第4話

 翌日の午後。喫茶店エスペランサ。大学から少し離れた場所にある俺のアルバイト先だ。スペイン語で「希望」という意味のしゃれたお店である。パリをイメージした店内には出窓があり、壁には絵もかかっていて落ち着いた雰囲気でくつろげる。

 俺はこのお店のウエイター兼、レジ係兼、皿洗いとして大学の講義の合間をみて働いている。俺としては非常に居心地のよい職場だと思っている。


 それはそれでよいのだが。実は今朝、吹雪を連れて大学に行くと正門で早波若葉が待ち伏せしていた。


「お、おう若葉おはよう」

「おはようじゃないわよ! き、きのう何度もLINEしたのに! な、なんでスルーするのよ! それにしょうちゃん、今日もそのコと一緒? ま、まさか、その、えーと、どどどど同棲してるんじゃ……」

 若葉のすさまじい剣幕にビビる俺。

「わ、若葉、落ち着いてくれ」

「わたしは冷静です! 冷静ですよ!」

 なにが冷静なもんか。

「若葉さん、おはようございます! きょうもかわいいですよ!」

 火に油を注ぐような吹雪の発言。

「なんですって? アマギリさんでしたっけ。アナタいったいしょうちゃんとどういう関係?」

「ワタシは天霧吹雪です。天の霧に吹く雪、覚えておいてください」

「しょうちゃん、何よこのコ! サイテー最悪!」

「まあ! 若葉さんらしくないですっ」


 にらみ合う吹雪と若葉。金髪碧眼VS黒髪ポニーテール、バチバチと火花が……。しかし傍から見ると、俺と若葉の痴話げんかにしか見えないだろう。事実正門にいる警備員さんは苦笑して俺たちをながめている。


 俺はこの修羅場をどう切り抜けるべきか。サモン、サモンと召喚獣を呼び出したい心境だよ。

「若葉、若葉、降参だよ降参。こんどゆっくり説明するから」

「しょうちゃん、わたしに隠し事はしないで!」

「わかったよ、わかった。そこにいる吹雪はな、吹雪は……」


 ちょうどそこへ眉村のヤツが通りかかった。これぞ天の助け、神サマ、仏サマ、眉村サマ。眉村から後光がさして見えたよ。

「眉村! いいところに来たっ、ダッシュだ! ダッシュ!」

「な、なんだっ、いきなり!」

「いいから行くぞ! 若葉じゃあな」

「しょ、しょうちゃん待ちなさい! まだ話終わってないでしょ!」


 俺と吹雪は、わけがわからないでいる眉村を引きずるように若葉の前から逃走した。

 後のことは、ご想像におまかせする。憮然とする眉村をなだめるのに苦労したよ。でも助かった。今日はなんとか逃げ切ったが、いずれ若葉には天霧吹雪の正体をキチンと説明するとしよう。


 そしてようやく午後。俺と吹雪は喫茶店エスペランサに到着した。ドアを開けるとコーヒーの香り。


「おはようございます! お疲れ様です」

「章太郎さん、お疲れ様!」

 店内から元気のいい返事があった。このお店のマスターの娘、有明カスミさんだ。亜麻色のショートカットの髪、ボーイッシュな雰囲気である。若百合女子大学の二年生だが、お店の手伝いもしている。よく気の付く働き者だ。

 さあカスミさんと交代して仕事、仕事。となるハズだった。のだが……。

「章太郎さん、そこの人誰? まさか……えーと天霧吹雪さん?」

「えっ」

 俺は思わず絶句した。


 そうだった。俺は肝心なことを失念しておりました。前に若葉がお店に遊びに来てカスミさんと出会い意気投合、友達になっていたんだっけ。

 今朝の一件で怒り狂った若葉からカスミさんに連絡が入り……。それにしてもまさかカスミさんにも吹雪が見えるの? これは想定外の事態である。サモン、サモン、召喚獣出て来てくれー。


