第5章 探せ! ドラゴンの卵!

「これはまぁ……盛大にやってくれたねぇ……」


 ファントムパラディの大きな山グラン・モンターニュの頂上。ファントムパラディの紫色の空に浮かぶ雲よりもはるかに高い標高に存在するその場所で、ディティは目の前にそびえるように存在する大きなファビュラスベートに向かってため息をついた。


 ディティが立っているその場所は、グラン・モンターニュの頂上にある卵竜オフドラゴンの巣の上だった。白い雲をかき集めて作ったようなフカフカの白い地面が、お椀上に山の頂上に乗っている不思議な姿をした巨大な巣の上で、ディティとディティに連れられて共にやって来たマライアは、標高の高さゆえに冷たく二人の頬を打ちつける風に凍えていた。


 ディティはいつもの小汚いコートに赤いマフラーを首に巻いている。マライアはモコモコの白い厚手のコートに、手袋、マフラー、そしてブーツを履いて完璧な防寒をしているが、それでも寒いのか頬を赤く染めていた。


 そして、二人の前には半ベソをかきながら「キュイ……」と情けない声で泣いている、大きなオフドラゴンがいた。


 白い羽毛が生えた大きな卵型の胴体を持ち、その胴体から短い手足、尻尾、そしてどうやってその巨体を持ち上げるのか原理が一切わからない小さな翼が飛び出した、ドラゴンのようなファビュラスベート。頭から生えた二本の角は短く、先が丸まっており、つぶらな瞳はとても愛くるしい。その愛くるしい瞳を潤ませながら、二人の目の前にいるオフドラゴンは泣いているのだった。


「あのねぇ……いくら君たちの卵が頑丈とはいえ、この高さから落とすのは流石にやばいんだから気を付けようよ……」


 泣きベソをかいているオフドラゴンを前に、ディティが額を押さえる。


 二人の目の前にいるオフドラゴンは、今年初めて卵を産んだ新米の母ドラゴンで、卵を孵すために懸命に山頂に巣を作り、巣に卵を運ぼうとしたところ、途中で卵を落としたらしいのだ。


 今朝、仲間のオフドラゴンの群れがディティたちの住む森の小屋まで降りてきて、懸命になにかを伝えようと鳴いてくるので、ディティがなにかあったのだと理解して、慌ててマライアを連れて山頂に来ると、半ベソかきながら自分の卵を探す母ドラゴンに泣きつかれたのである。


「しかも? どんなに麓を探しても一個も見つからないって、それ、絶対人間界に行ってるよねぇ?」


 オフドラゴンが巣を作るグラン・モンターニュの麓に広がっているのは夢見の森レーブフォレと呼ばれる白い森で、そこには霧に隠れし一角獣ブルイヤールボアが多数生息しており、霧が大量に発生しているため、世界の境界線が非常に曖昧だ。そこに落ちたはずの卵がすべて見つからないということは、おそらく、すべての卵が人間世界に行ってしまったということだろう。


 相変わらず笑顔を浮かべながらも怒りを滲ませているディティに向かって、オフドラゴンが非常に申し訳なさそうに「キュイ……キュイィ……」と鳴きながら頭を下げている。見上げるほど大きなドラゴンが懸命に頭を下げている姿は、はたから見れば酷く滑稽だ。


「まったく……卵六つの内、有精卵は一つだけでそれ以外は無精卵。でも、君たちはどれが有精卵かわからないんでしょ?」


 ディティの問いかけに、オフドラゴンがコクコクと激しく首を縦に振った。とても申し訳なさそうに「キュイ……」と一声鳴く。


「じゃあ、六つ全部探し出さなきゃなぁ……あのねぇ、卵とか生れたての雛とかはまだその世界に定着していなくてすぐに認識の壁を超えちゃうんだから、気をつけないとって何度も……ていうか、六つ全部人間界に行っちゃったの君ぐらいだよ……」


 ため息をつき続けるディティに、オフドラゴンはとても、とても申し訳なさそうに「キュイィ……」と鳴きながら頭を下げ続けている。その様子を見ていたマライアは不意にディティとオフドラゴンの間に立ちふさがるようにして立つと、両手を広げ、「マライア?」と困惑するディティに向かって首を横に振った。これ以上責めないであげて、と言っているようだ。


「いや……うん。マライアは優しいね……でもね、これだけは言わせて……?」


 ディティがマライアの顔色を窺いながら苦笑する。


「新米ママのたびに卵落してるから、この種族……」


 ディティの言葉にオフドラゴンが更に深く、深く頭を下げる。そして、チラリと自分を庇ってくれたマライアの方を見て、マライアが「それは想定外」という表情をしているのを見て、ガーンッとショックを受けた。マライアがオフドラゴンに向かって苦笑し、ディティの隣に戻る。


 味方に裏切られたオフドラゴンはしばらくオロオロしていたが、苦笑しているディティを見て「キュ、キュイ……‼」と鳴きながら頭を下げた。


「仕方ない……早く見つけないと大変なことになるしなぁ……とはいえ、僕だけで見つけるのは大変だし、マランを頼ろうにも飴を切らしてるから動いてくれないしなぁ……」


 ふと、ディティはマライアがかすかに震えているのに気が付き、自分が首に巻いていたマフラーをマライアの首に巻いた。マライアがマフラーに顔をうずめる。


「……人間界の探し物は、人間にやってもらうかぁ……」


 ディティが呟き、マライアはついに寒さに耐えかねたのか、ディティの隣から離れて涙を浮かべているオフドラゴンに駆け寄っていくと、羽毛が生えた丸い身体に抱き着いた。そのまま身体に顔をうずめ、頬ずりをする。


