66話 閑話6
生きていくには総合力が必要で、彼女にはそんなものはなかった。
裕福と言うには物足りなさを感じる、当たり前のように学校に通ったり、お小遣いをよこしたりする、そんな家で生まれ育った。
趣味でもない限りサバイバルはできないし、まだ高校生だった彼女は社会で全く共通点のない、特に仕事を募集してもいないような他人から、仕事をもらう経験もなかった。
そういった者が行き着く真の底の一歩手前がこの世界では『冒険者』などとあだ名される職業だ。
日雇い職業斡旋所。
彼女はそこでキツくて安い仕事に従事することになる。
すべてがどうでもよくなって『穴』に飛び込んだというのに、泥水をすすってでも生きようとしている。
つらくて苦しい日々が続いているというのに、彼女はその中で幼かった頃のような明るさを取り戻していった。
たぶん、仲間がいたのも大きいだろう。
この世界において『普通に生きる』ために、知識を与えてくれた少女がいた。
しわがれた声で老婆のように話すその少女は、物腰や性質から、今は亡き祖母を連想させた。
『穴』を認識できたのは、彼女一人だったけれど……
祖母は、穴こそ見えていない様子だったが、彼女の言葉を信じてくれたのだ。
だから彼女は祖母のことを大好きだったし、その祖母に通じる何かを見出せる少女のことも、好ましく思っていた。
何より、この世界のことを教えてくれる少女は恩人だ。
ただし、まったく無償での親切というわけでもなかった。
とある神を信じることが、少女が知識を与えるのに出してきた条件だった。
宗教観念の薄い彼女は気軽に信仰対象を決めた。
もちろん他に選択肢もなかったし、恩人の信じているモノがそう悪い運を自分にもたらすとは思わなかったからだ。
実際、その宗教は『目立たないよう生きること』という、なんとも宗教らしからぬ教義を掲げていた。
日々を質素に静かに暮らし、交流は最小限に、仮にしたとしても自分たちが『かの神』を信仰していると決して明かさぬように――というあたりが、正確な文言だっただろうか。
だからこそこの世界のことを全然わかってない彼女が勧誘されたのだ。
この教義だと同じ神を奉ずる同胞を勧誘しにくい。なるべく社会から独立しているような者でないと、この宗教のことを大きく吹聴されるかもしれない。
そんなあたりが、異世界転移をしてきた彼女の勧誘された理由かも知れなかった。
『来るべき日』のために存続することがその宗教の目標であり、その日がいつ来るのか、詳しいことはわかっていない。
オカルト系の部活みたいだな、と彼女は捉えた。
……この世界の生まれではない彼女にとって、神とは『いないもの』だった。
勇者教が最大宗教であり、勇者が王家の始祖であるとされるこの世界にとって、神というのははるかに実在感のあるものだった。けれど、その感覚が彼女にはわからない。
だから、ある日、自分が何に信仰を捧げたか、彼女は理解させられる。
いつものように暇を見つけて少女の元へと訪れた彼女は、少女が赤ん坊を抱いているのを発見した。
たいそう混乱した。
だって少女にはそんな様子がなかったからだ。
一瞬あってから、彼女はようやくたずねることができた。
「ええと、親戚の子かなんか? でも親戚いないって言ってたような」
すると少女は、普段の陰気な様子を感じさせない朗らかな笑みを浮かべ、老婆のようにしわがれた声で語る。
「この子は、神」
「……は?」
「いずれ、我ら魔女を導いてくださる存在……『魔王様』なのよ」
だから、この子を
つまり。
抵抗する赤ん坊の両親を殺して、赤ん坊を強奪したのだと。
恩人である少女は誇らしそうに語った。
彼女は、理解が及ばなかった。
けれど、どうしても受け入れられない倫理観と信仰が目の前にあったのだと、この時、ようやく実感できた。
そしてそれは、少し、遅かった。
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