73話 未来のその後5

『まずは、世界を救うのが本当にいいことなのか、考えてみてほしい』


 スルーズはランプの少ない明かりを頼りに、勇者からの手紙を読んでいく。


 王都での生活もすっかり慣れたものだった。


 モンスターたちはうろついているものの、それは警戒を怠らなければ問題になるほどのものではなかった。


 何より、スルーズが『モンスターとの戦い』に慣れてきていて、一対一でさえあれば、大抵のモンスターには負けないほどの戦力となっている。


 勇者教の者が多い王都に住まう人々の間では、スルーズを『聖女』と呼んでいる者も、少なくなかった。


 スルーズは出自柄、勇者教に関わりたくないという気持ちがあった。


 それは実の父が勇者教の最高権力者だったからだ。


 色々と複雑な事情が――聡かったとはいえ、心理的に、幼い頃のスルーズが到底納得できないような事情が――あって、王の息女として迎え入れられた。


 兄姉の中にはそのあたりの事情を知る者もいたが、全員が、分け隔てなく『妹』として扱ってくれた。


 ……その王家の温かみを知っているからだろう。

 自分を捨てた父の冷たさ、自分への無関心さを、スルーズは恐れて、関わらないようにしていた。


 その自分が今や勇者教のシンボルである『聖女』呼ばわりというのは、本当にわからないものだ。

 あるいは……運命的、と言うべきなのだろうか。


 新参者のはずだったスルーズは、その戦闘能力もあって、いつしか集団の中心にいた。

 雑務が増えて、大事な大事な勇者からの手紙を一人で読む時間を作るのにも、まる一日がかりで仕事を片付けてからになってしまった。


 その間、『大人のエイミー』は、ずっと、スルーズのそばにいた。


 今も、部屋の隅で、表情もなく、音もなく、注目していないと呼吸さえしていないんじゃないかというぐらい静かに、佇んでいる。


『その世界はきっと滅びかけていると思う。少なくとも、そういう話をこちらは聞いている。そして、君はきっと、私のことと、エイミーのことと、ひょっとしたらキリコという聖女のことも、知っている人物だと思う』


 つまりこれは、自分宛の手紙というわけではないのだった。


 あの場所にたどり着いた誰かに宛てたものを、たまたま、自分が受け取っただけ、なのだった。


 ……少しだけ残念に思う。

 なんとなく、勇者や聖女から無茶振りをされるのは、自分だけの役割だと思っていたから。


『縁がないと、この手紙を受け取る場所にはたどり着かないようなのだ。縁だなんて、いかにもあやふやな話だけれど、他に表現のしようもないのだから、仕方ない。この手紙を読んでいる君は、私たちにもっとも縁深く、そして私たちがもっとも信頼していた人だと思う。そういう人が手に取るように、世界が働きかけているはずだ』


 少しだけ、スルーズの溜飲は下がった。


 それはそれとして、手紙の言い回しが、非常に気になるものだった。


 縁がないとたどり着かないとか、世界が働きかけるとか。

 手紙を書いた彼が、自分たちにはない情報を持っているか――

 あるいは、変な宗教にハマってしまったか。


 まあ、きっと、前者なのだろう。

 勇者と聖女の、『神なんかいなくて当たり前』というような、言葉にいちいちしないほどに前提となっている思想を、スルーズは好ましく感じていたのだから。


『君は世界の滅亡するきっかけに遭って、いろいろなものを失ったと思う』


 生活基盤。

 国家。地位。育て上げてきたブランド。


 仲間。兄姉。父。

 そして……本当の、血の繋がった父も、王都に残り、信者を支え、その中で命を落としたらしかった。


『君は、世界滅亡からしばらくの時間を過ごしてみて、得たものもあったはずだ』


 冒険をした。

 その中でたくさんのものを失った。


 天秤にかけるならば、失ったものの方が断然多くって、とてもじゃないが、やり直せるならやり直したいなという気持ちだ。


 平和に、のんびり、だらだらと、永遠に終わらない雑談を繰り広げるような、小さなことに悩み続けてああでもないこうでもないと言い募るような、そんな忙しくも穏やかな日々に戻りたいに決まっている。


