第3話 1 母の故郷へ
翌朝、制服に着替えて右手に包帯を巻いて朝早く家を出た。甲にある星を隠すためだ。
イギリスから隠す手段であるとあるシートを受け取ってはいるのだが、それを使うつもりはなかった。それを右手の甲に貼ってしまうと魔術が使えなくなってしまい、他人の魔術も感じられなくなるのだ。飛鳥は使うだろうが。
時差ボケによる影響はほぼなく、眠気なども襲ってこなかった。疲れも特には溜まっていない。そもそも魔術師として他の国に行くことは多く、もう時差については体が慣れてしまったのだ。
朝食はコンビニで買うことに決めていた。駅の近くというだけあり、コンビニは何店もあった。純粋にマンションから一番近いお店に入り、菓子パンを三つとコーヒーを一つ買った。それは学校に行ってからでも食べるつもりだった。
学校の場所は地図で予め受け取っていたが、初めて歩く道だったため、探り探り歩いた。地図とにらめっこしながら歩き、土手に出た。そこに上がると、大きな川が見えた。この川に沿って歩けば学校に着くと書いてあるので、書かれてある通りに土手の上を歩いた。
入学式が始まるまであと一時間以上あるのだが、こんなにも早く学校に行かなくてはいけない理由があるのだ。
校長への挨拶。宗谷たちと飛鳥は高校での扱いが特待生となる。この理由が魔術だ。調査のために休みの融通が利く所に通うというのがこちらの出した条件であり、日本という政府はこれを易々と承諾してくれた。
また、国からの援助金も貰っている。月に三十万円ほど。ここから家賃などの生活費を抜いても、明らかに半分は残る。調査のための交通費も国が全て用意するというからお金はかからない。つまり、生活には一切困らない。
もちろんこのお金は全て税金から来ている。たしかに魔術による交渉ができるようになれば経済はもっと発展する。それを考えたらはした金なのだろうが、成功したらの話だ。
川を見付けてから十分ほどすると学校が見えた。入学式だからこそ、校門の部分が派手になっていた。学校に入ってすぐ一階にあった校長室へ入っていった。校長室には校長しかいなく、飛鳥は見えなかった。
「ようこそ、エルリア・ディル・スフレッド君。夏目宗谷君って呼んだ方がいいかな?」
校長にそう言われて握手を求められた。社交辞令なので、出された手を取って握手した。
「夏目宗谷の方でお願いします。日本名はそっちなので」
「日本にも国籍があるんだっけ?まぁともかく、入学おめでとう」
「飛鳥はもう来ましたか?」
ここにいない人物の名前をとりあえず挙げてみた。宗谷たちは戦闘専門で、本来こういった挨拶回りすらやりたくない人間なのだ。
そんなものは下っ端に任せておけばいい。実際英国の魔術師ですら宗谷のことを知らない人間が多い。本当に重要な会議以外はさぼっているのだ。
「ああ。彼なら新入生総代として挨拶の練習をしているよ。彼、入試で一番だったから」
「あ、そうですか」
特待生といえども、きちんと入試は受けている。点数的にも合格を貰っている。この学校には普通の生徒にも特待生制度があるのだが、それは純粋なるテストの成績で決まるらしい。特待生だと授業料を払わなくて済むとか、そういう制度らしい。
「……三年間、お世話になります」
「こちらこそ。やることもあるだろうけど、学校生活も楽しんでほしい」
「無茶な注文ですよ、それ」
宗谷は隠すこともなく苦笑した。そもそも人間関係を築くのが下手だ。さらに言えば関係のない一般人を魔術の世界に巻き込んでしまうかもしれない。そうなってしまうならば、最初から関わらない方がいい。
「そういえば夏目君。クラスがどこだか知っているかね?」
「事前に教えてもらっていますから」
一年B組。そう書かれた教室の中はそれなりに賑やかだった。入学式の前でも、中学の時の知り合いなどがいたらついつい話してしまう。たまたま話しかけたら気が合ってすぐに友達になる。そういったことも珍しくない。
だが、この教室の中では違った。原因は二つあった。
一つ目。中性的な容姿をした黒髪の男の子がいたから。彼が原因で女の子が浮かれている。
二つ目。金髪の男がいたから。ここはまかりなりにも進学校であり、頭髪、服装には厳しかった。それは入学生でも知っている。だから主に男子が呆れたり、ある意味尊敬して騒いでいた。
