59話 勇者教の興り

 この世界に紙はある。

 けれど、紙を作る技術はない。


 この世界に揺れない馬車はある。

 けれどそれを作る技術はない。


 俺がもたらした様々なものは、俺が懸念していた通りの状況を引き起こしていた。


 俺の生み出したものは、再現ができない。

 俺自身、再現する方法を知らない。


 だから世界には俺の作り上げた馬車だの紙だのと用途は同じ、しかしダウングレードしたものが出回った。

 俺の周りには、俺が作り上げた、この世界の水準を大きく超えたものがあふれているのに。


 気付けば王都ができていて、俺の住居はそこの一番大きな城になっていた。


 一部だけ発展した世界。


 ……身分制度の確立を感じる。

 すなわち『有能なものが、俺の作ったよりよい道具を使うことができて、そうでないものは、俺の作った道具をモデルに用途だけ同じくした劣化版を使う』ということだ。


 信賞必罰。

 どうしたって成果を挙げた者には報いるしかなかったし、そうでない者を報いるほどの余裕は、この世界にはまだなかった。


 差別も身分差もない世界にしようと思っても、俺の目は、俺の周囲にしかとどかない。

 そこを平均的によりよくしていくと、俺の周囲以外との格差が出来上がる。


 そうすると俺の周囲には『よりよい暮らし』をしたい人たちが集まり、閥になり、祭り上げられ、俺はいつしか王のようになっていく。


 開拓と発展がなにより重要な段階において仕方のないことだった。

 全員を均等に貧しくすることはできても、全員を均等に豊かにすることはできない。


 あるいは、もっと政治的手腕に優れた人がいたならば、解決できる問題なのかもしれなかったが……

 俺には、無理そうだ。


「……必要最低限だけ、と思ってても、やることが『開拓』と『城砦の形成』である以上は、やっぱりいろんな道具やインフラが必要になるんだよな……」


「ふふ」


 耳をなでるような心地いい笑い声に目を向ければ、そこにはキリコがいる。


「なんだよ」


「いえ。石造りの大きな部屋で、大きな机にかじりついて、書類を見ながら難しい顔をしてるあなたを見てると、『夫が昇進する』ってこんな気持ちなのかなあ、って」


 なんにもいえなかった。


 たしかに俺は、王城……をモデルにした建物を住居にし、その中に作った大きな執務室にいる。

 壁面には本棚(用途は書類棚だが、戸がない)がびっしりと並び、そこには俺製の紙が、俺製のバインダーに収納されたものが、ぎちぎちと詰まっている。


 それらは俺の裁可を待つ、あるいは裁可をした書類なのだ。


 こうしてデスクワークにより決めたあれこれを下達して、それに従い大量の人が動く。


 たしかに昇進だ。

 階級制度も必要なので設定してしまったおかげで、みごとな縦割りの制度が出来上がっている。俺の立場の呼び名は、いろいろこわくて、まだ決められていないのだが……


「……できればこのポジションは誰かに任せたいところなんだけどな。なんていうか……こんなことを言うとキリコは怒るだろうけど、もしも古文書のとおりに俺が死ぬなり消えるなりするなら、もっと生きる人に引き継いでおくべきだと思うんだよ」


「まあ、そこは『もしもの話』だからね。でも、あなた、気付いてないの?」


「なにが?」


「それはあなたが『勇者』のポジションにいるから心配する必要があるだけで、誰かを勇者のポジションに据えれば、あなたは死なず、初代国王になるかもしれないのよ」


「……盲点だった」


 勇者が命と引き換えに魔王を封印するのなら、たしかに、俺が勇者ポジションをやめてしまえば、俺は勇者的な死に方はしなくなる。


 ただ。


「それは、魔王を誰かに封印させる、ってことだろ。どう転ぶかわからないから、その役目は渡したくないんだよなあ」


「でもあなた、職務が忙しくて勇者どころじゃないんじゃない?」


「それはそうなんだけど……」


「それに、エイミーちゃんのことも、最近、放置気味なんじゃなくて?」


「う……そこを突かれると、その……」


 仕事が忙しくて。

 ……とかいう『口にした時点でダメ』って感じの言葉しか浮かばない。


「あの子は……とはいえ、いろいろあって、たぶん、もう私とは三つぐらいしか違わないんでしょうけど……あの子は、かなり賢くて、遠慮がちよ。あなたの方から歩み寄らない限り、自分から『かまって』とは言えないタイプだと思うわ」


「……お前は? エイミーと交流、あるの?」


「『最近忙しくて』を飲み込んだのは立派だけれど、『お前こそどうなんだよ』は飲み込めなかったみたいね」


「……返す言葉もない」


「あなたの攻撃ターンはあとで設けるわ」


「お前はすごいバランス感覚だよな。自己客観視ができてるっていうか」


「あなたほどは忙殺されてないから、心に余裕があるのよ。……とはいえ、モラトリアムを楽しむのも、ちょっと難しくなりそうな気配があるわ」


「なにか問題が?」


「宗教が興りそうなの。っていうか、興ってる」


 それはまったく考えもしない角度からの意見で、一瞬、頭が真っ白になった。

 口を開いたが、声が裏返るのをおさえられなかった。


「宗教!?」


「勇者教……まあ、『勇者』という呼び名ではないけれど、ようするに、あなたを神格化しようっていう動きね。たぶん『神格化することで、あなたと関連があるかのように振る舞って、あなたのおこぼれがほしいけどどうにもならない層を取り込もう』みたいなものだと思うんだけど」