「お友達特権、使うか」


    ◇


 フランス、パリの警察署の一室。客間に通されたディティとマライアは、ソファーに座り、優雅なティータイムを行っていた。


「あ、マライア。これ美味しそうだよ」


 テーブルに用意された紅茶を入れながら、ディティがマライアにお茶菓子を差し出している。


「……なにを優雅にティータイムをやっているのだ……‼」


 その二人の様子を見て、苛立ちを露にしてロイド刑事がディティを睨みつけた。ディティはその眼光に怯むこともなく、いつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべる。


「やだなぁ。そんなに怒らないでくださいよ」


「唐突にそっちから連絡をしてきたかと思えば、ドラゴンの卵を探してください、だと⁈ 貴様、警察をなんだと思っている⁈」


「いいじゃないですか。友達の頼みぐらい聞いてくれたって」


「誰が友達だ……‼」


「まあまあ。パリ警察では解決できない怪事件を解決しているのは僕じゃないですか。困ったときはお互い様、ということで……」


「それも貴様の仕事だろう‼ 貴様のせいで私は怪事件担当みたいに扱われているんだぞ⁉」


「光栄じゃないですか。ねー? マライア」


 マライアはディティに差し出されたお茶菓子を食べながら、冷ややかな目でディティを見つめた。二人のやり取りに呆れているようだ。ロイド刑事が頭を抱え、大きなため息をついた。


「まぁ、現にこうして警察は動いてくれているわけですし、そもそも持ち主不明の不審物が届けられて困っていたのは警察じゃないですか」


「……貴婦人が持ってきたあのヘンテコな卵のことか」


「ええ。玩具かなにかだと思ったんでしょうね。持っていかれなくて良かったです」


 ディティが紅茶を入れ終え、マライアに差し出した。マライアがティーカップを受け取る。


「鑑定して驚いたでしょう。純金ですから」


 飄々と言ってのけたディティに、ロイド刑事がまた、ため息をついた。


「鑑識の連中が金の鶏の卵だと騒いでいたぞ」


「あはは! そんな可愛いモンじゃないですねぇ。確かに大きさは鶏の卵と変わりないですし、生まれてくるのも小さな雛ですが、一年も経たないうちに見上げるほど大きなドラゴンになりますよ」


「純金の探し物なんて、警察も動かざるを得ん。しかも、そんなけったいなものが生まれるとなると、尚更な」


「有精卵は一つだけなんですけど、どれかわからないですからね。ほんと、誰かが持って行ってないといいんですけど……」


 ディティが小さくため息をつく。ロイド刑事はもう一度大きなため息をつき「いま警察総出で探している」と呟いた。


「こんなことをしているほど、暇ではないのだがな……」


「ロイド刑事ー‼」


 ロイド刑事の名を呼びながら部屋に駆け込んできたのは、ロイド刑事のバディである、新米刑事のピエール刑事だった。部屋に駆け込んできたピエール刑事は、ソファーに座るマライアとディティを見て「あ、どうも」と軽く会釈をする。


「なんだ、騒々しい。見つかったのか?」


「あ、はい! たったいま、卵が五つ見つかったそうです!」


「本当⁈」


 ピエール刑事の言葉にディティが目を輝かせながら立ち上がる。ロイド刑事が息をつき、ピエール刑事は「ところで、あちらの方は……」とロイド刑事に尋ねようとしたが、その前にディティに両手を握られて遮られた。


「いやぁ! 本当にありがとうございます! ピエール刑事! パリ警察は仕事が早くて助かるなぁ!」


「え、あれ? なんで僕の名前……」


「知っていますよ! 知っていますとも! もう、本当になんとお礼を言えばいいか……五つ?」


 ディティがパッとピエール刑事の手を離し、ピエール刑事は困惑した様子でディティのことを見つめる。


「もう一つは?」


「あ、それが……」


 ピエール刑事が何かを言いかけた時、扉を開けて一人の警察官が入って来た。警察官は部屋の中にいた三人に向かって敬礼をすると、ロイド刑事に近づいて耳打ちをする。ディティは訝しげにその様子を見ていた。


 耳打ちをされたロイド刑事の顔が徐々に険しくなっていく。


「……そうか。ご苦労」


 警察官は一礼すると、部屋を去っていった。


「なにがあったんです?」


「……見つかったぞ。最後の一つ」


「本当ですか⁈ どこに……⁈」


「それが、少々厄介らしいぞ」


「え?」


 ロイド刑事が額を押さえてため息をつく。ディティが怪訝そうに眉をひそめた。


「……これ以上、なにがあるって言うんです……」


「最後の一つは拾われていたらしい」


「誰に?」


「貴族のルーズヴェッタ伯爵だ。いたく気に入ったようでな。警察が返して欲しいと頼んだが、金を払うから買い取らせてくれと言って聞かんそうだ。梃子でも動かんらしいぞ。お前が行ってどうにかしてこい」


「……ルーズヴェッタ伯爵?」


「まあ、一般人ならお前が手を煩わせることもないだろう。魔法やらなんやらで、記憶でもなんでも消してしまえばいい。すべて集め終わったら即刻帰れ」


 ロイド刑事から飛び出した言葉に、ピエール刑事が「魔法? 記憶?」と首を傾げる。ロイド刑事は説明するのも面倒だ、と言わんばかりに息をついたが、ふと、ディティが黙っていることに気が付いて、ディティの方を見た。


「……ルーズヴェッタ伯爵……」


 ディティは考え込んでいる様子で伯爵の名前を呟いている。ロイド刑事が「どうした?」とディティに問いかけると、サアッとディティの顔から血の気が引いた。


「……まさか……まさかと思うんですけどね……? ……ルーズヴェッタ伯爵って、あの、アダン・ルーズヴェッタ伯爵ではないですよねぇ……?」


「……そうだが?」


 ロイド刑事が答えた途端、ディティが膝から崩れ落ちた。ピエール刑事が「だ、大丈夫ですか⁈」と崩れ落ちたディティに慌てて声をかけるが、どう見ても大丈夫には見えない。ソファーに座ったマライアは、我関せずといった顔で紅茶を飲んでいた。


