36話 噂の真相

 王宮に帰ってから、とりあえずロージーさんにたしかめてみようということにした。


 部屋に帰り、『特に予定に変更はない』と紫髪のうつむきがちなメイド少女から聞いて、彼女が退室しようとするのをそのまま引き留めた。


 ロージーさんは世界の終わりみたいな悲壮感あふれる顔で押し黙り、唇を噛むと、消え入りそうな声で「はい……」とつぶやく。


 呼び止めただけなのにそこまで絶望されるのはけっこう心に刺さるものがあるのだが、内気そうな十代の少女に対し、彼女に暫定的命令権を持つ三十代山男が『待て』と言ったシチュエーションを思えば、恐怖も絶望もあるだろうなと理解できる。


 俺は警戒心を解くためにエイミーをそばに座らせ、ロージーさんにも椅子を勧めた。

 しかしこれは悪手だった。

 メイドが勤務中に着席をうながされることはまずない。予想外の命令にロージーさんは戸惑い、あきらかにオロオロし始めた。


 俺は命令を撤回して、立ったまま話を聞いてもらうことにする。


「そのですね、王女殿下と、私のことで、なにかよくない思い込みがあるんじゃないかと、そういう話をさる筋から耳にしたもので、確認をしたかったんです。それから、誤解があるなら、解いておこうかと」


「え、えと、その……」


「まさかと思う話なので、私自身も意外な感でいっぱいなのですが、その……王女殿下が私に好意を抱いていると、そういう誤解が出回っていると、聞きまして」


 するとロージーさんは「ひっ」と素早く大きく息を吸い込んだ。

 ……わからない。その反応は『正解』なのか『恐怖』なのか。


「心あたりがなかったら、今の話は忘れていただけるとありがたいのですが」


「あ、そ、その……噂好きなメイドが、そのような話をしているのは、聞いたことがあります……」


 マジらしかった。

 キリコ、本当にすごい。たった一度、メイドたちの様子を見ただけで言い当てたのだ。


 俺がおどろいて固まっていると、ロージーさんはたどたどしく、しかし何かに追い立てられるかのように言葉を続ける。


「あ、で、でも、そういう噂は、その、わたくしの力では、その、止められないと、言いますか……き、聞こえるたびに、否定してまわれとご命令なさるなら、し、従いますけれど、あの、わたくしは、そういったことが、不得手で……」


 不得手そう。

 実際、『流れてしまった噂を止めろ』というのは相当に難しいことがすぐに理解できる。自分がもしも『やれ』と言われたら、まず方法がわからない。


 誰かが一度でも否定すればすぐに消えるなら、簡単だろう。

 けれど人は想像する動物だ。

 気弱で、おそらくそういう噂に参加しないロージーさんが、噂を聞くたび『それは事実ではありません』と否定して回ったとすれば、逆にあらぬ誤解を招きかねない。


 なにせロージーさんは俺付きであり、王女殿下の信頼あついのだ。

『二人からの命令で噂の鎮火にまわっている』と捉えられそうだし、そう捉えられてしまえば、噂は『そう察することができる』というレベルから『事実』ぐらいに確度が上がってしまいかねない。


 だいたい噂好きのする噂なんていうものは、旬が過ぎれば勝手に消えていくものだろう。

 むしろ手を加えたほうが燃え上がる可能性が高そうだとさえ思う。ならば、このまま放置するのが最良の手段だろう。


 王女殿下への報告は……


「あの、ロージーさん、これはあなたが王女殿下と深い関係性をお持ちだと見込んでの質問なのですが」


「はい……」


「王女殿下はあの年齢にして、ずいぶんと成熟した考え方を持っており、なみなみならぬ才覚を感じさせるお方です。けれどその、なんと言いますか……噂への対処、などを、してしまいそうな感じですか?」


 ロージーさんはしばらく、考えるような間をあけてから、


「それは、その、殿下に、今のお話を報告した場合、噂を否定して、話を大きくしてしまいそうかどうか、という、ことでしょうか?」


「そうです。私としては、このまま放置して消えるのを待つほうがいいのではないかと、そう考えています。王女殿下は普段のご様子から、話をさせていただいていると大人のようだと感じるのですが、そういった、情緒にまつわる問題において、急に年相応になられるかどうか、という……」


 どういう言い回しをすれば、王女殿下に失礼でなく、ロージーさんにも失礼でなく、正確にこちらの意図が伝わるのか、ちょっとややこしい。

 そのややこしさがいらぬ難解さを生んでしまっているのは自覚するところで、実際、ロージーさんはまた、言葉を噛み砕くための思考時間みたいなものを必要としたようだった。


「……わたくしの、私見ではございますが、その、お耳には入れないほうが、よろしいのではないかと。ただ……」


「……」


「わたくしどもの意図せぬところで、お耳に入ってしまった場合、何が起こるか、読めないところがございますので、誰かからお耳に入れる前に、こちらからお耳に入れるのは、そう間違った選択でもないようには、思えます」


「なるほど」


 周囲の状況ばかりは読めない。

 放置していれば案外明日にでも消えている噂かもしれないし、あるいは確たる証拠がないのが逆に作用して、ずっと燻り続けるたぐいの噂かもしれない。

 そもそも……


「そもそも、なぜ、そのような噂が流れたかなどは、わかるでしょうか?」


「王女殿下が男性に服を仕立てさせたことは、今までに一度もないのです」


「……」


「気に入った女性には、それこそ、毎日のように服を仕立てた時期はございましたが……男性に服を仕立てさせたのは、勇者さまが初めてのことです。また、あの神殿嫌いの殿下が、神殿の聖女から選ばれた勇者さまの後援に早々と名乗りをあげられたことなども、噂と無関係ではないように思われます」


