54話 メッセンジャー
空から降ってきたエイミーが本当にエイミーなのかという問題提起をしたところ、「さすがに疑いすぎ」と言われてしまった。
自分でも最近はちょっと疑心暗鬼がすぎると思う。
けれどこの猜疑心の強さにはきちんと理由……というか言い訳があって、こんなどこともわからない、モンスターがいる世界で過ごしていると、どうしたって『なにに命を奪われるのかわからない』という恐怖がわきおこるのだ。
これが自分の命ならもっとリスクを切り捨てて行動もできるのだけれど、キリコの生命の危機だと思うと、なかなか勇気ある行動にも出にくいものがある。
キリコは強い。
巨大なモンスターを相手取っても、それを圧倒するだけのステータスやらスキルがある。
ここ最近の俺たちの様子をもしもカメラかなにかで観測している者がいたとして、そいつに聞けばきっと『キリコの命の心配とか、お前はなにを言っているんだ』というぐらい、派手で圧倒的な活躍をしている。
いっぽうで、キリコには生活能力がない。
火起こしや水源の見つけ方など、さまざまな知識はあたえている。キリコは物覚えが早いので、それをきちんと覚える。
けれど、たいていのことは、アイテムストレージがあればどうにかなる。
この能力は『サバイバル』という観点から見た時、あまりにも強すぎるのだった。
俺がいなくなった時のダメージをちょっと測れないぐらいに、あんまりにも強すぎて、そして、能力の利便性に比して、俺自身は脆すぎるのだった。
「言いたいことはわからないでもないけれど、ある程度はリスクを背負っていかないと心が死ぬわよ」
その思い切りのよさがキリコという感じで、やっぱり俺は、そこまで強くなれそうもない。
キリコの思い切りのよさは、『自分の人生は意外となんとかうまくいく』と信じている若者のものだ。
無邪気にそう思うには失敗体験が重なりすぎていて、同じ信念を持つのはかなり難しいものがある。
だから、俺は一つのルールを提案した。
「俺がうじうじしてたら、背中を叩いてくれ」
「物理的に?」
「うん。そしたら覚悟決めるから」
というわけでいきなり背中を叩かれて、エイミー回収とあいなった。
空から落ちてきたエイミーはよく眠っている。
通常、落下によるダメージなんかを気にするところなのだが、キリコの目だと残り体力やら状態異常やらが見えるようで、体調になんの問題もないことはすでにわかっていた。
……このへんも『疑い始めたらキリがない』ところで、キリコの見ている景色が見えない俺からすれば、その能力の確実性みたいなものも、不安に感じてしまう。
いけない。
過去世界生活で、神経がすり減っている。
実感する。楽天的に、基本方針を『信じる』ことにして、あらゆる結果に対して『まあ、しょうがない。自分の行動が招いたことだ。落ち着いて対策を考えよう』なんて余裕たっぷりに思えるのは、精神が安定している時だけだ。
こういう緊急時に、人間としての強さみたいなものが試される。
その点で俺は本当に弱い……最初に異世界転移した時はどうだったんだっけ。
あの時は若かったから、そんなことより、自分の目の前に現れた異世界に対して夢とか希望ばっかり感じていた気がする。
一週間ほどでへし折られる鼻っ柱だったけれど、明るい未来に目がくらんで嫌な可能性が見えない精神状態というのは、案外、人間が危機的状況でも平静をたもつためには、必要なものなのかもしれないと今更思った。
さて、このぐらいの時期になると俺たちの生活拠点はほとんど要塞化していて、急なモンスター襲撃に怯える必要性はなくなっていた。
最初は『屋根があるだけ』だった居住スペースには、壁と床ができた。
その周囲に防壁を張り巡らせることで、この時点でだいぶ要塞感はあった。
防壁があると周囲が見えないので、家を二階建てに拡張した。
そうしたら一層の壁では二階部分を直接狙われるという事態が発生したので、今度は壁を二層にして、屋上階に物見櫓を設置した。
……というようなことを繰り返していき、気付けば五階建て、七層の城壁に守られた要塞ができあがっていたのだった。
二人しか人員がいないからどっちかが常に見張っているわけにもいかないので、鳴子やら、トラップやら、そういうものまで増設していったら、もう完全に城って感じになってしまっている。
これら建築はすべてアイテムストレージの合成機能でおこなったので、その利便性がやっぱり『この力をなくす、あるいはこの力を持った俺がいなくなったあと、キリコは無事に過ごせるだろうか』という不安につながっていくわけだが……
ともあれ。
過剰な安全を確保された居住スペースのベッドで寝こけるエイミーの顔を、ぼんやり見ていられる。
「エイミー、だよな」
俺がみょうにエイミー認定をしぶってしまうのにはもちろん理由があって、久々に見たせいか、彼女の見た目には、なんだか違和感があるのだった。
エイミーに間違いはない。
だが、なにかがおかしい。
じっと観察できるようになるまでその理由について、思い至らなかったのだけれど……
呼吸のたびに上下する胸元を見て、なんとなく、見当がついてきた。
キリコも気付いたようで、首をかしげながら、俺と同じようにエイミーを見て、こんなことを言う。
「ちょっと大きくなってるわよね」
全体的にね。
一歳か、あるいは二歳か。
エイミーは成長しているように見えた。