「うわぁぁ……‼」


 ディティが情けない声を上げながら頭を抱える。


「……なにか、マズいのか」


「マズイもなにも、厄介すぎますよおぉ……‼」


「な、なんです? ルーズヴェッタ伯爵ってそんなにやばい人でしたっけ? 愛妻家で朗らかな方だと聞きますけど……」


「私もそう聞いているが? そもそも魔法使いのお前が、普通の人間になにを怯える必要がある?」


 ピエール刑事が「魔法使い⁈」と驚愕の声を上げたが無視された。


「……普通の人間じゃなかったとしたら……?」


「は?」


 ディティの言葉にロイド刑事が眉をひそめた。ディティはいまにも泣きそうな表情を浮かべ、大きくため息をついて口を開く。


「ルーズヴェッタ伯爵は、魔法使いなんですよぉ……」


 ロイド刑事が一瞬驚いたように目を見開き、額を押さえてため息をつく。ディティはゆっくり立ち上がると、「マライア~……」とソファーに座るマライアに縋り付きに行った。マライアは不愉快そうに表情を歪めたが、ディティから離れることも拒否することもなく、泣きつくディティにされるがままに抱きしめられる。


「ていうか、いい加減説明してくださいよぉ‼」


 なにも知らないピエール刑事の叫びが、酷く虚しく部屋に響いた。


    ◇


 目の前にそびえる大きな屋敷を睨みつけるように見つめながら、ロイド刑事は背後の馬車から降りてこようとしているディティを待っていた。目の前の屋敷はルーズヴェッタ伯爵亭で、貴族の屋敷に相応しく、そびえたつ巨大な門の奥に広大な庭園が見えている。


 馬車から降りてくるマライアに手を貸しているディティがこちらにやって来るのを待ちながら、ロイド刑事は馬車の中でディティが話していたことを思い出した。


「魔法使いは狭間の世界に住む者たち。人間世界にも、ファントムパラディにも干渉できる人外だけど、中には人間世界に定住している物好きな魔法使いもいるんですよ。そういう人たちは人間が作った世界を気に入っていたり、人間そのものが好きだったり様々なんですけど、中には人間と結婚して家族を作っていたり、人間として人に紛れて生活していたりする人もいまして、ルーズヴェッタ伯爵は、そういう魔法使いの一人なんですねぇ……」


「魔法使いなら話が早いではないか。事情を説明して返してもらえばいい」


「それが……そう、上手いくと思えないんですよ……物好きな魔法使いは頑固な人が多いですから……。一般人の記憶を消して取り戻した方がよっぽど簡単でしたねぇ……」


 大きなため息をつくディティを前に、こいつも大概苦労人だな、とロイド刑事は少しだけ同情した。


「大きなお屋敷ですねぇ……」


 ようやく馬車から降りてきたディティが、マライアを連れてロイド刑事の隣にやって来る。ロイド刑事は門のベルを鳴らし、しばらくすると屋敷の中から使用人の男がやって来た。


「パリ警察のロイド・ティンガーです」


「ご主人様より伺っております。そちらの方は?」


「ディティエール・ヴァン・レモンドと申します。ルーズヴェッタ伯爵にはアドミニストレーターが来た、といえば通じますよ」


 ディティが使用人に笑いかけ、使用人は半信半疑な様子で「はぁ……」と呟いたが、門を開けてくれた。


 使用人に案内され、大きな屋敷の中を三人は進んで行く。いたるところに置かれた高価そうな調度品に、マライアは終始キョロキョロとあたりを見回していたが、ディティは「これ、いくらするんだろう……怖いなぁ……」と怯えていた。ロイド刑事は険しい表情を浮かべたまま歩いていく。


 三人が客間に通され、しばらく待っていると、ふくよかな体形の老紳士が現れた。


「お待たせいたしました。私がアダン・ルーズヴェッタです」


 ニコニコと人当たりの良さそうな笑みを浮かべるルーズヴェッタ伯爵は、鼻の下に白いフワフワした短い髭を生やし、質のいいスーツを身に着けた、穏やかな雰囲気を漂わせる老紳士で、ディティを見ると嬉しそうに目を細めた。


「おやおや、これは。アドミニストレーターと聞いていたのでそうだろうとは思っていたけれど、やっぱりディティ君だったんだねぇ」


「お久しぶりです、ルーズヴェッタ伯爵」


「いやぁ、大きくなったねぇ。仕事は大変じゃないかい?」


「毎日ドタバタですね」


「面識があったのか?」


 親し気な様子の二人に、ロイド刑事がディティに問いかける。


「小さい頃に会ったことがあるんです。僕の師匠のご友人でしたので」


「おや、そちらのお嬢さんは?」


 ルーズヴェッタ伯爵がマライアを見て頬を緩ませる。マライアは唐突に自分に話題を振られて驚いたのか、ディティの後ろに隠れてしまった。


「可愛らしいねぇ。妹さんかな?」


「いえ、そういうわけではないんですが……すみません。人見知りする子なので」


「いや、かまわないよ。唐突にこんな老体に声をかけられては驚くだろう。可愛いお嬢さん。緊張しないで。そうだ。私の妻は子供が好きでねぇ。向こうの茶室でお菓子を用意しているはずだ。行っておいで」


 ルーズヴェッタ伯爵に促され、マライアが不安げにディティを見つめる。ディティはマライアに優しく微笑みかけ「大丈夫だから、行っておいで」と声をかけた。マライアはチラリと微笑んでいるルーズヴェッタ伯爵を見て、ディティに向かって小さく頷き、使用人に案内されながら部屋を出ていく。


