48話 勇者の条件

 尋常な勝負が始まった。


 そして終わった。


「なるほど」


 アレクシス様はそう語るとしばし黙り込んだ。

 こちらは訓練場の砂の上に転がされていて、空を見上げている。空が赤い。そろそろ時刻は夕方だ。

 服は背中しか汚れていない。あまりにも一瞬で、あまりにも綺麗な完敗だった。


「いや、正直なところ、おどろきました。まさかなにもないところから突然剣が降ってくるだなんていうのは、初見ではなかなか回避が難しい。たしかにあれは有効な攻撃手段でした」


 それはたしかに感嘆しているような声音だった。


 俺がやったのはアイテムストレージを利用しての奇襲だ。


 あらかじめ剣を収納したアイテムストレージの出口を相手の頭上に出現させて、そこから剣を落とすという方法なのだった。

 ただこれがなかなか難しい。


 俺はのんびりした状況で、手のとどく範囲にアイテムストレージの出入り口を出現させて、そこに手を直接入れて目的のものを探す、というようなことしかやってこなかった。

 それを『戦闘中』『体からやや離れたところに』『逆さまに』『手を入れず目的のアイテムを出す』という方法をとろうとしたものだから、集中が必要で、動きはにぶくなり、アレクシス様にはなにかやろうとしていることがバレバレだったというわけだ。


「もっとたくさん、もっと遠くから武器を降らせることができるならば、僕に刃が届いたかもしれません」


「……そこは訓練不足ですね。もうちょっとうまくやれそうな気配はあるんですけど、なかなかどうして、習熟度が足りない」


「少なくとも剣の間合いの外から、十や二十は同時に降らせることができないと、貴族に通じる技能とは言い難いでしょう。けれど……うん、たしかに、びっくりはしました」


 アレクシス様が手を差し出してくれたので、いつまでも寝転んでいられない。


 その女性とみまがうような華奢で白い手をおそれおおくもにぎって、されるがままに引き起こしていただく。


 戦って倒されたものの、ケガは全然ない。

 痛みもない。

 寝そべったままなかなか起き上がれなかったのは、もう少し通用するだろうと思っていた秘策がぜんぜん通じなかったショックからだった。


 真正面、すぐ近くから見るアレクシス様は、ふわふわの金髪と柔和なまなざしもあり、戦いなんか全然知らない、箱入りの貴公子にしか見えない。


 けれど実際に立ち会ってみるとまず、圧力がやばかった。

 長いこと生きていると奇妙なカンが身につくもので、そのカンはだいたい『一つ間違えたら死ぬぞ』というような時に、強烈な警鐘を鳴らしてくる。


 以前に一度だけモンスターと対面した時に鳴ったっきりだったその警鐘が、今回、殺し合いでもなんでもない、ただ俺の力を見せるためだけの試し合いで鳴りっぱなしだった。


 ただ、正直なところ、アレクシス様が強かったのかどうか、俺にはわからない。


 実力差がありすぎて、気付いたら転がされていた、という感じなのだ。

 速かった。力も強かった。

 でも、彼がどういう動きをしたのかさっぱりわからないので、俺は非常に漠然とした『たぶん強かった』みたいな感想しか抱けないのだ。


 たぶん、俺はあくびが出るぐらいの雑魚で。

 けれどアレクシス様は、満足げに言った。


「あなたは弱い。けれど、強くなろうとしている。僕には勇者ならではの能力を見せてもらえたことよりも、あなたに向上の意思があると確認できたことの方が、収穫でした」


「なんというか……私の実力は、いたく期待外れだったのではないかと、愚考しているのですが」


「あはは」否定はしなかった。「……まあ、それぞれに向いているもの、向いていないものはあるでしょう。スルーズ王女殿下のお話だと、あなたは芸術方面において優れた力をお持ちのようだ。文化的勇者というのも、悪くはない。というより、僕は勇者の腕っ節よりも、文化的功績に興味があるというのは、先に述べた通りです」


 ……アレクシス様は、疑いようもないぐらい、立派な方なのだが……

 三十歳にもなって、十七、八ぐらいの少年に諭される状況というのは、なかなかへこむものがある。


 俺もいい加減に『才覚』とか『環境』とかが人類にはかなり大きな影響を与えていることも、実力に年齢がさして関係ないことも、わかっている。

 だが、頭でわかっているのと、心から理解しているのはまた別だ。……ああ、いやだいやだ。こうやって心は老いていく。できるなら、若者への嫉妬に狂った老害にはなりたくないものだった。


