45話 アレクシス

 これからお茶会なので、王女殿下にしたてていただいた服を着ることになってしまった。


 その古代中華風の丈の長く袖の広い衣装の上に、どこか西洋風のコートを羽織った姿が、どうやら貴族界隈では正装に位置づけられるようだった。


 俺はといえば、国王陛下との謁見以来の正装ということもあって、緊張して、息苦しくて、すぐにでもきっちりと留められた首元を緩めてしまいたいような気持ちだった。


 女性用と違い一人でも着られるデザインなのだが(コルセットがない)、これもやはり儀礼的な問題というのか、召使に着せてもらうところからが貴族的作法らしい。


 こちらもつい先日、王女殿下に儀礼や手順について言ったばかりなのもあり、断り切れない。

 俺つきとなったロージーさんに着せていただくこととなったのだけれど、ちょっと身長が足りずに四苦八苦する場面もあった。


 今日は俺と、俺つきとしてロージーさんと、仲介人ということでスルーズ王女殿下と、そのお付きのメイドが四名と、あとアレクシス様側も給仕役の者を二名伴うようだった。


 スルーズ王女殿下が仲介役におさまったのは儀礼的判断というやつで、俺がスルーズ殿下を俺側の参加者として連れて行くと、アレクシス様側はソー王子を伴うしかなくなるようなのだ。


 身分の平均化というのか、そういった力が働くようだ。

 貴族のアレクシス様と俺との身分差は、お茶会のメインが俺たちなので、考慮されないことになるらしい。


 このあたりの複雑な決まり事が死ぬほどたくさんあるのが貴族社会というものらしく、それは今着ている服よりもなお、俺の肺を締め付けて呼吸を苦しくさせるのだった。


 メイドたちに案内されてお茶会の部屋に入れば、そこにはすでにテーブルセットが用意されており、アレクシス様が待ち構えていた。


 当年とって十七歳になったらしいその貴公子は、ふわふわした金色の髪を持つ、大人しそうな少年だった。

 線が細い、とまではいかないが、武門のほまれ高い次期辺境伯と言われると、どうにも強くはなさそうに見える。


 だがそれは大いに誤った感想なのだろう。

 この世界において貴族というのはいろんな意味で『力ある者』だ。

 血統で最初から能力が決まるような、夢も希望もない世界観。辺境伯の子は辺境伯レベルで強い。


 元辺境伯の厳しい指導を連日受けている身としては、アレクシス様の穏やかな顔立ちに、細く背の高い体つきに、あの厳しい老人の持つ圧力がそっくりそのまま詰まっているような気がして、ただほほえみかけられているだけなのに、妙に体がこわばってしまう。


「いらっしゃい。どうぞ、固くならずに」


 ……ちなみにここは、参加者である俺の方から『お招きいただきありがとうございます』と言うべき場面だった。


 緊張でさっそくやらかしてしまったらしい。


 こういう時にパニックに陥りがちなのが俺という小心者だ。その悪癖は高校時代からなんにも変わっていない。

 しかし歳を重ねてそんな自分への対処法はいくらか身につけている。

 こういう時にはケースに即した対応を即興でしようとしてもうまくいかないので、頭の中にあらかじめあった手順をなんとしても踏んでいくことにする。


 まずはお招きにあずかったことに対するお礼。

 次にお土産の贈答。

 こちらの侍従からあちらの侍従にお土産がわたり、中身の確認が終わるまで気の利いたトークで場をもたせなければならないのだが、これは最初から免除されていて、トークはスルーズ王女殿下がかわりにやってくれた。

