第5話 小隊長
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小隊長殿をどのような人物であるかを語るのは、俺にとっては難しい。
上司であり、師匠であり、父親だった。
俺が青臭い頃から剣と魔法の使い方を師事してくれた。
ただ力を使うのではなく、誰のためにつかうものかを教えてくれた。
俺にとって、小隊長殿は……ある意味、見たことのない家族よりも繋がりが深い存在だった。
だが、今俺の目の前にいるのは、そのどれでもない。
王国より派遣されし最強戦力の一人がそこにいた。
修繕と改修を重ねて、本来の姿よりも家らしくなってきた小屋の中。隣の風車が羽を回す音を聞きながら、俺は小隊長殿と一対一で向き合っていた。
リシャールがいてくれると心強かったのだが、彼は先々月辺りから「王都まで軽く出稼ぎと物資の補充してくる」と言って留守にしている。
彼は半年前にも一度冒険者ギルドの単発依頼をこなした後、野菜の種を買って帰ってきてくれたことがある。ここでの暮らしを本当に良くしようとしているのだろう。感謝こそすれ、ここにいないことを責めることなど出来ない。
そして子供達は二人一組でウサギ狩り用の罠を設置しに出ていて、ここにはいない。いたとしても、この場に立ち会わせることは無かっただろうが。
「……ふん。贅沢な暮らしは出来ていないようだな」
その姿は、疲れ切っていた。お疲れさまですだとか、そんな軽い言葉では絶対に払拭できない疲労と倦怠があった。
俺がいなくなったあとの11年間、何を経験したらこんな顔ができるというのだ。
「これじゃまるで世捨て人じゃないか。なあ」
そう嗤う小隊長殿の顔こそ、世捨て人そのものの風貌だった。かつて黒々としていた髪も、かなり白髪が混じっている。
「お前がいなくなってからの11年間。俺は随分と苦労させられたんだぞ。全く……生きているのなら、せめて俺に手紙の一つでも寄越せばいいものを」
「……すみません。ただ生きるのに精一杯だったものでして」
本音ではなかった。俺は小隊長殿にこの場所を知られたくなかったから、わずかでも生きている可能性を悟らせたくなかったんだ。シビルのこともあるが、俺が死ぬ思いでいるだなんて、小隊長殿には知られたくなかった。
…………そうだ、待て、何故ここがわかったんだ?
ここは廃村だ。王都からは魔王城を挟んで遥か遠く、住民も滅び、復興に忙しい王国からはほぼ見捨てられていたはずだ。俺が知らせでもしなきゃ、手掛かりらしい手掛かりなど無いはずなのに。
「嘘だな」
見透かすような言葉は、まさに剣そのものだった。
「お前なら、死んでいなければどんなことがあっても王都に戻る道を選んだはずだ。何があっても勝ち、生き残り、わがままを通すお前なら、生きて英雄になる道を選ぶはず。……まぁ英雄になること自体を望むとも思えないが。それにしたってわざわざこんなへんぴな土地で一人暮らすことを選ぶとは考えにくい。よほどの隠し事でも無い限りな」
心臓が高鳴った。どうしてだ。何故そんなことがわかる。
ありえない話だ。あの状況で俺は大穴に落ちたのだ。生きていると信じる方が無理だろうに……何故今になって生きてることを知り、そこまでわかったというのだ。
だが動揺するあまり言葉に詰まったのがよくなかった。
「図星か」
さらなる刃が、俺の心臓を容赦なく貫いた。
「つまり、お前は守るべきものを、あの場所で手に入れたのだろう?あの崩れ行く魔王城で。あの魔族しかいない城の中で。お前はかけがえの無いものを手に入れたのだ。例えば……女とかな」
「馬鹿な!?そうではありません!!俺が心を預けたのは亡き妻にだけです!!」
「では子供だな、お前の心を奪ったのは。あの魔王城で子供を拾ったのだ。そうだろう?」
なっ…………!?
何故だ、何故この人はこんなにも俺のことがわかる!?
11年前だぞ!?そんな昔のことを、何故昨日のことのようにわかるのだ!!なぜ今更になって暴きに来たのだ!?
いや、そんなことは重要ではない。この親愛とは遠い険しい表情、そしてこれらの詰問。もはや小隊長殿が何を考えていようと、王国のために剣を向けに来たとしか思えない。
この人は、俺とシビルの敵だ……!
思わず腰の剣に手が伸びそうになり、思い留まった。正面からでは絶対に勝てない。武器の差もあるが、練度が違いすぎる。俺は一度だって、小隊長殿に勝てた試しが無かったじゃないか。
ならば、逃げるしかない……!震えをかろうじてこらえ、すぐにでも目眩ましのライト魔法を無詠唱で使えるよう魔力を練り、テーブルの下で障壁魔法の印を書いた。
小隊長殿はおそらく、どうやって知ったかは不明だが、俺の事情をご存知なのだ。そして魔王城の中で子供を拾ったとして、その子供が人間であるはずがない。
魔王率いる魔族は捕虜を取らず、ただ殺すだけだ。ならば魔族にせよ、魔獣にせよ、俺が人類の敵を囲っていることに違いはない。
どう答えても恐らく、俺はこの人に斬られる。斬られざるを得ない。だったらまだ話に集中している今のうちにこの人を――!
