68話 星の降りそうな夜に

 大陸北東への旅は始まった。


 王位を譲って、聖女の巡礼に伴うのだ――そういう嘘を臣民に告げた。

 まずは南部へ向かい、そこから時計回りにぐるりと大陸中を回っていくという、そういう、嘘だ。


 あまり俺のことを知らない人々は、『なんと信心深い王なのだ』と感じたようだった。

 俺たちのことを知っている人は、『二人きりになる口実か』と思ったようだった。


 そのどちらも間違いではないのだろう。


 俺は古文書再現の果てに、あの時代に帰れるのだと信じている。

 そういった意味では非常に信心深い。何せ、科学的根拠も、魔法学的根拠もない、本当に信仰としか言えないような、細い糸を、こんなにも必死でたどっているのだから。


 二人きりになる口実と言われれば、それもまた、まったくないとは言えなかった。

 俺たちは本当にいきせききって生きていて、のんびりと二人きりで過ごす時間はなかった。


 俺たちの間には確かに絆があった。

 でもそれが、世間一般で言うところの恋人たちのようなものなのかは、自信がない、というか、きっと、違うのだと思う。


 二人きりの時間を持て余した。


 移動手段を、俺が開拓中に使っていた半自動車ではなく、馬車にしたのは正解だったと思う。

 移動中は片方が御者をやるので、ひたすら同じ馬車室で向かい合って沈黙する、なんていう時間を避けられたからだ。


 それでも夜には馬も休ませないといけない。


 ……俺たちは、一刻も早く、そして秘密裏に、北東部に存在するかもしれないエイミーのもとへと駆けつける必要があった。

 そういう目的を加味すれば、俺たちの旅はずいぶんとゆっくりのような気がした。


 たぶん、この旅が終われば、俺たちが今までしてきた、目的のための目的を探す、なんとも言い知れないあやふやな旅路にも、なんらかのエンドマークがつくのだと、感じているのだろう。


 だから俺たちはどこか惜しむような旅をしながら、夜には思い出話をした。


 焚き火を挟んで向かい合う。

 二人並んで焚き火を見るには、俺たちは接し方に慣れていなさすぎた。


「たぶん人間の『他者との付き合い方』っていうのは高校ぐらいまでで確立しちゃって、高校で多くの人と仲良くできたやつはずっとそうだけど、そうじゃなかったやつも、ずっとそうなんだと思う」


「そうかもしれないわね」


 俺たちはお互いにコミュニケーション能力が低かったので、共感するところが多かった。


 俺はキリコほど鉄壁でもなかったけれど、それでも、まあ、友達の多い方ではなかった。


「俺たちみたいに『友達』っていう言葉の意味を考えてしまうようなタイプはそもそも人付き合いに向いてない。……というか、いちいち言葉の意味を考えてからじゃないと行動できないやつは不利なように世界ができてる気はするよ」


「半端なのよね、私たちは。考えなしに行動する人を愚かだと見下しながら、思考がさほど早くないから、考えているうちに行動の機会がなくなってる。思考が早くないというか――行動に移す勇気が足りない」


 それは、俺たちの異世界人生を振り返ってしまうと、ぐうの音も出ないほど正鵠を得た話だった。


「俺たちは少しでも自分たちが有利になれるように考えてきた。……でもそれは、行動を先延ばしにしてきただけだった。今から振り返れば、『あの時、もっと大胆に行動できていれば』と思うような選択はいくつもある」


「あなたは常に後悔しながら生きてるわね」


「後悔のない人生なんかない」


 焚き火がはぜて、火の粉が舞う。


 その赤い輝きがのぼっていった空を見上げれば、そこには、目もくらむような星々の輝きがあった。


 ちょうど、キリコと再会して少しした夜のような。

 降りそうなほどの星々が、藍色の空に浮かんでいる。


「俺たちは、無数の『もしも、あの時』を魚の小骨みたいに突き刺しながら生きていくんだ。そういうふうに設計された生き物なんだよ。……お前も、そうは思わないか?」


「残念ながら、あなたの言うことは一面的に正しいと認めざるを得ません」


 すごく不服そうだった。


「私も時間を重ねたしね。……というか、そうじゃないかとは思ってたわよ。思ってたから、反論はできなかった。あなたが知らないし、私も知らないだけで、後悔しない人生を歩んでる人はいるとは思うけれど、私はそうじゃなかった」


「……どんな後悔してるか、聞いてもいい?」


「後悔してることは分かっても、具体的に『何に後悔をしているか』はわからないのよ。後悔が喉につかえる魚の小骨だと言うのなら、私たちは毎日のように魚を食べてるんだもの」