「可愛いお嬢さんだ。髪の色と瞳の色がオフィーリアによく似ているが、親戚の子かね?」


「ええ、まあ。そんなところです」


 ディティがはぐらかすように笑う。


「ところで、今日はルーズヴェッタ伯爵にお願いがあって来たのですが……」


「妻が拾った金の卵のことかな?」


 ディティが「ええ……」と苦笑した。


「あの……それが、オフドラゴンというファビュラスベートの卵でして、できれば返していただけると非常に嬉しいのですが……」


「申し訳ないんだけどねぇ……それ、どうにかならないかね?」


 ルーズヴェッタ伯爵が申し訳なさそうに言う。ディティの頬がピクリと引きつった。


「ルーズヴェッタ伯爵もよくご存じと思いますが、人間界にファビュラスベートに関係するものが存在するのは、こちらとしては大変困る事態でして……」


「ええ。それは良くわかっているよ。だから、私が管理して、できるだけ認識の壁に干渉しないように配慮しよう。それならば、問題ないだろう?」


「ええ、まあ、そうなんですが……その……卵は小さいのですがそれが孵ると大変大きなドラゴンが生まれてしまいますので、伯爵のご迷惑になるかと……」


「問題ありませんよ。私はファビュラスベートも好きですからね」


「いや、まあ、ルーズヴェッタ伯爵なら問題はないと思いますが……」


「すまないねぇ、ディティ君。私も返してあげたいのは山々なんだがね。妻が、非常にあの卵を気に入ってしまって」


 そう言うと、ルーズヴェッタ伯爵は嬉しそうに目を細めた。


「なんでも、小さなころに読んだ絵本に出てきた、金色の鶏の卵にそっくりらしいんですよ。それで『きっとこれは神様からの贈り物だわ』と言って舞い上がってしまってねぇ。いやあ、この歳になってそんな子供じみたことを言っているのは恥ずかしいやら、可愛らしいやらでどうにも……」


 ロイド刑事とディティはその話を黙って聞いていたが、嬉しそうに話すルーズヴェッタ伯爵に、これが惚気話だと気が付いた。ロイド刑事はディティが小さくため息をつくのを聞き逃さなかった。


「そういうわけで、妻のためにも何とかならんかねぇ」


「うぅん……」


 ディティは小さく唸り声を上げると、「ちょっと失礼……」と言ってルーズヴェッタ伯爵に背を向け、ロイド刑事に手招きをした。ロイド刑事とディティが顔を近づけ、ディティがヒソヒソとロイド刑事に話しかける。


「ロイド刑事……」


「どうするつもりだ。梃子でも聞かんぞ、あの様子では」


「魔法使いに記憶操作を行うのは後々面倒になりますし……あの……そこで少し刑事に提案があるんですが……」


「なんだ?」


「今夜、僕がこの屋敷に盗みに入るのを黙認していただくことってできます……?」


「馬鹿を言うな。できるか」


「そこをなんとか……もう、実力行使する他にないじゃないですか……」


「一つぐらいどうにかならないのか?」


「そりゃ、六つ中有精卵は一つだけですし、ルーズヴェッタ伯爵が持っている卵が孵る確率は低いですよ? でも、万が一孵ってしまったら、母ドラゴンが泣きますし、そもそも無精卵であっても雛を育てる重要な栄養分になるので、みすみす渡すわけには……」


「だとしても、犯罪を黙認することはできん」


「犯罪とはいえ人外ですよ? 人の法で裁くことは……」


「人道的に考えて無理だと言っているんだ」


「うぅ……他に何か……」


 その時、ディティが何かを思いついた様子で「あ」と声を上げた。そして、すぐに眉をひそめて「でもなぁ……」と呟く。


「なんだ。他の手が思いついたか」


「思いついたのは思いついたんですが……人道的にどうかと言われるとグレーよりな感じで……」


「……どうするつもりだ」


「僕にはたくさんお友達がいてですね。その後ろ盾を使えないかなぁ……と」

「……」


 ロイド刑事がため息をついた。


「黒でないなら、見逃そう」


「よしっ」


 ディティがクルリとルーズヴェッタ伯爵の方を向いた。その顔にはいつも以上に胡散臭い笑みが浮かんでいる。


「どうしたのかね?」


「それがですね、ルーズヴェッタ伯爵。やはり、その卵をお渡しすることはどうしてもできませんので、なにか代わりのもので手を打っていただけないかと思いまして……」


「私が許しても妻が許すかどうか……」


「そこをなんとか……ほら、これなんてどうです?」


 ディティがコートの中をゴソゴソと探り、中から大量の魔法道具を取り出してルーズヴェッタ伯爵に見せた。


「このペンダントは天空の覇者ベル・タン・シャンピオンの鱗が使われていて、外出の時に身に着けていれば雨に降られることはありません。これはお化け大樹スペクトルアルブルの木材が使われたブレスレットで、手が届かないものを取ってくれますよ。この蜜は蜂飼いアベイユウルスの……」