「ああ……いやしかし、我々には、それこそ親子ほどの年齢差がありますし、私は貴公子という風体ではないですし……」


「年齢差は、陛下のもっともお若いお妃さまが三十歳年下であらせられます。加えて、貴族社会では、老紳士が若い妻を迎えることに、さほどの珍しさはございません。二十程度の年齢差であれば、疑問を感じる者も少ないでしょう」


「はあ、そうは言っても相手はまだ成人前なのですが」


「あなたから王女殿下へ、であれば周囲ももう少し違った反応だったと思われますが、王女殿下からあなたへ、なので、あの年頃の少女が年上に憧れるのは、さほど珍しくもないのです」


 貴族社会のあれこれが複合的に作用しているなあという感じらしい。

 少しばかり口がなめらかになってきたロージーさんは、こんなふうに続けた。


「それに、勇者さまのお姿は、その、王宮で過ごしていると、あまり見ないものですから、冒険心をお持ちでいらっしゃる王女殿下の目には魅力的に映ったのではないかと」


「……なるほど」


「……あ、いえ、その、これは……」


「いえいえ。貴公子ではないのは充分に自覚するところです」


「ただ、その、はっきり申し上げますけれど、勇者さまの見た目にかんしましては、物珍しくはありますけれど、それは、悪いという意味ではないのです。勘違いだけは、なさらないよう、お願いいたします」


 その弁解はただのフォローではない真剣さが感じられて、実際に『珍しい』であって『悪い』ではないんだろうなというように思えた。

 まあしかし『珍しい見た目』というのもそれはそれでなんかうーん……みたいな感じではあるので、苦笑がこぼれてしまう。


「……ともあれ、わかりました。噂はあるし、王女殿下のお耳に入ると、どういったことになるかわからない、と」


「はい。……あの、差し出がましいかもしれませんが、その……王女殿下がたびたび口になさる『高貴な女性』というのを、わたくしどもは、王女殿下ご自身のことではないかと、そういう気持ちで聞いているのです」


「ああー……なるほど。いや、そうだな……王女殿下のお墨付きもあるので、ロージーさんにだけは明かしますが、実は、王女殿下は、私と聖女の間を取り持とうとしてくださっているのです」


「聖女さまですか!?」


 ロージーさんの声が二段階ぐらい高くなった。


 勇者と聖女というと、さほど結びつくのに問題なさそうに思えるのだけれど、それはどうやら、メイドにとっては王女と勇者以上に意外な組み合わせだったらしい。


 というよりも、俺と王女殿下も、俺とキリコも、まさに『美女と野獣』みたいな感じが強いので、どっちも相応に意外だと思う。


 相手が混乱してしまったせいで、妙な間があいてしまった。

 なんだかいたたまれずに、俺は言葉を続ける。


「『取り持とうとしてくださっている』というのは、少々ばかり間違った言い回しでして、実際のところ、すでに関係性はあり、あの聖女に釣り合うように私を鍛えてくださろうとしている、というのが、正しいところですね」


「すでに関係性が!?」


「……あ! いや、その、互いの気持ちは確かめ合っている、という程度の話ですよ。念のためにね」


「は、はあ……なるほど。申し訳ございません、わたくし、少し、のぼせてしまったかもしれません。その手の話は、その、ええと、あの……嫌いというわけでは、ないのです。混ざるに混ざれないというだけで……」


「わかります。……なので、王女殿下が私に恋慕しているというのは、あり得ないことなのです」


「いえ、それでも、ありえてもいいのでは?」


「……うーん、いい悪いはおいておいて、王女殿下は実際に応援を約束してくださいましたから、ないと私は予想しております」


「あ、は、はい。そうですね。申し訳ございません……」


 ロージーさんは少しばかりはしゃいでいるようだった。

 今後も付き合いが続く人と心の距離が縮まるのはいいことだと思いました。


「……まあそういうわけでして、王女殿下のお耳に入れるかどうかもふくめて、なるべく早くにアドバイザーに相談をしてきますので、ロージーさんは、勘違いのなきように、どうぞよろしくお願いいたします」


「うけたまわりました。その、アドバイザー? の方がいらっしゃるのですか? この手の問題に?」


「まあその、私より判断力に優れ、私より機微にさとく、私よりこの手の問題への見識が深い? 者がおります。実際その者は、私を取り巻く環境に少し触れただけで、メイドたちのあいだの噂を看破したのです」


「なるほど。……はあ、いえ、その、勇者さまも、この手の噂に悩まれる方だったのですね」


「まあ、長く身を置くことになりそうな環境ですので……それから、王女殿下の名誉のためにも、あらぬ噂はなるべく早くに払拭するか、あるいは立ち消えてもらう方法を発見するかしたいなと、そういった気持ちです」


「もっと無骨な方なのかと思っておりました」


「ただの小心者ですよ」


 俺がそう言えば、ロージーさんははにかむようににこりと笑った。

 恋愛関係の噂話というのはひどく疲労するけれど、この相談の結果がその笑顔なのだとすれば、疲労に見合った報酬はあったように思える気がした。

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