44話 恋と噂の話
「ちょうど服が仕立て終わったところなの」
王女殿下にお茶会のことを相談だけしたら、そんなふうに言われた。
もちろん彼女はいわゆる『貴族的な手順』を好まないので、ロージーさんを通して『話したいことがある』と打診したら秒で俺に与えられている部屋までいらしたわけなのだが……
こういうウキウキと俺の部屋にいらっしゃるあたりも、例の、『スルーズ王女殿下、俺のこと好き説』を後押ししてるような気がしてならない。
たぶん、本人にそんなつもりはないのだろうけれど。
俺はといえばやっぱりスルーズ王女殿下の耳に例の噂について入れる気にはなれないので、あくまでも一般大人として貴族的手順の大事さを説いたりしてみるのだけれど、
「いいじゃない、あなたは貴族じゃないのだから」
と、『これ以上しつこく言ったら不機嫌になる』みたいな顔をして言うものだから、なかなか困るものがある。
部屋にいらした王女殿下の後ろではロージーさんもやっぱり困った顔をしていて、王女殿下はそういうお年頃なんだなあという感じだ。
『大人が経験から信じている正しさ』を押し付けられるのが、生理的に、あるいは反射的に、と言うしかないぐらいイヤな期間がある。
大人は必ずしも正解しないのだが、だいたいのところで七割ぐらい合ってる言動をとる。
ところが子供時代には何もかもに『絶対の正解』だとか『絶対の間違い』だとかがあるものと信じてやまない時期があって、こういう時期に大人から子供へ『でも、このケースでは』みたいな指摘の余地がある言動をとると、容赦なくそこを突き、どうにか従わないように攻め立ててくる。
ケースバイケース、なんていう言葉もあるぐらいで、どのような状況でも絶対の正解と言えるような言動なんぞとりようがない。
だから子供の子供らしい疑問や反応に対して最終的には『いいから従いなさい』と大人なりの強権で抑えつける必要もたまに生じるわけなのだが……
……それは相手がただの子供である場合にしか使えない強権で、スルーズ王女殿下は『ただの子供』とは言えない。
侍従長はじめ王女殿下に従う者の中には、きちんと王女殿下を教育しようという気概がある者が少なくないようにも思われるのだが、やはり立場がら、最後の最後で『強権による正しさの押し付け』にまでは踏み入れないようには感じた。
俺も王族の不興をかうのが怖い。
王女殿下は現在のところかなり友好的だし、彼女の態度がただの気まぐれでないことは充分にわかっている。
それでも『どうしたって触れられたくない部分』が誰にでもあって、そこに不用意に触れてしまえば、昨日までの大親友だって今日から不倶戴天の敵になり得るものなのだ。
しかし、いっぽうで非常に困るのが、王女殿下の軽すぎるフットワークに対して効果的に注意できそうな位置にいるのが俺ぐらいなのがわかってしまうことだった。
たぶん侍従長やらその他保護者的ポジションの人物からの注意は『聞き流す』時期に入ってるんだよな……
うーん、まいった。
この世界観だと村の子供なら多少の注意とゲンコツ一発ぐらいの体罰なら許されるのだけれど、さすがに平民の立場で王族の行動に注意というのは……
ぶっちゃけ責任もない……
ああ、ううん、責任はないんだけど、ここで王女殿下に近所の子供みたいな行動をとられると、のちのち俺が困るのか……
ないとは思うけど、周囲で本格的に『王女殿下、俺に恋してる説』が固まられると、いいことになる予感はしない。
頭の中がぐちゃぐちゃしてきた。
こういう時キリコだったらいいタイミングでキレて全部ぶっちゃけるんだけれど、俺にはその度胸がない。
だからサボらずいくらか思考してから、自分なりに最良だと思う行動をとる決意をした。
「王女殿下、不遜は承知で、お耳に入れたいことがございます」
「なにかしら? 遠慮しないで。わたくしとあなたの仲ではありませんか」
「そういうのです」
「?」
「王女殿下が、私に対してあまりに気安いのを見て、周囲の者から、王女殿下が私に恋慕を抱いているのではないか、という噂が立っております」
「ええ!?」
緑色の瞳をこぼれそうなほど開いておどろきの表情を浮かべていた。
やっぱり認知していなかったっぽい。まあ、侍従たちがそれとなく噂が聞こえないようにシャットアウトしていたのだろう。
それにしても、その激しいおどろきの表情は年相応というか、育ちのいい子特有の上品な感情表現ではなくって、村の子供みたいな、あけすけな感情表現に見えた。
「私も初めて耳にした時にはおどろいたものでしたが、そういった誤解をされるのは、王女殿下の将来のためにも……あー……うーん……」
「ど、どうしたの?」
「申し訳ございません。保身が頭によぎって恩着せがましいことを言いかけました。……王女殿下から恋慕されているという、あらぬ噂が立っている状況は、私たちにとってよろしくないのです」
「え、ええ、それはそうね。だってあなたは聖女と……」
「いえ、それもありますが、あなたは王族で、私は勇者とはいえ、平民なのです。王女殿下であればわかっていただけるものと信じておりますが、私が将来的に聖女ときちんと結ばれたとして、その時に『でも、あの勇者は王女殿下に惚れられていたらしい』という話が出回ることが、どのぐらいの被害をもたらすか、ご想像なさってください」
「ええと……ごめんなさい、わからないわ」