「いえ、やはり妻が許してくれるかどうか……」


「おっと」


 ディティのコートの中から、パサリと手帳が落ちた。その手帳を見てルーズヴェッタ伯爵が大きく目を見開く。ディティは「失礼」と言って手帳を拾おうとした。


「ちょ、ちょっと待ってください! それは……」


「え? ああ、これですか?」


 ルーズヴェッタ伯爵に止められて、ディティが拾った手帳を見せる。赤い表紙の手帳には、審判の番犬たちシヴァン・ド・ギャルドを象った家紋が刻まれていた。


「そ、それは、アスティカベル家の……」


「ええ、まあ。幼馴染がお守り代わりに持っておけと言うので持ち歩いているだけですよ。そうだ、先日クラウンバーク家の息子さんともお会いしまして」


「クラウンバーク家……⁈」


 ルーズヴェッタ伯爵が更に大きく目を見開いた。その様子を見ていたロイド刑事が、そういうことか、と言うように呆れた顔をして小さく息をつく。


「面白い方ですねぇ。クラウンバークと言えば名家の中でも独特な方が多いですから……」


「……いやぁ、これは参りました。アドミニストレーター様はご友人も素晴らしい方ばかりで……」


「仕事柄、顔が広いだけですよ」


「そんなことを言われてしまっては、お返しするほかありません。妻は私が説得いたしましょう。少々、お待ちくださいね」


 ルーズヴェッタ伯爵がペコペコと頭を下げながら部屋を出ていく。ニコニコとした顔でそれを見送ったディティは、ルーズヴェッタ伯爵が部屋から離れたことを確認すると、静かに拳を突き上げた。


「勝った……‼」


「あまり良い方法とは言えんがな」


「持つべきものは権力者の友達‼」


「……好きにしたまえ」


 ディティが取り出した魔法道具を片付けながら「今度二人に会ったらお礼言っておこう」と嬉しそうに言った。


「よしっ。これで一件落着! あとは卵を持って帰るだけ……」


「……下手なことを言うものじゃないと思うがね……」


 その時、部屋の扉が開き、ディティが満面の笑みで「あ、卵ありました?」と扉の方を見る。そこに立っていたのは、先ほどルーズヴェッタ伯爵の妻のもとに行ったはずのマライアだった。マライアは険しい顔をしてディティをじっと見つめている。


「あれ? マライア、どうしたの?」


 ディティがマライアに駆け寄って顔を覗き込もうとした時、マライアが不意にディティの腕を掴み、部屋から連れ出した。ディティが「え⁈ どうしたの⁈」と驚きの声を上げ、置いていかれたロイド刑事が慌てて後を追う。


 マライアはズンズンとディティを引っ張って連れて行き、たどり着いた先は屋敷の宝物庫だった。部屋の前にルーズヴェッタ伯爵の妻であろう、ふくよかな体格をした老婦人が立っている。


「あら。あらあら、マライアちゃん。呼んできてくれたのねぇ」


「夫人、いったいなにがあったんです?」


「それが……」


「ないっ‼」


 夫人が口を開こうとしたその時、部屋の中から伯爵の声が聞こえ、ディティが「まさか……」と青冷める。マライアが小さくため息をついた。ディティが慌てて部屋の中に入ると、ディティと同じく青冷めている伯爵がいた。


「……伯爵……?」


「……その……どうやら宝物庫に何者かが侵入したようでして……」


「卵もここに保管していたんです。マライアちゃんに見せてあげようと思って宝物庫を開けたら、保管していた宝が何個かなくなっておりましてね。その中に卵も……」


 夫人と伯爵が申し訳なさそうにディティに頭を下げる。ディティはいまにも倒れそうになりながら、頭を抱えた。


「盗みですか?」


 追いついてきたロイド刑事が伯爵に問いかける。


「まさかとは思うんですがね。普通の人が魔法使いの私の家に侵入することはまず不可能です。人に盗られたなんてこと、ないと思うのですが……」


「ふむ……万が一ということもあります。他にも盗られたものがあるのでしたら警察に……」


「人でないのなら……」


 頭を抱えていたディティが唸るように呟いた。


「心当たりは一つしかありません……魔法使いの家に侵入できる者……」


「心当たりがあるのか」


「ルーズヴェッタ伯爵。失礼ですが、少しばかり魔力をお貸しいただけますか?」


「え? ええ。かまいませんよ」


 ディティがコートの中から透明な水晶玉を取り出した。


「それは?」


「見たいものを映し出す水晶玉です。魔力が必要なので、僕は滅多に使いませんが……伯爵。この水晶の上に手を乗せていただけますか?」


 ディティに言われ、伯爵が水晶玉の上に手を乗せると、不意に水晶玉の中に煙が立ち込め、ユラユラと揺れて、映像を映し出した。その映像はいまディティたちがいる宝物庫を映しており、全員が水晶玉を覗き込む。


 水晶玉が映す映像の中に、チラチラッと小さな影が複数映りこんだ。ディティ以外の者は影の正体を見ようと水晶玉を覗き込むが、ディティはその正体がわかったのか「やっぱり……」と呟く。


 水晶玉に映りこんだのは、小さな鼠のようなファビュラスベートだった。薄暗い灰色の毛皮に、自分の頭の大きさとほとんど変わらない大きさをした大きな耳を持ち、細長い尻尾は自分の背丈よりも長い。四本の腕を持ったそのファビュラスベートは、自分たちよりも大きな宝を軽々と持ち上げ、部屋から運び出していた。


 そのうちの一匹が、金色の卵を運び出しているのが見えた。


小さな盗賊団バンディーです……魔法使いの家から宝が盗まれるのはだいたいこいつらが原因です。光物を巣に集める習性があるんですが、手先が器用で、漂う群れフロートポアソンのヒレで作ったマントを身に着けて盗みに入るので、魔法使いがいくら家に魔法をかけて侵入を拒んでも、易々と中に入ってしまうんです。フロートポアソンのヒレは、魔法による干渉を受け付けないですからね」


 そこまで説明すると、ディティは深くため息をついた。


「ああ……なんてタイミングの悪い……」


「どうするんだ」


「追いかけますよ、もちろん……!」


 ディティがコートの中からランタンを取り出した。ディティが力任せにそのランタンを一度振ると、ランタンに青い火が灯る。ランタンの青い火があたりを照らすと、宝物庫からどこかに続いている小さな足跡がぼんやりと浮かびあがった。