そんな二人が仲良さそうに話しているから、余計に教室内の話題になっている。
「どう?俺の金髪似合ってる?」
「本気で言ってる?源ちゃん……。日本人の顔立ちに金髪って、すごく似合わないと思う……」
そんな中、宗谷たちが教室の中に入って来た。また金髪か、みたいな反応が返ってきた。宗谷たちはあまり関わりたくないので、黒板に書かれていた席の場所を確認してさっさと座った。
場所は例の中性的な容姿をした少年の左隣。窓側で一番後ろの席だった。
「ほら、白水!高校デビューって俺だけじゃないんだって!」
「……彼の髪、地毛だと思うけど」
白水は首を傾げた後、宗谷たちの方を見た。そして、宗谷たちの名前を確認してから臆することなく話してきた。
「えっと、夏目君。僕は白水円っていうんだけど、質問していいかな?」
「……何?」
「その髪って地毛?」
「そうだよ。ついでに目の色もな」
日本という国で金髪碧眼は珍しい。それで日本名を名乗っているというのはよっぽど稀なケースなのだろう。
「ほら、源ちゃん。彼のは地毛だって。源ちゃんだけだと思うよ?そんなことしたのは」
「……マジ?」
白水の前に座っている男は染めたような金髪だった。地毛である宗谷たちとは色合いが異なるのだ。彼の髪の毛は全体的に白い。
「夏目君ってハーフなの?」
「父がイギリス人で、母が日本人」
関わることは義務ではない。ある程度関わっておいて、それ以上には踏み込まなければいい。友達になる必要はない。だからこそ、あえて最初から伝えておくべきことは伝えていた。同じ質問をされないために。
白水に代わり、金髪の男が質問してきた。
「お前ってどこチューから来たんだ?」
「……イギリスの学校。だから名前なんて言ったってわからないだろ?」
これは嘘だった。十歳以降、学校には行っていない。勉強はしていたが、通ってはいないのだ。その代わり、仕事と稽古が多かった。学校に行く時間を魔術師として過ごしてきた。死にかけたことも実際あったし、恨みを抱かせたこともある。
それに比べれば、この教室の空気は穏やかすぎた。感覚が麻痺してしまうかもしれない。思っていたことだが、ここは魔術師がいるべき場所じゃない。
「ん?高校のためにこっちに来たのか?」
「そう。日本を知りたくて」
目的は違うが、それも理由の一つではあった。母と祖父から日本のことを聞いていたが、行く機会はなかった。できるなら家族で来たかったが、それはしょうがない。
「源ちゃん、自己紹介が先でしょ?」
「ちゃん付け高校ではやめろよ。結構恥ずかしいっての。……あー、荒井源氏だ」
「二人は仲、良いんだな」
「小学校から同じだからね。まぁ、高校デビューするとは思わなかったけど」
白水はそう言いながら源氏の方を向いてため息をついた。日本という国では黒か茶以外の色の髪は目立つ。それこそ外人以外だと、目立って仕方がない。日本人の顔に鮮やかな色というのが似合わないのだ。
最初のHRまであと十分という時に二人組の女学生が教室に入って来た。片方は小柄で茶色い髪をハーフアップにしている子。もう片方はそれなりにスタイルが良くて、黒髪ストレートが肩にかかるぐらい伸ばしている子。
その黒髪の方が額を押さえながら、教室中に聞こえるようなため息をついてこう言った。
「……最悪のクラスかも」
その目線の先には金髪の二人、要するに宗谷たちと源氏がいた。
チャイムが鳴るのとほぼ同時に担任の先生が入って来て、自己紹介を軽くした後にこれからの流れを説明した。入学式は講堂で行うため、上履きから外靴に履き替えること。上級生の移動が終わってから動き始めること。寝ないこと。
先生が来る前に朝食を食べ終わったのだが、菓子パンは甘すぎて、コーヒーは薄くて朝食というには物足りなかった。
もしもの時を考えて武器を制服のポケットの中に入れておいた。カバンを置いたまま教室から離れてしまったら取りに来るのが面倒だからだ。
上級生の移動自体はすぐに終わったようで、新入生の移動も始まった。見回してみても金髪など見当たらず、明らかに目を付けられていた。最も教師は宗谷たちがハーフであり、金髪が地毛だということは知っているので、目を付けられているのは源氏だけである。