 でも。

 あの日々にはなかった人生の煌めきが、あらゆるところで見えたのも、事実だった。


 死者の行動を『英雄的だ』と称賛するのは、あくまでも悲しみを癒すためだと分かってはいる。


 ……それでも、とても英雄的とは思えなかった人たちが、英雄的活躍をして、永遠に忘れないぐらい鮮やかに心に刻み付けられたのは、この状況あってこそだとは、思う。


『世界を救う方法は、君が世界滅亡の契機となった日からしてきた一切合切を、なかったことにする』


 なかったことになんか、できるはずがない。

 事情も知らない、どこにいるかもわからない勇者の文面に、少しばかりの苛立ちを感じた。


『君が望むなら、時間を巻き戻せる』


「……!?」


 苛立ちは、一瞬にして霧散した。


『望むだけ、巻き戻せる。君の生きた年数であれば、どのぐらいの期間でも巻き戻せるし、君が再び、王城にある隠し通路の中でこの手紙を受け取ったなら、再び、いや、受け取っただけ、戻し続けることができる』


 期間、回数、無制限の時間遡行。

 それはとても魅力的で、信じられないほど都合のいい話だった。


『ただし』


 だから、続く文面に、デメリットが書かれるのを、なんとなく予感した。


『君の記憶は、残り続ける。君は多くのものを見たと思う。君の信頼する人が、信頼に足る立派な人だったことや、あるいは、その逆を。緊急時における人間の美しさと醜さを両方見たと思う。その記憶が残り続ける』