 お土産の中身については王女殿下が選んでくれたので問題なかったようだ。確認が終わったのを見てアレクシス様が着席を促すので、そこでようやく用意されていた椅子に座る。

 最後に仲介役のスルーズ王女殿下がすわったのを確認してから、ようやくお茶会スタートだ。


 美しい白磁に入った透き通る黄金色のお茶を口に含み、さっくりとした食感の、マカロンによく似たお菓子を食べる。

 というか、これ、マカロンだ。


「初代勇者はさまざまなものをこの世界にもたらしたらしくてね、このお菓子もまた、勇者の賜物の一つですよ」


 馬車の中でも思ったが、アレクシス様はけっこうおしゃべりだ。


 彼はいろいろなものが勇者のたまものなのだ、という話をしてくれた。

 ……聞けば聞くほど、勇者は異世界出身の気配が強い。

 また、俺と同じような時代、同じような地域で育った者なのではないか、という可能性も強くなってきた。


 聖女キリコは勇者を探すふりをしつつ、転生者・転移者を探していたとのことだったが……

 その行動方針は偶然にも正解だったのかもしれない。勇者は転生、あるいは転移者なのだろう。

 よくよく考えれば、これだけ『血統イコール能力』の世界観で、勇者みたいな突然変異がこの世界の平民の血統から生まれるとも考えにくい。


 そもそも、転生者・転移者は多いのだ。

 記憶を失ってはいるものの、ステータスにそう表記されている者は、少なくとも十数名いた。もっとじっくり探せば、もっと多く見つかるかもしれない。


 ……アレクシス様が話し上手なのに甘えて、俺は相槌だけ打ちながら、そんなようなことをつらつらと考えていた。

 完全に『聞き』モードに入っている。


 そんな俺に、アレクシス様は告げた。


「実のところ、僕は勇者というものに憧れをもっていましてね。まあ、こんなものは、幼いころに捨てるべきものだとは思うのですが、もしも僕の代に勇者が誕生するならば、そのお供として冒険をしたいものだと、常々思っていたのですよ」


「そうなんですか」


「ええ。僕は勇者の遺したもののファンでしてね。世間における勇者は『生命と引き換えに魔王を封印した者』……つまり『戦闘における功績を残した者』です。けれど、僕にとっては違います。勇者とは文化事業の革新者なのです。世界の時間を百年も二百年も進めた、偉大なる文化人なんですよ」


「……アレクシス様は、戦いのほうがお好きなのかと思っておりましたが」


「戦いは好きではありません。というよりも、僕は、たいていの相手と『戦い』ができないのです。いじめになってしまいます」


「ああ……」


 もちろん血統主義だから、王族が一番強い。

 だが王族の次に強いのは? と聞かれれば、みなが声をそろえて辺境伯を挙げるだろう。

 あそこは血統的にもさることながら、戦いの技法を磨き続けている一族っぽい。そりゃあ、平和な時代に平和に生きている貴族の中には、相手なんかいないか。


「勇者の話は、いつでもワクワクします。初代勇者の伝説についてはいろいろと資料を集めましたし、おじいさまがともに旅をしたという先代勇者の話は、何度もせがんで聞かせてもらっております」


「その話は、私もぜひ、うかがいたいですね」


「ええ。今日は少ししゃべりすぎてしまって、もう時間も残されておりませんが、またこうしてご一緒する機会があったら、ぜひ、次は勇者伝説について語りたいと思っていますよ」


 この『またご一緒する機会があったら』は『(そんな機会はない)』なのか、本当にご一緒する機会があったらという意味なのか……

 前者だとかなりいろんなやらかしをして不興をかってしまってる印象なので、後者であることを願うばかりだ。


「それよりも今日は、こちらからあなたに、聞かせていただきたいことがあるんですよ」


 アレクシス様はにこやかなまま、そう言った。


 俺はうなずいた。


「私からお話しできることでしたら、なんなりと」


「あなたには、なにができますか?」


「……はい?」


「初代、そして先代には、勇者ならではの、とてもこの世界の常識ではおよばない不可思議な力があったようなのです。あなたも勇者に叙任されたのだから、あるのでしょう? 僕はあなたにできる、あなただけの能力が、気になって気になって、仕方なかったのです」


 見せてくださいませんか、と彼は言った。


 俺は、ちょっとだけ返答に迷ってから、


「……わかりました」


 覚悟を決めた。

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