クラス順に講堂へと入っていくので、前のクラスA組が先頭として入場する。その中に飛鳥がいて、宗谷たちのことを見付けると軽く手を振ってきた。そのことで数人の女生徒が顔を赤らめながらひそひそと話し始めたが、宗谷たちには飛鳥の良さがわからなかった。
外人というのは珍しいのかもしれないが、逆に言えば外国に行けば飛鳥のような人間はいくらでもいる。事実彼の妹は宗谷たちと同じ意見だ。
(―メンドくせぇ……)
(そう言うなよ。しょうがないんだ。仕事なんだから)
美也がそうぼやいたが、上からの命令に逆らえないのが今の二人の現状なのだ。ナイトという階級を貰っていても、それより上からの命令というのはどうしようもない。
家族という人質を取られているのだから。
組織なんて大体がそんなものだ。命令を聞かせるためにその人間の弱みを握る。この学校に通っているのも、ここにいる人間すべてを家族と変わらず人質にするということだ。
一年B組の入場が始まり、宗谷たちも前の人に続いて歩いた。講堂に入った頃には上級生の間で話し声が聞こえてきた。校則がそれなりに厳しい学校で同じクラスの中に二人も金髪がいれば当たり前の反応だ。
「今年の一年、だらしないなぁ……」
そうつぶやいたのは左腕に風紀委員のワッペンをつけたポニーテールの女生徒。風紀委員が見張っているというプレッシャーを与えるためにこういった行事では基本的にワッペンをつけている。
全クラスの入場が終わり、開式の辞と国歌並びに校歌斉唱が終わり、新入生総代挨拶になった。壇上に上がるのはもちろん飛鳥。
「新入生総代挨拶。総代、栗林飛鳥君」
「はい!」
司会に名前を呼ばれて、飛鳥は元気よく返事した。壇上にすでにいた校長の前に立ち、紙を取り出してマイクに向かって挨拶を始めた。
挨拶も半分ほど終わったかという時に宗谷たちは悪寒を覚えた。誰かが魔術を使ったのだ。それがどういった種類のもので、強力な物かもわからないが、魔術が使われた。
(―宗谷!)
(ああ、わかってる!)
宗谷たちは椅子から立ち上がり、講堂の脇のドアから出ようと考えた。だが今は入学式の最中であり、新入生が立ち上がって走るなんてよっぽどのことがないとしないのだ。
すぐに教師が近付いてきて、宗谷たちに質問してきた。
「どうした?調子でも悪いのか?」
「あ、はい。トイレに行かせてください」
こういう時の常套句を言っておけば後は学校の外に出るだけ。そう考えていた。
だが、進学校の教師というものをなめていた。また、全員には宗谷たちが成績とは違う特待生であることが伝わっていないようだった。
「わかった。じゃあトイレまで私が同行しよう」
(―はぁ⁉逃げられねぇじゃねえか!)
(……どうする?美也)
(―……幸い靴も履いてるし、武器もある。こうなったら強行突破しかないだろうな)
(やっぱり、そうなるか……)
心の中でだけ宗谷はため息をつき、周りを見た。近くにいる教師は三人。出られるドアの近くには誰もいない。
「大丈夫か?無理はするなよ?」
「……」
宗谷たちは無言から一気に走った。教師はすぐに振り切ることができ、脇のドアを開け放って飛び出した。その先に何故か生徒が数人いて、全員が左腕に風紀委員と書かれたワッペンをつけていた。
「だ……脱走だ!」
「捕まえろ!」
近くにいた生徒が一斉に宗谷たちに向かってきたし、脱走という言葉に反応して他の風紀委員と教師まで集まってしまった。
(―この学校、厳しすぎだろ!)
(過去に脱走した奴がいたんだろ、きっと!)
向かってくる生徒をターンで避けて、逆に生徒へと向かっていった。それで驚いた生徒は横を通り抜けて、それでも驚かない生徒には直前でステップして避けた。実戦を経験している宗谷たちにとってただの高校生は相手にならなかった。
そのままの速度でフェンスへ向かい、目の前でジャンプした。この時風の魔術を使って自分の体を上へ押し上げた。
このことによってフェンスに足を付けることなく飛び越え、手で一番上を持って高校の敷地内から出た。校門は遠く、それまで誰かに追いかけられるのが嫌だったからだ。
宗谷たちは地面に着地したのと同時に魔術が使われた場所へと一目散に向かった。それを結局見送ることになった人たちは、宗谷たちの身体能力を見て唖然とし続けていた。
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