37話 辺境伯

 その日の午後には辺境伯がおとずれるということで、スルーズ王女殿下に呼び出された。


 辺境伯と聞いていたのだが、その人は王宮に参上する時点では『元辺境伯』……つまり息子に家督をゆずってきた、そうなのだ。


 なんでも俺のコーチをするにあたって、長く領地を離れることが予想されたので、『いざ有事が起こった際に領地から離れているようなものが当主であるべきではない』と、息子に家督をゆずったのだそうだ。


 その話を聞かされた俺の気持ちたるや。


 すなわち俺のために当主をやめたおじいさんなのだった。


 緊張で吐きそう。


 そもそも、元辺境伯はおん年七十三になるお方だ。


 この世界の人の平均寿命が六十歳ぐらいなので、だいぶ長く辺境伯の地位にあったことになる。

 つまり三、四十年前ぐらいに家督をゆずっておくべき年齢であるにもかかわらず、長く在位し続けた『辺境伯』という地位を、『勇者を鍛えるから』という理由で息子に譲ったのだ。


 緊張もするっていうものだ。

 運動場で待つあいだ、早く来てほしいという気持ちと、会いたくないという気持ちがコンマ秒で入れ替わりながら精神を圧迫してくる。


 辺境伯、すなわち貴族と初顔合わせをするのに運動場というのもおかしい気がするのだけれど、ここが辺境伯が俺と初対面をするのに選んだ舞台なのだった。


 通常は王宮詰めの騎士たちが訓練をしているようなのだが、今日は本当に誰もいなくて、がらんとしている。

 砂の敷かれた地面をなでるような風が吹き、砂塵を巻き上げ、消えていく。


 いきなり運動する展開だろうなと思ったので、平民服というのか、普段の色も地味な麻のシャツとズボンという格好でいるのだけれど、この服装決定にもだいぶ葛藤があった。


『貴族に相対する』つもりで、高級な服装で行けばいいのか……

 それとも『運動場に呼び出された』ことをかんがみて、動きやすい服装で行けばいいのか……


 けっきょく後者を採用したわけだが、たどり着いてからというもの、人払いでもされているのか、がらんとした運動スペースで待っているあいだ、ずっと不安な気持ちでいっぱいだった。


 ドキドキしながら待っていたところ、謁見の間がある方角から、厳しい顔をした老人が現れた。


 背筋のピンと伸びた歩き姿はそれだけで周囲の空気を張り詰めさせる威圧感がある。

 体は大きくもなく小さくもないようで、目の前に立たれるとちょっと見下ろすぐらいの身長だ。

 しかし、重圧というのか、迫力というのか、そういったもののせいで俺より大きいかのように錯覚してしまう。


 白髪を後ろになでつけた老爺は、シワの目立つ目尻をきゅっと釣り上げて、射竦めるように俺を見た。


 灰色の瞳から放たれた視線には物理的な威力が込められているようで、ただ見られているだけだというのに、思わず半歩あとずさってしまった。


 老爺は「ふむ」とつぶやいて、短い顎髭を撫でると、ようやく俺に向けて話しかけてきた。


「君が今代の勇者かね」


「は、はい」


「失礼ながら、そうは見えんな」


 これは圧迫面接のような『あてずっぽう』なのか、それともなんらかの力で俺が本当は勇者じゃないことを見抜いているのか、判断がつかない。


 こういう時にキリコがいてくれればうまいこと機転をきかせたのだろうけれど、俺はどうしようもなく不器用で、ボロが出ないように黙りこくるしかできなかった。


 老爺は口ひげに隠れた口元を小さく動かし、なにかをつぶやく。


 あまりに小さな声だったので、聞こえなくて、俺は思わず身を乗り出した。


「はい? なんですか?」


「いいや。……ふむ、しかし、これは骨が折れる。これから君を魔王に最低でも一撃与えられるように鍛えねばならんのだが、訓練はつらく厳しいものになるだろう」


「……覚悟だけはしています」


 辺境伯はいかめしい顔のまま、うなずく。


「結構。だがね、覚悟だけではどうしようもないこともある。魔王というのは、強く、恐ろしいのだ」


 そういえば、七十三歳。

 キリコの調べた周期通りなら、この辺境伯は、十三歳のころに『魔王出現』を経験していたことになる。


 それは神殿のでっちあげたイベントなのか、本当に魔王なるものが存在するのか……


 老爺は、語る。


「若き日、私は、勇者とともに、魔王と相対した」


 昔日を懐かしむように、シワのある目尻を細めて、


「その魔王を封じるのに、君では力不足……いや、才能不足のように、感じられるのだ」

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