「……」


「選択の生じない行動なんかなかったわ。たぶん、いくつか間違えてる。こうして、ここに二人でいることも含めて、私は選択の果てにこの場所を選んでる。もう、あなたを殴って気絶させて拉致することも難しいしね」


「ごめん、話が飛びすぎてる」


「山奥でひっそり暮らす選択もあったのよ。あなたが嫌がっても、私があなたより圧倒的に強かったあの頃なら、問答無用でさらうこともできたし――」


 ――きっと、目覚めて拉致されたことに気づいたあなたは、なんだかんだ言いつつもあきらめて受け入れた。


 キリコはそう述べて、俺は笑った。

 否定できなかったからだ。確かに力づくでエイミーや世界から引き剥がされていたのならば、俺はきっとあきらめただろう。


 あきらめがいいのが自分の美徳だと思っている。

 人に誇れるほどの才覚はない。代わりにどんな状況でも『まあ、そんなものだろうな』と適応する自信はあった。


 その自信は異世界生活で身についた、等身大の自信だ。

 転移直後の全能感とはまったく違った、『なんでもできそうな気がする!』という若さとはほど遠い、『まあ、俺ならこれぐらいはできる。なぜなら、過去にできたことがあるから』と言う類の、物語にもならない堅実なものだった。


 ……十代と今とでは、意味の変わってしまった言葉がいくつもある。


 あの頃の俺にとって『冒険』は、未知なる場所で成功をつかむという意味のものだった。

 今の俺がしている冒険は、負債を返すために賭けに出るという感じのものだ。


 焚き火が爆ぜる。


 視線を地に戻して、『最近は顔を上げるのにも肩が凝るな』と思いながら、首を左右に曲げた。

 首関節がゴキリと音を立て、御者役で腰が疲れていたことを連鎖的に思い出す。


「若かった俺たちは、もうどこにもいないんだな」


 ふと、笑いながらつぶやいた。


 キリコが続きを待つように真っ黒な目をこちらに向けていたものだから、ちょっとだけ考えて、続けた。


「選択肢がどんどん減ってることに、遅ればせながら気付くよ。肉体的にも、精神的にもそうだけど、それよりもっと大きな理由は、関係性、しがらみのせいで、選択肢が減ってる」


「エイミーちゃんを助けることとかね」


「まあ、それも、言い方は悪いけどしがらみなんだよな。助けたいと望んでいるし、助けないと世界がまずいことになるかもしれないし、助けたら未来の時代に帰れるかもしれないと期待してる。でも、人間関係であり――ああ、そうそう。しがらみっていう言い方が不味かったな。『情』だ。情が選択肢を減らしていくし、歳をとると情が深くなる。よくも悪くも」


「それは人によると思うわ。私はいまだに、この世界の人に気を許してないし」


「ええ……いやっ、お前……いるじゃん、側近っていうか、聖女に憧れてる子とか……そういう子らとかは……」


「憧れは一時的な感情よ。ある日フッと冷めるわ。それで、冷めたあと、急に冷静になって自問するの。『なんで自分はあんなに熱狂してたんだろう』って」


「……経験談?」


「私が熱狂してた側じゃないけどね」


「顔がいいと人生楽なんだろうなと思ってた時期が俺にもありました」


「感情に永遠はないのよ。だから私は、愛を人生の方針にしてる」


「……」


「私を愛さないといけない状況にある人だけを、私は愛するのよ。私の方もそう。愛するしかないから愛する――他に選択肢があれば迷ったり悩んだりするのが私たちでしょう?」


「そうだな」


「つまり『私のタイプは私のことを好きになってくれる人』ってことね」


「……一応突っ込んでおくけど、お前に告白して撃沈したとされる人たちは?」


「わかってるくせに」


「その人らが見てたのは『お前』じゃなかった。お前の仮面だった、ってことで合ってる?」


 キリコは何も言わずに笑って、立ち上がった。


「そろそろ寝ましょう」


「ん? ああ、そうだな。じゃあ、俺は外で」


 いつもなら「ええ、おやすみ」となるはずなのだけれど、キリコはまだ無言で。


 少しだけ悩むそぶりを見せてから、言った。


「私たちが離れる選択肢、もう少しだけ減らしてみない?」


 俺は言葉の意味を掴みかねたのだけれど、これでわからない俺が悪いみたいなことを言われるのは、結構心外だった。


 あとから思えば、たぶん、あいつなりの照れ隠しだったんだろうと思う。

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