「人は噂好きなのです。もっと言えば、悪人を作り出して正義の棒を振りかざすのが好きなのです。王族の想いをフイにして聖女をとった私と、王族の想いを無視して私を奪った聖女は、世間の人から、よくは思われないでしょう」
「……それは考えすぎなのではなくて?」
「もちろん、そこまで悪いことはまず起こり得ないでしょう。私の今の想像は話が最悪に大きくなった時のものです。けれど、『まず起こり得ない』と『絶対に起こらない』は違うのです」
「……」
「私は、私たちの将来の安泰のために、なるべくリスクを排除したいと考えております。……まあ、勇者に選ばれてしまったので、おおかれすくなかれ、無責任な噂にはさらされるとは思いますが、私は気が小さいもので、『一つ悪い噂をされたら、二つ悪い噂されても変わらない』とまでは思えないのです」
王女殿下は視線をうつむけて考え込んでいるようだった。
まつ毛の長い銀髪の少女は、椅子に座ってじっとしていると、やはりお人形のように見える。
完成度が高い、というか。誰かにデザインされたかのような、ある種人間的ではない美貌がある。
ロージーさんは、そんな王女殿下を後ろから見守っていた。
それはハイハイしていた赤ん坊が初めてつかまり立ちをしようとしているのを見るかのような、手を貸すのをこらえる焦燥半分、成長の瞬間をながめるワクワク半分、みたいな顔だ。
無音になった空間だと、ぱた、ぱた、という、エイミーのしっぽがゆったり揺れる音がよく耳にとどく。
基本的にジッとしていて、例外を除いては決して声を発しない俺の娘は、誰かの声がある時だとほとんど存在しないかのような気配の小ささだけれど、静かな時こそ存在感を増すのだ。
王女殿下は、顔を上げた。
「わたくしが間違っていました」
それは決して心の底から納得できている顔ではなかった。
貴族的な手順を踏むことを『無駄な手間だ』と断じていた彼女が、その手間の必要性を認めたのだ。
無駄だと公言していたぶんだけ認めがたいことだったろうし、やっぱり実際に無駄な部分もちらほら思いつくだろうから、完全納得ではないのだろう。
けれど、
「あなたのために、これからはもう少し、王族として振る舞うことを約束しましょう」
彼女は俺の顔を立ててくれたのだ。
……結果的に、保身に走らなくて正解だったと思う。
これで『あなたの将来のためにも』とかいうルートで説得を試みていたら、たぶん意地でも俺に対する『気安いかかわりかた』をやめなかった気がする。
俺は目を伏せて礼をする。
「ご高配、ありがとうございます」
「……それにしても、アイリーンもただうるさく『王族としての自覚を!』とか言わないで、今のあなたのように言ってくれたら、わたくしも納得するのに!」
「侍従長は……まあその、『王族としての自覚』をかなり重要視されていらっしゃるのでしょう。私にとっての『家族の将来』と同様ぐらいには」
「自覚だなんて、なんだか偉そうで嫌だわ」
「まあ、実際に偉いので……偉いお方が、私のような身分の者と気安い付き合いをしてくれるのは、非常にありがたいのですが、それで降りかかる火の粉もあるのです。……『ケースバイケース』ということですね」
「どういう意味かしら」
ん?
いまのはひょっとして翻訳スキルが働かなかったのか?
あとで検証が必要そうだ。
「ええと、『場合や相手によって行動・対応を変える』という意味ですね」
「なるほど。……相手によって態度を変えるなんて、なんだか不誠実だわ」
「あはははは」
「なによ」
「いえ、失礼。たしかに私もそう思っていた時期があったなあと、懐かしく思いまして。相手によって態度を変えるのは、たしかに不誠実に思われるでしょう。実際に『態度を変えられた人』は嫌な気持ちを抱くかもしれませんね」
「でしょう!?」
「けれど、その不誠実は、長い目で見れば互いを救うこともあるのです。……まさに今さっき私の申し上げたように、王女殿下は私などにも側仕えの者にするように接してくださいますが、それが将来、災いを招くこともあるのです」
「……そうね」
「まあ、私は考えすぎて心配しすぎるところがございますので、やはり、必ずしも正しいわけではないのですが……娘がいるとね。なるべくリスクは避けていきたいと考えるものなのですよ」
「でも、勇者にはなったじゃない」
それはとてもリスクが高いじゃないか、と。
王女殿下は意趣返しのように、悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。
だから俺はその視線を真正面から受け入れて、応じた。
「それには、人生を懸ける価値があると感じたのですよ」
自分と、自分が守るものと、自分が大切にしてきたこと。
そのすべてを質に入れてもほしいものだって、ある。
「……ああ、なるほど」
「どうしたの、急に」
「いえ、なんだか気づいてしまって。……ひょっとしたらこの気持ちが恋愛感情なのかなあ、と」
たしかに大胆で盲目だなと。
そんなふうに、思って……
「あなた、ぼんやりした顔でとてもロマンチックなことを言いますね」
……王女殿下とロージーさんの顔を見て、とてつもなく恥ずかしい発言をしたのだと、あとから気付かされたのだった。
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