58話 冒険の始まり

 それは、滅んだ世界を取り戻すための冒険だった。


 キリコが記憶の限り古文書を再現したところから、いよいよ旅は始まる。


 慣れた城砦をまるまるアイテムストレージに入れて、広大な平原から古文書を指針にして歩いていく。


 東の戦士だとか、南の魔道士だとか、北の蛮族だとか、そういうざっくりした方角と属性しかない古文書だ。

 粘土板に記された短文から俺たちはあらゆる想像力を働かせて情報を妄想していく。


 歩くしかなかった。

 ……まあ、それは途中までで、木材と石材で車みたいなものを作れるようになってからは、さほど歩く手間もいらなくなった。


 わかってきたこともある。


 この世界、この時代において、人々は大陸の端を囲むように生息していた。

 それは中央の広大な平原には大量のモンスターが出るのが理由らしい。


 俺たちはそれらモンスターをすっかり駆逐してしまったことと、大陸中央に出るために通らねばならない危険な森の中に道路を敷いたことを告げて、人々を大陸の真ん中に集めた。


 なぜそうしているかと言うと、古文書にある勇者がそのような行動をしたのだと解釈ができたからだ。


「……これは古文書の勇者があなただと考えているからかもしれないけれど」


 道路の作成中、キリコが笑いながら語る。


「木々を片っ端からアイテムストレージに取り込んで伐採して、何もない空間から石の道を取り出して敷いていく姿は、『巨大な剣により道を拓いた』としか見えないわよね」


 古文書にそういう一説がある。


 勇者が巨大剣を操るのは、伝統に基づいたことであったが……

 その巨大剣というのが、つまるところアイテムストレージではないかと……

 アイテムストレージを駆使して道を拓く俺の様子を見て、現地の人がわかるように記した結果、『巨大な剣を振って木々を次々なぎ倒している』と書かれたのではないかと、そういう解釈をキリコはしたようだった。


「でも、俺に勇者のスキルはないんだろ?」


「勇者に『勇者』というスキルがあるんじゃないか、というのは、あくまでも私の予想だから。聖女に『聖女』っていうスキルがあったことに基づく予想」


「そうだったっけ」


「……勇者とは、魔王とは、いったいなんだろう、だなんて。そんなふうに、ああでもない、こうでもないって頭を突き合わせていたころが懐かしいわね」


 勇者は、本当に俺なのかもしれなかった。


 魔王は。


 俺が勇者ならば、『命と引き換えに封印した』とされる魔王がなんなのか、それは、わからない。

 俺には封印なんてことはできない。


 ……いや。

 なんとなく『そういうことじゃないかな』と思う方向性はあるのだけれど、命と引き換えにと言われる理由が思い当たらない。

 それに、魔王がもし本当に六十年ごとに復活するのであれば、そんなふうになる封印の方法も、わからない。


 エイミーに魔王のスキルがあることを、エイミーには言っていない。


 ショックを受けるだろうとか、そういうことではなくって、言ったところでなにがなんだかわからないだろうからだ。

 だってそうだろう、『お前には魔王っていうスキルがある!』と言われても、自覚がなければ、なんだかわからないはずだ。

 そのスキルだのなんだのを閲覧することのできる力はキリコにしかないし、この世界の人にゲーム的なスキルというものを認識するには、その概念が共有されていなさすぎる。


 ……という、言い訳で。

 キリコには、秘密にしてもらっている。


 エイミーに彼女が魔王というスキルを持っていると告げても、なにも起こらないかもしれない。

 でも、なにか、起こるかもしれない。


 俺はその変化を嫌って、またうじうじして、現状維持を望んでいるのだ。


 キリコも背中を叩かなかった。

 たぶん、あいつも告げる必要はないと判断をしているか……

 俺と同じように、恐れているのだろう。


「時間の始まりはどこかしらね」


 手持ち無沙汰なのだろう、キリコは頭に浮かんだ疑問を羅列しているようだった。

 あいつがここにいるのは、危険な森で道路工事をする俺の護衛という役割だ。

 けれどもう、最近はモンスターも減ってきていて、この『森を切り拓く時間』は、だんだん大所帯になりつつあって、二人きりの時間が減ってきている俺たちの、貴重な雑談の時間と化していた。


「私たちはここより未来の世界に呼ばれた。そうして、過去に来た。今、すでに書かれていた古文書を頼りに行動している。そうやって時間はループしているとして……最初に勇者伝説の古文書を残した、始まりの時間はどこなのかしら」


「また、答えの出なさそうな設問だな……」


「雑談ってそういうものじゃない」


「その通りだ。……そうだな。世界に最初からあった、とかじゃダメかな」


「……最初っていうのは」


「あるいは、古文書から世界が始まった」


「……」


「それが世界の起源で、俺たちはそれを再現するために、あとから『過去、最初の勇者だった』という役割を課せられた。……時間の始まりは、お前がここより未来で読んだ古文書だった……っていう説」