「勇者よ、そもそもの選択権はあなたにありますが、僕は今回の勝負で、あなたに力を貸すのはやぶさかではないという気持ちになりましたよ」


「……こんな勝負で、ですか?」


「勝負の経過だけ見れば『こんな勝負』と言いたくなる気持ちも理解は及ばないではありませんが……そこなのです。まさに、今のあなたを見て、僕はあなたの剣となってもいいと感じた」


「今の私……?」


 客観的に見てどうだろう、と自己分析などしてみる。

 そうして顔を覆いたくなった。……今の俺は、勝負に負けて完全に腐っている。相手が貴族であることも忘れて、『こんな勝負でですか?』などと、不遜なことを述べている。


 こんな勝負で、ではないのだ。

 そもそも貴族と平民とでは勝負にならないのが、この世界の普通だ。


 この結果はあまりにも当たり前の、あるべき結末なのだった。

 それを『もっといい勝負を望んでいた』みたいにがっかりしている自分。……ありえない。俺は自分をもっと大人だと思っていたのに、これじゃあ、悔しくて勝利者に嫉妬して、くさくさしたネガティブな気分を隠すこともできない子供みたいだ!


「申し訳ない。貴族の方に一手御指南いただきましたのに、こんな……なんと言いますか」


「いえいえ! それでいいのです。あなたは僕に勝つつもりでいた。そして、負けて悔しがっている。その様子が、僕には好ましい」


「……ええと」


「僕と真正面からぶつかって勝つつもりでいるなんて、王族やおじいさまぐらいのものです」


 ……この世界は、ほとんど完全に血統で強さが決まる。

 平民は永遠に平民だし、貴族は永遠に貴族だ。


 そもそものステータスやらスキルやらが違うのだろう。

 キリコのようなステータス閲覧能力のない俺には実感をともなった理解はできないが、貴族王族に比べると民衆はあまりにも雑魚、というのはキリコの言葉で、この世界に生きていた俺も、なんとなくそんな価値観を持っている。


 そしてきっと、貴族内でも血統によるヒエラルキーみたいなものがあるのだろう。


 ……そう考えると、『最強の貴族』たる辺境伯の家系であるアレクシス様にまっすぐぶつかろうとしたのは、それと同じかそれより上の血統を持つ人たち、すなわち王族ぐらいのものだったのかもしれない。


「僕は人生においてけっこうな数の勝利を積み重ねてきましたが、その九割以上は、僕の血統に対して相手が勝手に平伏しただけの勝利でした」


「……」


「最初から真剣にぶつかる気など、誰にもなかったのです。それが、普通なのです。結果の見えている勝負に真剣になれる者などいませんからね。優れた血を持って生まれた者は、優れた能力を持つ……それが普通であり、それは覆らないものなのです」


 しかし。


 と、口にしてから、アレクシス様はちょっと黙り込んだ。

 どうにも言葉を探しているような沈黙だ。

 それは十秒ぐらい続いた。


「……しかし。勇者であれば、それではいけないでしょう。平民の出身でありながら、魔王という絶望に挑む気概のある者でなければ、ならないのです。おそらくは僕よりも強い魔王という存在に立ち向かう気概がなければ、能力だけあっても、無意味だと僕は考えています。その点で、あなたはたしかに勇者だった。そう思えたことが、収穫でした」


「……」


「不可能に挑もうという気概。……この『気概』というのは案外先天性のものだと僕は思っていましてね。これがないと、不可能への挑戦はできない。あなたにはそれがある。僕は、それがある人を好ましく思います」


 欲すれども手に入らないものですからね。


 そうつぶやいた。うっかり漏れたという感じの声だった。


 夕焼けを受けて柔和な顔立ちをますます優しくした彼は、すこし悩むようなそぶりを見せたあと、俺へと手を差し出して、述べた。


「またお茶会でもしましょう。それから、試合も」


 握手を求められているのだと気づくのに五秒ぐらいかかった。

 頭が痺れるような混乱の中、すっと手を差し出して「ええ、もちろん」と脳を止めて出てきた社交辞令みたいな返事をするのが精一杯で……


 夜、眠る前にぼんやり天井をながめていた時、ようやく『いちおう、認めてもらえたのだ』と気付いたのだった。

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