「カ、カスミさん、誰ってその……」

 俺は恐る恐るお聞きしました。

「章太郎さんのとなりの金髪のお方ですけど。若葉ちゃんから聞いてはいましたが……。本当にきれいな方ですね」

「カスミさん、み、見えるんですか?」

「わたしにもワケの分からないことを言うんですか。バイト先にまで連れて来るなんて……」

 ここはもう吹雪にいったん消えてもらうしかなさそうだ。


「カスミさん、ちょっと待っていてください」

 俺は吹雪を連れていったん店の外に出た。

「おい吹雪、どうなってるんだ。カスミさんにもおまえが見えるようだぞ」

「だから言ってるじゃないですか。例外があるって」

「またそれか。大学はともかくバイト先では困るよ。悪いけど先に帰ってくれ」

「もう、しょうがないですねえ。じゃあ今日は必ず一緒に小説を書きましょう。それにしても章太郎さんモテモテなんですね」

「いいから早く帰れっ」

 吹雪はにっこり笑うとこつ然と姿を消した。


 俺は改めて店内に入った。

「よしカスミ、章太郎君が来てくれたから今日はもういいぞ」

 カウンターの奥から有明マスターの声がした。カスミさんのお父さんである。

「すみません、遅くなりました」

 俺はカスミさんに頭をさげた。カスミさんは黙ってエプロンを外した。なんか怒ってるような気がする。吹雪のせいだきっと。

 カスミさんにも天霧吹雪が見える。若葉だけかと思っていたがとんでもない間違いだった。いわゆる「特別な感情」というヤツか。しかしこれでは「特別な感情」の大安売り、バーゲンセールだよね。在庫処分じゃあるまいし。


「章太郎君、カスミと何かあったのかね?」

 カスミさんが退場すると、有明マスターに声をかけられた。やはり娘さんが心配なんだろう。

「いえ、何もないです。大丈夫です」

「そ、そうか。うん、そうだよね。まあがんばってくれ」

 有明マスターなぜか少し残念そうだった。


 この有明マスター時々妙なことを言う。たとえばついこの間も……。

「ところで章太郎君、卒業したらウチを手伝ってくれるとありがたいんだが。どうせ就職するの難しいんだろう? なあカスミどうだ?」

「お、お父さん! な、な、なんてこというの! 章太郎さんに失礼でしょ」

「いやあ、俺なんか……。アハハハ」

「章太郎さん、ホ、ホントごめんなさい」

 カスミさんなぜか真っ赤になっていたっけ。でも喫茶店に就職というのも悪くない気がする。それにこのお店雰囲気いいし。だが待てよ、それって有明マスターのあとを継ぐってこと? ということはカスミさんと……。いやいやそれはないない。ムリだよムリ、相手は若百合女子大の才色兼備のお嬢さまだし。ハハハ……。


 話がそれたが、今日のバイトは無事終了いたしました。おかげさまでね。そして帰宅。さて今度は吹雪の相手をしなければならん。変な意味じゃないよ。小説執筆の再開が待っているのだ。何を書くかはもう決めている。


 俺は吹雪とノートパソコンの画面を見ていた。久しぶりに小説投稿サイトを訪問中である。『天霧吹雪』のペンネームが登録されているのが確認できた。ワークスペースには俺が過去に投稿した作品のタイトルが並んでいる。ほとんどが二万字以下の短編である。改めて見直すと我ながらけっこう恥ずかしいよね。


「さあ章太郎さん、やっとワタシの出番ですね」

「今日もイロイロあったが、やるとするか。しかし久しぶりだなあ」

「ホントそうですよ! ワタシがこうして出て来たからにはがんばってもらいますから」

「よく言うよ。おまえ若葉やカスミさんに見られているんだぞ」

「まあ細かいことは気にしない、気にしない。小説執筆に集中しましょ」

「俺は和泉マサムネ先生と違ってそんなに速くは書けんからな」

「ふーん、エロマンガ先生にいいつけますよ」

「さよですか、どうぞご自由に。でもマサムネ先生の速筆は有名だからなあ」


 俺と、俺の分身、世界一可愛い『天霧吹雪』の夢……。その第一歩をいま踏み出そうとしている。さてどうなることやら……。


 











 


 







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