「……」


『そして何より、この世界は、何かを犠牲にしなければ、平和を維持できない』


「どういう意味?」


 つい、口にしてしまった。

 聞かれたかなと思い、大人エイミーの方を見る。


 彼女は表情もなく声もなく、真っ黒な瞳をただスルーズに向けているだけだった。


『誰もが幸せになるハッピーエンドを目指して、俺も行動していたようだ。けれど、それにはたどり着けずに、何度も何度も人生をやり直していたらしい』


「……? でも、記憶が残ると……」


『前回の周回で、俺は自分の記憶をアイテム化してストレージにしまっていたようだ。たぶん、前回の俺は、もう、あきらめてしまったんだろう』


 そこからは、極めて事務的に、必要と思われる情報が箇条書きで記されているだけだった。


 勇者は、キリコか、エイミーか、世界か、どれかは失わなければいけない状況で、どれもを救うために行動していた。


 失敗の回数は記憶を取り戻しても詳しくは思い出せない。すべてを詳しく思い出そうとするとひどく頭が痛んで、気を失ってしまう。

 防衛機制が働いているのかもしれない。


 そうやって世界を繰り返すうちに、『世界を繰り返す力』を行使した者と同じように、『前の世界の記憶』を残して生まれる者もいた。

 それが魔女と呼ばれる魔王信者となり、彼女らは『自分たちの願いを叶えるために』魔王を求めるようになったようだ。


 世界を繰り返すためには、そばにいるエイミーに頼めばいい。


 魔王のスキルは『願いを叶える力』だ。

 ただし、叶える願いの大きさによって必要な魔力量が変わってくる。

 今、そばにいるはずのエイミーは、『世界を繰り返す』だけの魔力を獲得している。


 エイミーの症状について。

 彼女が言葉や文字により自分の意思を表明しようとするたびにひどく疲労するのは、そのたびに魔力を消耗していたからだろうと推測される。

 そうして彼女が何かの意思を表に出そうとするたびに魔力を消耗し、鍛え上げ、ある一定のラインまで達したことで、『魔王』というスキルとして発現したものと思われる。


 そのような情報が記されたあと。

 最後のページには、このようなことが書かれていた。


『君が俺たちのことをよく知っているなら、俺たちは、最善の道を探るあまり決断できず、いろいろな機会を逸してきたことも知っているはずだ』


 それは確かに、そうだった。

 勇者と聖女はいつだって真面目そうに対策会議をしていた。


 もちろん、神殿に寄り付かなかったスルーズがそのすべてを見ていたわけではないけれど、自分が二人きりのところにお邪魔した時には、毎回、何かを真面目に議論していた。


 彼らの議論は、趣味のようでさえあった。

 二人は大いに真面目で、内容も、話し合うに足るテーマだとは思うのだけれど、結論を全然急いでいなくって、『早く決めなきゃ』などと言いながら、横道にそれたり、冗談を言い合ったりして、そこまで性急に結論を出そうという意思は感じ取れなかったのだ。


『俺たちは、全部を救う道を探し続けた。だから、世界を繰り返し続けた。いつかきっと完璧なハッピーエンドにたどり着けると信じて、トライのチャンスを浪費し続けた。でも、チャンスは無限でも永遠でもなくって、周回した分だけ、世界が変わっていくのがわかった』


 魔女の存在。


 それ以外にもきっと、色々と、彼らにしかわからないことがあったのだろう。


『俺たちはまた、「今回こそはすべてを救わなきゃ」と思って挑んで、そうしてキリコとエイミーを救い、世界は救えなかったらしい』


『記憶を取り除いてみたのも、「まだやってないことを試そう」という活動の一環だったようだ。それもどうやら失敗して、だから俺たちは、俺たちに向いてないことを、外注することにした』


『世界を救ってくれ』


「………………え?」


 まさかの。

 まさかの、丸投げ。


『すべてを救う主人公になるんだって意気込んできたけれど、俺は自分がそういうのじゃないことを最近まで忘れていたんだ。記憶をなくしてもう一回生きて、初めて理解した。専門知識が必要なことは、才能のある人か、専門家に任せるべきだって』


「……」


『こんな手紙を受け取れるぐらいの運命力がある君なら、たぶん、世界を救う決断はできる』


「……いや、無理でしょう、そんないきなり」


『できそうだと思ったら、やってほしい。できなさそうなら、最後の紙に書かれていることを言伝して、エイミーを過去に送ってくれ。それで、決断すべきは俺に戻る。それで、そちらに送ったエイミーはすべての力を使い果たす。時間遡行も、ループも、君の身には起こらない。君が背負うものは、何もなくなる』


 急にのしかかってきた責任を、スルーズはうまく実感できなかった。


 投げ出したいととっさに思うほどの重圧だ。


 この重圧を――本当は勇者でもなんでもない彼が、何度も何度も背負い続けてきたのだろう。


 だからといって、投げ出されても困るのだけれど。


『最後に、色々書いたけれど、この手紙は、丸ごと、愚痴みたいなものだ。俺と、魔女連中しか記憶を維持できない「何度も繰り返された世界」の中で、俺の悩みというか、重圧というか、そういうものを、誰かに吐き出したかっただけだ』


『真剣に悩んでくれたなら、ありがとう』


『世界を救うのは本当にいいことなのか、考えてみて欲しい。そして、「本当に世界を救うというのはどういうことか」を考えてみて欲しい』


『俺たちは、最後まで、そこまでのことを共有できる仲間を作れなかった』


『俺とキリコと、それから、場合によってはエイミーとの三者で、ずっとずっと頭を突き合わせて悩んできた』


『俺たちは世界の外側にいる。それは立ち位置というよりも、精神が、いくら遡っても異邦人のままで、うまくこの世界に馴染みきれなかったみたいだ』


『だから、もし、君に信頼できる友達が多いなら、この、眉唾物の話を、どうか、頭を突き合わせて考えてみたり、して欲しい』


『有力な協力者っていうのはとてもありがたく、いるだけで助かるものだ』


『きっと俺たちにとって君はそういう立場だったと思う。だから』


 とん、とん、とん、と。

 ペン先を何度も、迷うように紙に置いては離したような跡があってから、


『もしも君がこの愚痴を真に受けて、世界を救う方策を考えてくれるなら、俺たちは、君のコミュ力に期待する』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る