説得させたとか?」
「そう!……どこか日本語おかしくない?」
「流暢だと思いますよ?聞いていて不自然な部分はありませんし、心配するほどではないと思います」
イギリスの組織の中で日本語ができるのは美也たちしかいなかった。日本という国は魔術を知らなさすぎたので、誰も興味がなかった。そのため、今回の件が決まった時飛鳥に日本語を教えたのは美也たちだった。
いい迷惑だった。
「さっさとカバン渡せ。行く所あるんだよ」
「ん?どこ行くんだよ?」
「病院」
飛鳥からカバンをふんだくり、用事のある病院の方へ歩き出そうとした。が、行く前に瑠花に呼び止められた。
「怪我でもしたんですか?その右手の包帯……でしょうか?」
「違う。これは昔の火傷の痕。今は痛くも痒くもない。ただ……見られたくないから」
「あ……そうでしたか。気に障ったなら、ごめんなさい……」
「気にしてない。よく聞かれることだから」
美也たちは病院へと走っていった。今回の事件の被害者は全員同じ病院にいると救急隊員から聞いていた。意識が戻らないというが、魔術を消せばいいだけなので魔術師なら治せる。
―――
夏目宗谷の姿が見えなくなってから、瑠花が飛鳥の方を向き直って質問した。
「あの、栗林君。夏目君はハーフだってことを気にしていますか……?」
「え?何で?」
「さっきの夏目君、自分に自信がないように見えたので……」
瑠花の言葉を聞いて、飛鳥は英国にいる時の宗谷を思い出していた。だが、思い当たる節がなく、彼はずっと仕事に必死に立ち向かっていた。
その代わりさっきの電話の内容を思い出していた。犯人を倒したから、警察に連絡したと言われた。それと同時に、被害者も出たので救急車も呼んだと。
「そんなことはないよ。宗谷は母親譲りの日本人顔だけど、そのことでイギリスにいた頃苛められたとかもないから。昨日日本に来たばっかりだし、疲れてるだけだって」
「そうでしょうか……」
(きっと、助けられなかったから落ち込んでるんだろうな……)
飛鳥は勝手にそう判断した。宗谷と出会ってからまだ二年ほどだが、魔術による被害者に対する態度は良く知っている。救えた人間もいれば、もちろん救えなかった人間もいる。事件を解決するたびに苦しむ。それが飛鳥の知る夏目宗谷という人間だった。
「そんなに気になるほど変だった?」
「そうわたしが感じただけだから……。会って間もないわたしが疑問に思うのが変なんだよね」
瑠花本人にも何でそのように感じたのかわからない。ただ入学式で見た時の夏目宗谷とさっき見た夏目宗谷は何かが違った。自分の感覚もわからず、もやもやだけが頭に残った。
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