「もとが十歳ぐらいだったかしら? だとしたら、二歳も成長したら、もっと体が大人になってると思うのよね」
「……そういや、性徴は男より女のが早かったっけ。ああ、でも、この世界ではどうなんだろ」
「そうね。この世界補正を忘れてたわ。……あなた、十年も過ごしたんでしょう? わからないの?」
「いやいや……成長期の女の子とか男の子をつぶさに観察なんかしてないよ」
「それもそうね」
そんなことしてたら危ないわね、とキリコはうなずいた。
「まあでも、成長には個人差があるものだから、見ているだけじゃ判断がつかないわよね。……空から落ちてきたこともふくめて、事情を聞ければいいんだけれど」
エイミーは、話せない。
言葉を一つ発するだけで、膝をつくほど疲弊してしまう。
「あなたの娘でしょう? 文字なんかは教えてないの?」
「もちろん教えたんだけど、エイミーはあんまり好きじゃないみたいなんだよ」
「文字が?」
「ううん。勉強」
「……それで、あなたはどうしたの?」
「無理やりやらせるのもかわいそうかなあって思って、まあ、できる範囲で」
「どうやら娘の教育方針についてすり合わせが必要そうね」
「いや、だって、なあ?」
「『なあ』じゃないのよ。その『わかってくれよ』みたいな懐柔のような、同調圧力のような、降伏姿勢のような、『なあ』をやめなさい。相手に空気を読ませる感じで背中を丸めるその姿勢は、私には通用しないのよ」
だって空気は読むものじゃなくて、読ませるものだから。
キリコは決め台詞のようにそう言った。
さすが、あらゆる付き合いを笑顔だけでやんわり断り続けた女は言葉の重みが違う。
高校時代のこいつが周囲とかかわらず、されどハブられもせずという、ある意味でクラス全員と友達になるより難しい立ち位置を確保し続けられたのは、この信念がかなり大きな要因だと思う。
キリコは笑顔を七種類ぐらい持っていて、それをたくみに使い分けることで、無言のまま相手に望んだ解釈をさせるのだ。
キリコとクラスメイトの会話なんかを聞いてると、声を出しているのはクラスメイトだけなのになぜか会話が成立しているのは、たちの悪い手品を見せられているみたいな、不思議と心に引っかかる見事さがあった。
「いやでもさあ……かわいそうなんだよ……こう、テーブルに着かせるじゃん? するとさ、あの垂れ耳としっぽが『しゅん』ってして、無言でじっとテーブルをながめて、そんで俺を見上げて……」
「あなたに大事なことを教えてあげるわ」
「なんでしょう」
「女の子はね、生まれた時から演技ができるのよ」
「……」
「あなたの『あわれ』を誘うための演技よ、それ」
「いや……いや、まあ、わかってるんだ。さすがに、わかってるんだよ。でも、わかってても、やられるんだ」
「なるほど。……教育方針はすり合わせていくとして、今、問題なのは、『事情の説明をしてほしいのに、言葉も文字も扱えない』というところよね」
「いや、まったく扱えないわけじゃないって! ただその、うーんと……日本の十歳レベルで考えるから話がこじれるっていうか? この世界基準だと、かなり文字の扱いが上手な方だよ?」
「日常会話が筆記だけでスムーズに行くレベルを求めているのだけれど?」
「…………『スムーズ』の度合いにもよるかな? いや、でもさあ、まさかこんな状況になるとは思わないじゃん。それに、数字と簡単な言葉が読めるのって、この世界じゃ少数派なんだって。そこのすごさには一定の理解がほしい」
「いいけれど、次に私以外の女に優しくする時には許可をとってね。嫉妬するわよ」
「あの、娘です」
「エイミーちゃんのパーソナリティは関係ないの。私以外にあなたが優しくするという、この一点だけの問題なのよ」
女心は学校の授業で教えるべきだと思った。
連立方程式より複雑だ。
俺たちの会話は、エイミーという存在を前にして、かつてのような楽しさを取り戻しているようだった。
やはり、俺だけではなく、キリコも精神的にまいっていたのだろう。
……当たり前だ。
だっていうのに俺はぐずぐずと悩んだり、おろおろと狼狽していたのだ。
ああダメだなあ。格好悪いにもほどがある。
無理してカッコつけようとは思わないけど、年上になってしまったからには、やっぱり泰然自若とした安定感を与えたいよなあ。
思い悩んでいると、寝ていたエイミーのまぶたがピクピクと動く。
俺とキリコは目を見合わせてから、声と、息までひそめて、じっとエイミーの顔に視線を注いだ。
エイミーがゆったりとまぶたを開く。
見開かれた真っ黒な目を見て、俺は嬉しさと淋しさを感じた。
目を閉じて眠っている時にはまだまだ子供に見えた彼女が、こうして意識を取り戻すと、すっかり大人びた色合いが濃くなってしまったように思われたからだ。
本当にエイミーで合っているのか?
再びそんな疑問が鎌首をもたげ始めたころ、エイミーは俺を見て、やはり表情は変えないままで、それでもおどろいたような沈黙を三秒ぐらいしてから……
口を。
開いた。
「せか、い」
たどたどしく、精いっぱいの力を振り絞るような、エイミーの、例の調子で。
「せかいが、ほろび、た」
起き上がりかけていた彼女が、どさりとベッドに倒れ込む。
俺たちはただ呆然と、エイミーの顔を見るしかできなかった。
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