「世界は一枚の粘土板から始まった。……『粘土板起源説』ね」


「お前のほうはなにかあるか?」


「あら、私の説を聞きたいの? すごいわよ」


「なんだよ。お前がそうやって笑うと怖いんだよ」


「世界はあなたから始まった」


「……」


「あなたが来るより以前、この世界はなかった。あなたが来てから始まって、あなたが勇者たりうる精神と肉体を持つまで、世界が待った」


「自分が世界の中心だなんて考えたこともないよ」


「だから、そう考えられる根拠がそろったあと、勇者になった」


「……」


「だってあなた、ようやく、自分が勇者だって受け入れてるでしょ?」


「それは、だって、受け入れるしかなかったからさ」


「受け入れるしかないところまでお膳立てしないことには、あなたは受け入れないから、そういう状況が作られた」


「……」


「っていう説ね。『勇者起源説』とでも呼びましょうか」


「悪い冗談だな……」


「粘土板起源説のほうが悪い冗談よ。だってこれから先がその通りだとしたら、あなた、命と引き換えに魔王を封印しなきゃいけないじゃない」


「……」


「そんなエンディングは願い下げだから。あなたのこと、なんとしても家族に囲まれて寿命で殺してやるからね」


「寿命で殺してやるとは」


「私より先に逝くのはまあ、仕方ないから、我慢するけれど。それにしたって死に方っていうものがあるでしょう? 世界なんかどうでもいいのよ。私はそれに愛着なんてない」


「だんだん湧いてこないか?」


「それでも世界が、あなたを超えることはない」


「……」


「そこは『俺も同じ気持ちだ』って言うところよ」


「……世界中を騙しても、とは思うよ。でも、世界を滅ぼしても、とは、俺には……」


「違うでしょう?」


「いや、これが俺の正直な」


「いいえ、違うでしょう。あなたが迷っているのは、世界か私か、ではなくって、私かエイミーちゃんか、でしょう」


「……」


「親愛か恋愛かで迷っているんだから、そこは、きちんと認識してほしいわ。世界だなんてそんな、大きいだけで中身のない風船なんかじゃ、私の乗ってる天秤のもう片方の皿に置くには軽すぎる」


「お前は本当にすごいよな。……断固としている。うらやましいぐらいに、ゆずらない。あらゆるものが見えている。いや、見えたものを見えていると決めつけるのに、迷いがない」


「狭量で、自分を疑うことを知らないぐらい愚かで、ごめんなさいね」


「まっすぐで憧れてるんだよ。本当にまばゆいんだ。俺が止まった時に、手を引いてくれるのはお前しかいないって、本気で思う」


「私は、自分のやり方を疑うのが、怖いから。信じたものを運命だと思い込まないと、こんな状況ではやっていけないだけよ」


「……ああ、そう、だよな」


 俺たちは互いに恐怖している。


 世界の命運とか、そういう、大きすぎるものをいきなり背負う羽目になったことに、怯えて、震えて、立ちすくんでいるのだった。


 世界そのものに愛着はなくっても、そこに暮らす友人はいた。

 でも、その世界は友人ごと滅びてしまったらしい。


 俺たちは古文書再現の果てに、きっとあの、友人のいた世界がどうにかこうにか復活するものと思っている。

 でも、そこにはなんの根拠もないのだ。

 ただそこにしかすがる希望がないから、すがっているだけなのだ。


 世界を救う勇者になりたい。

 その先にきっと、なんにもない平和な日常があると思い込んでいるから。


 俺は、迷い迷い、『正しい道』を常に探すことで、恐怖に抵抗している。

 キリコは断固として迷わず、まっすぐに目標をみすえることで、恐怖が忍び寄るのを排除している。


 勇者と聖女という看板を背負わされても、俺たちはどうしようもなく一般市民的で、俺たちの幸せは、放課後に二人でとりとめもない話をしていた、あの夕暮れの教室に今もなおあり続けていた。


 そこに帰る道はとっくに閉ざされて……いや、自らの意思で、閉ざしてしまった。俺は機会があっても、この世界を離れないと決意している。


 そしてキリコもまた、俺から離れる気はなさそうだった。


 ……絶対に彼女にとっての『よりよい幸せ』は俺のそば以外にあると思う。けれどキリコはそれを選ばないようにしているらしい。


 彼女もまた、俺と同じように、あの夕暮れの教室へ帰ることを捨てて……

 俺たちは、代わりの居場所をこの世界に欲している。


 それはスルーズ王女殿下やアレクシス様や、ムチワチニのばあさんなんかがいたあの王都だったのかもしれないと、二人して思っているのだろう。


「帰ろうな」


 そう言った時に、二人が思い描く『帰るべき場所』は、同じものだと思う。


「ええ、そうね」


 イメージを言葉ですり合わせることなく、彼女もうなずいた。


 ……過去の世界で本物の勇者として過ごして、もうじき、一年が過ぎようとしている。

 古文書再現は順調すぎるぐらい順調で、あの平原には俺の生み出した王都の再現物が出来上がり、そこには人が集まってきている。


 さっさと終わらせて、なにかが起こってほしいと説に願う。


 すべてが終わって、それでもなにも起こらなかったら……

 ……その未来は、今は、想像しないで、おきたい。

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