「よしっ! まだ足跡が残ってるってことは出て行ったのはつい最近……‼」


 ディティが足跡をたどっていき、その後ろを全員がゾロゾロと追っていく。足跡は真っすぐ屋敷の玄関に続いており、バンディーたちが堂々と屋敷の玄関から出ていったことを物語っていた。ディティは足跡が玄関から出て行っていることを確認すると、コートの中から本を取り出した。


「アドミニストレーターの権限として、ファントムパラディおよび汝の干渉を許可する」


 本のページがめくれ、青白く光り輝く。


疾風の渦クー・ド・ヴァン


 本の中から現れたのは、小さな竜巻のようなファビュラスベートだった。小さな竜巻に大きな一つ目が付いており、その目玉はディティの姿を確認すると瞼を閉ざす。ディティが迷いなくクー・ド・ヴァンの中に足を突っ込むと、ふわりと足が宙に浮いた。


「すみません、ルーズヴェッタ伯爵! 急がないと大変なことになりかねないのでここでお暇させていただきます! マライア!」


 ディティに呼ばれ、マライアがディティの手を取ってクー・ド・ヴァンの中に足を突っ込んだ。


「ちょっと待て。私も連れていけ」


「え?」


 ロイド刑事が慌てた様子でディティを呼び止める。


「一応仕事なんでな。途中で放り出すこともできん」


「真面目だなぁ。いいですよ。そのまま乗ってください」


 ディティに言われ、ロイド刑事がクー・ド・ヴァンの中に足を踏み入れる。それは不思議な感覚で、ロイド刑事が一瞬怪訝な顔をした。


「それでは、ルーズヴェッタ伯爵! また機会がございましたらお会いしましょう! ロイド刑事! 帽子飛ばないように気を付けてくださいね! あと、舌噛まないように!」


 ディティが早口にまくし立てた瞬間、クー・ド・ヴァンが動き出し、三人の身体が浮いた。そのままクー・ド・ヴァンは物凄い速さで玄関から飛び出し、三人を乗せて空を飛び始めた。そのあまりの速さにロイド刑事が被っているシルクハットを押さえる。


 屋敷から飛び去って行った三人を見送って、ルーズヴェッタ伯爵、婦人は不安げな表情を浮かべていた。


    ◇


「どーこーいったー‼」


 ディティが苛立ちを露にしながらランタンを片手に眼下の街を見つめている。ランタンの中に灯る青い炎はユラユラと一定の方向に揺らめき、ディティはそれを目印にクー・ド・ヴァンを走らせていた。


 ディティのもう片方を腕にはしっかりとマライアが抱かれており、マライアは自分の頬を打つ強い風に片目を閉じていた。


「ところで、そのランタンはなんだ?」


「これですか? 道標の炎を灯すランタンです。持っている人が追いかけたいものを映し出し、その対象に向かって揺らめきます」


「……便利なものだな」


 ロイド刑事も強風に煽られながらシルクハットを押さえている。クー・ド・ヴァンは三人を乗せたまま、物凄いスピードでパリの街の上空を飛んでいた。


 その時、ディティが持っているランタンの炎が、今まで揺らめいていた方向とは逆方向に揺らめきだした。


「ん⁈ 来た‼ クー・ド・ヴァン‼ 下‼」


 ディティの指示でクー・ド・ヴァンが急降下し、指示を出したはずのディティが「うわっ⁉」と情けない声を上げる。クー・ド・ヴァンが降り立ったのは、細い路地の行き止まり。三人はクー・ド・ヴァンから降り、ディティが「ありがとう」と言いながら本を開いて、クー・ド・ヴァンが本の中に吸い込まれていく。


 その間に路地をキョロキョロと見渡していたマライアは、路地の隅っこでシクシクと泣いているバンディーたちを見つけ、駆け寄っていった。それに気が付いたロイド刑事が「おい」とディティに呼びかける。


 マライアに近づかれたバンディーたちは一瞬驚いて逃げようとしたが、マライアの後ろからやって来たディティの顔を見て立ち止まった。


「き~み~た~ち~?」


 ディティは笑っているが、その目は笑っておらず怒りに満ちている。バンディーたちはガタガタと怯え、逃げ出せずにいた。


「君たち種族は本当に……! この前やらかして大人しくするように言われたばかりでしょう⁈ オフドラゴンの卵をどこにやったの⁈」


 バンディーはディティに問い詰められ、またシクシクと泣きだした。バンディーたちの様子にディティが困惑する。


「え? なに? もしかして失くしたの?」


 バンディーたちは泣くばかりで宝のありかを言おうとはしない。ディティの顔からサッと血の気が引いた。


「え、ほんとに? 失くしたの?」


 マライアが泣き続けるバンディーたちに手を伸ばし、優しく頭を撫でる。ディティはいまにも倒れそうだった。その様子を見て、ロイド刑事もため息をつく。


「振り出しに戻ったな……」


「うぅ……もうやだぁ……」


 ディティが泣きごとを言いながら顔を覆う。


「泣き言を言っている場合か。どうする」


「わかってますけどぉ……ファビュラスベートは人語を理解しても、僕たちがその言葉を理解できるわけじゃないので、なにがあったのかわからないですし……」


「さっきの水晶は?」


「……言ったじゃないですか。僕は魔力が少ないので滅多に使わないって。一回でも使っちゃうと、魔力が切れて動けなくなる……」


 そこまで言って、ディティがなにかに気が付いたように目を見開き、ロイド刑事を凝視した。嫌な予感がしたロイド刑事が「なんだ……」と怪訝な顔をする。


「……例えばですよ? 例えば、ロイド刑事が明日動けなくなったとしたら、困る人います?」


「……明日は休みを取っている。困るのは妻ぐらいだろうな」


「よっしゃあ‼ 来たぁ‼」


 ディティがコートの中から水晶を取り出した。事態を飲み込めないロイド刑事は、喜んでいるディティに眉をひそめる。


「いいですか? ロイド刑事は限りなく僕たちに近い人間です。ということは、通常の人間が一切魔力を持っていないのに対して、ロイド刑事は魔力を持っている可能性が非常に高いんです! ていうか、なんなら僕より魔力を持っている可能性高いですよ! だから、いま、ロイド刑事の魔力を使って水晶を使えば、卵の在りかがわかるんです!」