「…………俺さあ、派閥とか政治とかめちゃくちゃ苦手だわ。なんていうの? 気色悪い」


「わかるけどそうも言ってられないのよ。だから、それが暴走しないようにコントロールする、あなたが信頼できて、なおかつ興りかけた宗教を興した連中が声高に反対できないような出自の、教皇が必要だと思わない?」


「お前じゃん」


「そうよ」


「……俺さあ、急に、この世界……っていうか、ここより未来の世界に来てしばらく経ったころのこと思い出したんだけど」


「なに?」


「『ファンタジー世界だろ! ファンタジーしろよ!』ってすっごい思った」


「いえ、ファンタジーでしょ。女子高生が異世界で教皇におさまるんだから」


「お前もう女子高生ではないよな」


「卒業証書をもらうまでは女子高生だから」


 生涯名乗るつもりのようだった。

 マジか冗談か判断つかないし、『生涯名乗るつもりかよ』と突っ込んでことさら『二度と帰れない世界』を連想させるのもイヤだったので、口には出さないでおく。


「……いや、でもなあ。でもなあ……うーん、やめてほしい……なんていうか、ドロドロしてるよ、宗教」


「まあ興した人はともかくとして、『能力がなくて報われない』と思ってる大勢には、信仰っていう救いは必要なのよね。私、聖女をやってたことがあるんだけど、『清貧でさえあれば死後、報われる』と『悪徳は死後、裁かれる』っていう概念は、『清貧でありつつ自分よりずるい手段で得をしてる人がいる』と思ってる大勢にとっては救いだし、ガス抜きなのよ」


「そんな『コンビニで働いたことあるんだけど』みたいなノリで言うことじゃない」


「人は努力が嫌いだし、自分を変えるのはもっと嫌いだし━━冒険が、本当に嫌いなの」


「……」


「望みたいことしか望めないようにできてるのよね。ここが国家として興りつつある、というかあなたがかたくなに国を名乗らないだけで、ほぼ国家の王都として機能してるのは、多くの人が『大陸の端っこでモンスターに怯えながら細々生きるのがイヤだ』と思ってたからで、そういう大勢にとって、あなたが望み通りの活躍をしたからなのよ」


「わかる、わかるんだ。整理はできてなかったけど、わかってる」


「じゃあ、宗教の必要性もわかるわよね。『正しく生きていればそれを見ている超存在がいて、正しくない生き方をしている者も、それを見ている超存在がいる』っていうおためごかしは必要だもの。それが宗教の役割よ。法と権力でとどかない暗闇を照らす、神の威光なの。……ちょっと聖女っぽい言い回しじゃない? 今の」


「ガチの宗教の人かと思うような完成度だった」


「もう少し表情と声音を作ってどこかでやることにするわ」


「……必然性のないところにはなにも発生しないのはわかるんだ。知らないあいだにできあがったり、うまくいったりすることは、ようするに『流れに乗れた』だけのこと。わかるんだ。本当に、わかってはいるんだよ」


「そして、必然性のあるものは、潰そうとしたって、潰せない。潰せたように見えても燻り続ける。だから、いっそ、公認して管理したほうがいい……と、思うわ。私はね」


「……」


「とはいえ私も聖女経験で、私に祈る人たちを見てきた雑感だけでものを語ってるだけだけれどね」


「お前の雑感すごいと思う」


「クラスの中で常に第三者的立ち位置だったからね。自己をふくめた環境の客観視には慣れてるの。あとね、ヒマだったのよ」


「……」


「ゲームもない、漫画もない、聖典ぐらいしか本がない。話が合う人もいない。こんな環境でできることなんて『考察』ぐらいのものよ」


 はかどったわ、とキリコはなぜかドヤ顔で言った。


 まあたしかに、娯楽がなんにもないと、仲間と騒ぐか、考察するか、ぼんやりながめるか、あとはまあ、うん。


「……わかったよ。お前が全面的に正しいと思う。っていうか……俺もいろいろ限界だし、そのへん、お前に悩むのを任せていいか? 一人では抱えきれない」


「任せて」


「人間にはキャパシティがあるんだよな。現状はどう考えても俺の手に余る。……俺の急務は暇を捻出することだと思うけど、どう?」


「異存ないわ。捻出した暇は……私に、と言いたいところだけれど、エイミーちゃんに使ってあげなさい」


「……そうする」


「三人で使ってもいいんだけれど、それは、あなたとエイミーちゃんとの対話がすんでからの方がいい気がするわ」


「カン?」


「聖女経験」


「お前はいったいどんな経験を積んだんだ……」


「笑顔で立ってるだけで、街中の悩みが集まってくる経験……かしら」


 接客業ね、とキリコは付け加えた。


 あいつの中で、聖女もコンビニバイトも変わらないのかもしれない。

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