38話 『勇者』たるもの

「魔王というのは、『人』だ」


 元辺境伯は、俺が質問すると、六十年前の戦いについての話をしてくれた。


「当時の聖女によれば、『魔王というスキルを持った者』が、魔王となるらしい。我らはそれを倒した」


「スキルを持っているだけで、討伐されるんですか?」


「……ふむ。その疑問は、当時、なかったものだ。魔王はたしかに、魔王としか呼べないような災厄を撒き散らしたし……当時の我らは、全力をもってそれを討伐することに迷っていられるような状況ではなかった」


 私も若かったものでね、と老爺は灰色の目を細めて、当時を思い返すように述べた。


「少し座ろうか」と言って老爺が近くにあった木のベンチを示すので、彼が先に座るのを待ち、俺も隣に腰掛けた。


「スルーズ王女殿下からうかがった話によれば、君はずいぶん熱心に、勇者としての使命を達成しようと志しているようだね」


 そういえば彼が俺の教官役になったのは、スルーズ王女殿下との縁があったからなのだった。


 俺はうなずき、老爺は厳しい表情のまま、応じるようにうなずき返した。


「当時の若い私から見て、勇者には、独特な気配というのか、そういったものがあったように、感じられた。浮世離れしているというべきか……『たしかに、魔王を倒すという大業を成すなら、こんな変人だろう』という雰囲気が、あったのだ。それが、君にはない」


 変人に見えないという評価を喜べばいいのか、勇者っぽくないという評価に危機感を抱けばいいのか……


 老爺は考え込むような沈黙のあと、言葉を続ける。


「君は本当に『勇者』なのか?」


 ……たぶん。

 キリコがスルーズ王女殿下に『ぶっちゃけた』時、こんな気持ちだったのだろう。


 人生には何回かの『賭けどころ』がある。

 それは期せずしておとずれるもので、『あ、今だな』と意識できる時もあれば、まったく気付かないまま、結果として大事なものをベットして行動していた、なんていうこともある。


 今回は、『今だ』と意識できる賭けどころだ。


 辺境伯にぶっちゃけるか、ぶっちゃけないか。


 かつて勇者とともに戦ったという彼に嘘をつき通せる自信は、ぜんぜんない。

 また、いかにも生真面目で、いかめしくおそろしいこの老爺にもしも嘘がバレたなら、きっとおそろしい目に遭うのだろうなというのは、なんとなく想像するところだ。


 だからきっと、今、ぶっちゃけてしまうのが、一番、被害が少ないのだろう。


 俺は言う。


「たしかに、私が『勇者』です」


「……ふむ」


「私はもう若くもありません。英雄たる資質にも乏しいでしょう。私より『勇者』たるにふさわしい、若く、才気あふれる者は、きっと、世の中にたくさんいます。けれど、あの聖女が任じた勇者は、私なのです。私は、この使命を、自分よりふさわしい誰かがいたとして、譲り渡す気はぜんぜんないのです」


「……」


「決意や覚悟で超えられない壁があることも、よく理解しているつもりでいます。……それでも、この使命だけは、決意や覚悟で貫き通すしかないのです。たとえ……たとえ、本当に・・・魔王が・・・出ても・・・、私は、聖女により任じられたこの立場を投げ出すことはありません」


 老爺は、やはりいかめしい顔のまま、俺をじっと見ていた。


 風が吹き抜け、砂塵が舞う。

 それでも目を閉じることなく、老爺の灰色の瞳を見つめ返した。


 老爺は、


「たとえば、山だ」


「……?」


「『身に余る目標を抱く』というのは、峻険なる山脈を登るがごとし。努力すれば五合目までは行けるかもしれん。しかし、ある日、自分が、いただきにたどり着けないことを思い知るだろう」


「……」


「しかし、もう、降りることはできんのだ。宙ぶらりんなまま、登り切ることなどできないと確信しつつ、それでも登っていく以外にないのだ。『できそうもないから、やめます』というのは、不可能なのだ。登り始めた時点で、頂にたどり着くか、真っ逆さまに落ちるかしか、ない」


「……」


「君に、覚悟はあるかね?」


 覚悟なんか、なかった。


 なあなあで、なんとなく始まった『勇者と聖女』だ。

 俺たちは間違いなく被害者だった。

 覚悟を問われる側ではない。理不尽な異世界転移に対し、憤って、泣き喚いて、この身に課せられた不自由から救われる願いを、自分以外の何者かにたくしていい立場だと思う。


 もしも俺たちが、ただの二人の高校生なら、俺たちの恋愛はこんなにも複雑ではなかった。


 でも、異世界で俺たちは『勇者と聖女』を始めてしまった。

 覚悟なんか必要だって理解する前に、星空の下で、無邪気に、始めてしまったのだ。


「私たちは、すでに、登り始めているのです」


「……」


「覚悟など必要だとさえ思いつけないまま、無邪気に交わした約束があります。事態はもう、予想もしないところに転がって、手に余るほど大きくなっています。すでに『できそうもないから、やめます』と言えないところに、私はいるのです」


「……『やめられないから、やる』かね。それはそれで、いいだろう」


「いえ。私は案外、望んでやっているんですよ」


「ふむ」


「私はただの細工師として生きて、このまま死んでいく予定でした。それが最上の幸福だとさえ、考えていました。けれど……『それでは得られないもの』を、どうやら、望んでしまったようなのです。そして私は、どうにも『それ』をあきらめることはできません」


「人生を懸ける価値があるものかね? 人生を懸けるというのは、命を懸けるよりも、ずっとずっと、重いものだよ」


「人生を懸ける価値があります。だからどうか、私を英雄にしてください。聖女から剣をあずかるにふさわしい、英雄に」


 老爺は、じっと、俺を見ていた。


 顔を、目を、背けないようにしよう……そんな決意さえなく、自然と老爺の目を見つめ返すことができた。

 覚悟は決まっていなかった。これから先もきっと、おどおどしたり、よたよたしたり、後悔したりすることだってあるだろう。


 でも、今この瞬間だけは、間違いなく、覚悟を抱くことができていた。


「よかろう」


 老爺はうなずき、


「期間は一年と聞いている。その期間で、君に、『英雄たるにふさわしい剣術』を与えよう。『英雄の技』……それが、私に与えられるものだ」


「ありがとうございます」


「いやしかし、見誤ったようだ」


 老爺は唐突にそんなことを言って……

 ふっと、表情をゆるめた。


「君は普通の男かと思ったが、なるほど、なかなか、変なやつだな。……あの子スルーズが熱心に力を貸したがる理由も、なんとなくわかる」


 その表情は、孫を見る優しいおじいちゃんそのものだった。

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