「……それを使った場合、私はどうなる?」


「たぶん、数日動けません! で、でも! もう、これ以外に方法がないんですよ!」


 ロイド刑事は嫌そうに顔をしかめたが、必死に頼み込むディティを見て、はぁと大きなため息をつくと「わかった」と渋々了承した。


「ありがとうございます! この御恩は一生忘れません……‼」


「そう言うなら今後警察をこき使うのを止めてくれ」


「肝に銘じます……‼」


 ロイド刑事がディティに差し出された水晶の上に手を置く。


「これでいいのか?」


「ええ。なにもしなくても水晶が勝手に映し出してくれるはずです」


 水晶が映像を映し始めた。宝を路地の行き止まりに隠し、嬉しそうに踊っているバンディーたち。すると、複数の足音が聞こえ、バンディーたちが慌てて物陰に身を隠した。現れたのは柄の悪そうな複数の男たちで、男たちはバンディーたちが隠していた宝を見つけると雄叫びを上げ、宝を奪い去っていった。男たちが去っていったあと、物陰から出てきたバンディーたちは、悲しそうに宝があった場所を見つめていた。


「……これは……」


 映像を見終わったロイド刑事が呟く。ディティが唸り声を上げながら頭を抱えた。


「どうやら、人間に持っていかれたようだな」


「そう……ですね……」


 ディティは今日、何度目かわからない大きなため息をつき、マライアに頭を撫でられているバンディーたちに近づいていった。


「とりあえず、君たちはファントムパラディに帰ろうね」


 ディティが本を開いて地面に置いた。バンディーたちは嫌そうな顔をしたが、ディティに笑顔で「ね?」と釘を刺され、渋々本の中に戻っていった。


「はぁ……探すかぁ。ロイド刑事、大丈夫ですか?」


「特に問題はなにも」


「えぇ……本当に僕より魔力持ってるじゃないですか……本当に魔法使いになったらどうです? 僕より素質ありますよ」


「馬鹿を言うな」


「まあ、明日あたりに大変なことになるかもしれないので、覚悟していてくださいね」


 ディティがコートの中からランタンを取り出して振り、ランタンに青い火が灯った。青い火が揺らめく。それを見て、ロイド刑事が口を挟んだ。


「最初からそれじゃ駄目だったのか」


「残念ながら、この火が指し示すのは意思を持って動くものだけなので……卵は無理ですね……」


「……便利なのか不便なのかよくわからないな」


 ロイド刑事が呆れたように息をつき、ディティは疲れた様子でマライアに「おいで」と手招きをした。マライアがディティに駆け寄り、ディティが本を拾い上げ、ページをめくった。


「とりあえず、これで最後であることを願いますよ」


 開かれた本から再度クー・ド・ヴァンが飛び出す。ディティがクー・ド・ヴァンに「もう一仕事頼むよ」と声をかけ、クー・ド・ヴァンはそれに応えるように目を閉ざす。


「最後まで付き合ってくれますか?」


「もとより、そのつもりだ」


 言い切ったロイド刑事にディティが苦笑し、マライアをクー・ド・ヴァンに乗せる。三人はクー・ド・ヴァンに乗り、上空高く飛び上がって、ディティが持つランタンの青い火を頼りに飛んでいった。


    ◇


 フランス、パリの煌びやかな大通りを逸れた細道の奥深く。日が暮れ、薄暗くなってきた街に隠れたその場所で、帰る場所も、仕事もない男たちは、今日、たまたま見つけた宝を囲んで宴を開いていた。木箱の上に置かれた宝はキラキラと輝き、男たちはその輝きに負けない雄叫びを上げて湧いていた。


 木箱の上に置かれた宝に紛れ、金色の小さな卵が輝いていた。


「湧いているところ申し訳ないんですけどね」


 唐突に聞こえてきた声に、男たちがピタリと黙った。キョロキョロとあたりを見渡したが、男たちは声の主を見つけることができない。


「それ、返してほしいんですよ」


 男たちの中央に、唐突にディティが舞い降りた。男たちが驚愕の声を上げ、身構える。ディティは不敵な笑みを浮かべ、手にした本をパラパラとめくっていた。


「ほら、もうこんなに暗くなっちゃったじゃないですか。いい加減、家に帰りたいんですよねぇ」


 男たちは口々に声を上げ、目の前に現れたディティに襲い掛かる。ディティは小さくため息をつくと、ページをめくりながら、襲い掛かってくる男たちの攻撃をヒラリヒラリと容易く避けた。


「アドミニストレーターの権限として、ファントムパラディおよび汝の干渉を許可する」


 本のページが青白く光り輝き、本から巨大な影が飛び出した。


卵竜オフドラゴン


 細道が急に暗くなり、男たちが思わず空を見上げる。細道に大きな影を落とすほどの巨体を有したドラゴンは、男たちを上空から見下ろしていた。


 白い羽毛に覆われた、卵型の巨大な胴体を持ち、そこから飛び出すのは短い手足。そして、どうやってその巨体を持ち上げているのか、一切原理はわからないが、背中に生えた短い翼がパタパタとせわしなく動いて宙に浮かんでいるオフドラゴンは、上空から、男たちに向かって威嚇するように両手を広げた。


「キュイィィ‼」


 気が抜けるような可愛らしい鳴き声だが、その声は街に響き渡るほど大きく、男たちは巨大なオフドラゴンの姿にすくみ上った。


「お母さんが、卵を返してほしいってさ」


 ディティがヤレヤレと言うように肩をすくめ、すくみ上った男たちは情けない悲鳴を上げながら、宝を置いて一目散に逃げだした。


 ディティはその背中を見送って、にこやかに手を振ると、木箱の上に置かれた宝を抱え、空に飛び上がった。上空では懸命に羽ばたいているオフドラゴンと、クー・ド・ヴァンに乗ったマライアとロイド刑事が待っていた。


「ようやく一件落着です」


 ディティが二人に向かって苦笑し、ロイド刑事が息をついた。


「長い一日だったな」


「まったくです」


 ディティが抱えた宝をロイド刑事に手渡す。


「これ、ルーズヴェッタ伯爵に返しておいてください」


「……まだ私を使う気か」


「まあまあ、そう言わずに。これで最後ですから」


 その時、クー・ド・ヴァンと並んで羽ばたいていたオフドラゴンが「キュイ……」と控えめに鳴いた。ディティが苦笑し、オフドラゴンの方に飛んでいく。そして、オフドラゴンに金色の卵を差し出した。


「はい、これ。もう落とさないでよ」


 ディティがオフドラゴンに卵を渡すと、オフドラゴンは涙を浮かべながら嬉しそうに卵に頬ずりをして、何度も何度もディティに頭を下げた。


「……本当に、もう、落とさないでよ?」


 ディティに釘を刺され、オフドラゴンは「キュイ!」と慌てて頷く。ディティがふうと息をつき、本を開いて、オフドラゴンをファントムパラディに返した。オフドラゴンは本に吸い込まれながらも、ディティに向かって頭を下げ続けていた。


「さて、ロイド刑事。ご迷惑をおかけしました。このまま送っていきますよ」


「かまわん。降ろしてもらえれば自分で帰る。お前こそ、早く帰るんだな」


 ロイド刑事が自分の隣でクー・ド・ヴァンに乗っているマライアの方をチラリと見る。今日一日、様々な場所に連れまわされたマライアは、暗くなってきて疲れが出てきたのか、クー・ド・ヴァンに乗ったままウトウトしていた。


「この子を早く家に帰してやれ」


「ごめんねぇ、マライア。いろんな所に連れまわして……じゃあ、お言葉に甘えましょうかね」


 クー・ド・ヴァンが降下し、地面に降りる。ロイド刑事がクー・ド・ヴァンから降り、ディティはマライアに向かって手を差し伸べて「ほら、マライア。一緒に帰ろう」とマライアを降ろした。


「本当にありがとうございました、ロイド刑事」


「……かまわん。二度と連絡してくれるな」


「それは……どうでしょう。またするかもしれませんねぇ」


「やめてくれ」


 ロイド刑事はフンと鼻を鳴らすと、ディティとマライアに背を向けて去っていった。その背中を見送り、ディティは隣でうつらうつらしているマライアの手を握る。


「さあ、帰ろう。マライア。まあ、帰ったら帰ったで、僕はオフドラゴンの様子を見に行かなきゃなんだけど……」


 手を繋いだディティとマライアの姿が消えていく。


 その晩、パリの街の人々の間で、夕暮れ時に聞こえた不思議な鳴き声が噂になったが、その噂は次の日には消えていた。


    ◇

 オフドラゴン『卵竜』

 ファントムパラディの大きな山グラン・モンターニュに住む、巨大なドラゴンのような姿をしたファビュラスベート。白い羽毛に覆われた卵型の巨大な胴体を持ち、短い手足と、その巨体をどうやって支えているのか一切原理のわからない小さな翼を背中に持っている。頭には角が二本生えているが、短く、先が丸まっているため殺傷能力は皆無であり、つぶらな瞳を持つ可愛らしいファビュラスベートである。数年に一度、グラン・モンターニュの頂上に巣を作り、グラン・モンターニュの麓にある洞窟で産んだ六つの卵を巣に運んで温めるが、六つの卵のうち有精卵は一つだけであり、他の無精卵は孵った雛に食べられて栄養になる。卵は栄養豊富であり、オフドラゴンは草食であまりものを食べないにも関わらず、その巨体を有しているのは卵のおかげだと思われる。卵の殻は頑丈で、純金で出来ている。飛ぶのが非常に下手くそなので、新米の母ドラゴンのたびに山頂の巣に卵を運ぶ前に落としてしまう。知能が高く、人語を理解している。


 バンディー『小さな盗賊団』

 薄暗い灰色の毛皮に、自分の頭の大きさとほとんど変わらない大きさをした大きな耳を持ち、自分の背丈よりも長く、細い尻尾を持つ、小さな鼠のような姿をしたファビュラスベート。四本の腕を持ち、非常に手先が器用で、他のファビュラスベートの毛や鱗を勝手に盗んでは、それを使って道具を作る。光物を集める習性があり、よく盗んでは巣に持ち帰る。漂う群れフロートポアソンのヒレを用いて作ったマントを身に着けているため、魔法使いの家にも易々と侵入し、宝物を盗んでいく厄介者。


クー・ド・ヴァン『疾風の渦』

 小さな竜巻のような姿をしたファビュラスベート。一つ目を持っており、意思を持つれっきとした生物。移動速度が速く、本気を出したクー・ド・ヴァンを視認することは不可能。自分の上に何かを乗せて移動することもできるため、移動手段としてとても最適。クー・ド・ヴァンの群れが一か所に停滞すると、その場所に大きな竜巻が発生してしまうので注意が必要である。

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