「まず、話せ」
だが俺が緊張の限界に達していた中、小隊長殿は泰然としていた。
「話……す?」
「俺に隠すな。わかるんだよ、お前のことは。何年もお前を左腕としていた俺には、お前が何を迷っているのかは大体想像がつく。だから、この俺に剣を抜かせる前に、全て話せ。どんな話でも最後まで聞いてやる。剣を抜くにしても、聞いた上で抜いてやる」
そう話す小隊長の目は、昔の厳しさと同じだけの優しさと――何故か、悔しさが灯っていた。
何が、悔しいのだろう。混乱した頭では、答えは出そうにない。
「話せ。聞いてやるとも。お前の11年間の苦労も、辛さも、嬉しかったことも全部言え。一生覚えておいてやるから」
ああ、くそ。この人はいつもこうだ。いつも俺のことをわかったようなことを言う。
わかってなくても、わかったようなことを言うんだ。それでいて全部わかってくれやがるんだ、この人は。
話すべきじゃない。今すぐこの場から逃げるべきだ。戦闘態勢になった小隊長殿に勝てる道理は俺にはない。シビルとリシャールの力を合わせたって、多分勝てない。
だけど……小隊長殿は俺を消す前に、俺のことを知りたいと言ってくれたのだ。簡単に命を奪える相手に対し、そしてかつての仲間に対し、その存在を刻み込んでくれると言ってくれたのだ。
俺はきっと、疲れていたのだろう。……父親にも等しいこの人に、今の生活と娘を知ってほしいと願ってしまっていた。
あろうことか、小隊長殿に打ち明けてしまったんだ。魔王の娘との出会いと子育ての苦労と、やりがいについてを。まるで帰省した息子が親父に仕事の愚痴を零すように。
「…………なるほどな。よく頑張ったじゃないか」
それは俺が心のどこかでずっと欲しいと思っていた称賛だった。だが前もって用意してあった言葉のようにも感じられ、素直に喜べない。
「……そうでしょうか」
「もちろんだ。俺にも手のかかる一人息子がいるのは、お前も知っているだろう。男手ひとつで育てる事の大変さは少しはよくわかるつもりだ」
さっきから違和感が拭えない。この人は敵のはずだ。話を聞いてくれたのはいいが、態度がちぐはぐで一貫していない。
この人の意図がわからない。それが怖い。本当の狙いはなんだ。
「……教えてください。小隊長殿は何故、俺がここにいることがわかったんですか?小隊長殿の狙いはなんですか」
「決まっている。王国に戻らず、魔王城で拾い物をしたまま逃げたお前に会うためにきたんだ」
「そんなことを聞きたいんじゃない!なぜ俺がここに居るとわかったんですか!!俺とシビルの生活を壊しに来たのかと、そう聞いているんです!!」
言い知れない焦りとも恐怖とも言えない、嫌な予感が背中を張っている。初めて風車の音がうるさいと感じた。
「この11年、王国は俺のことを死んだものだと決めつけていたはずです!そうでなきゃ調査のためにもっと早くに来ていたはず!!それなのに何故今更ここがわかったんです!?」
「決まっているだろう?情報提供があったんだ」
「…………ッッ!!」
にやりと歯を見せて笑う小隊長殿の目は凄みに満ちていた。
情報提供。だれがだなんて、言われるまでもない。湧き上がった怒りによって、俺の奥歯が欠けるのを感じた。
ああ、くそ。畜生、畜生!!
どうして俺はあいつを信じようとした!?
「リシャールッ!!!あの野郎裏切ったのかッッ!!!」
「救世の勇者様を裏切り者呼ばわりするとはな。不敬だぞ」
ゆらりと大きな気配が動いた。椅子が倒れるのも構わず後ろに飛ぶ。
「勇者様は良心の呵責に耐えかね、この俺に直接情報を持ってきたのだ。貴様が人類を裏切り、魔王が囲いし一人娘を魔王城より救い出し、この村とも言えぬ廃墟へ落ち延びたこと。そして人類最大の敵である魔王の娘を、まるで自分の娘であるかのように育てていること。いずれ人類を滅ぼしかねない魔族をだ。彼は義憤に駆られていたぞ?トリスタンは俺たちの心を裏切っていると」
圧倒的な闘気が小隊長殿の全身から迸る。机や調理器具が恐怖のためかガタガタと震え、外にいた鳥たちが驚いて飛び立った。
だが、その闘気は俺から戦意を奪わなかった。
もう二度と奪われるわけにはいかないんだ。
守るべき家族を。
「…………ああ、そうだよ!!俺は人類を裏切って、シビルを選んだんだ!!俺は人類を守って英雄になるより!!父親としてもう一度やり直したかったんだよッ!!何が魔王の娘だッ!!何が魔族だッ!!知ったことかよそんなことッ!!」
全身に魔力を漲らせて、剣を抜いた。狭い部屋の中に俺の闘気も加わる。
勝てないかどうかじゃない……もうやるしかない!
この人にシビルを連れて行かれたら、きっともう二度と取り戻せなくなる!二度も子供を喪うわけには、いかない!!
「あの子は俺達よりも!誰よりも優しい娘だッ!!ちょっとした事ですぐに泣く俺の涙を払ってくれるッ!!食べるためにウサギを殺すのは可哀想だと涙を流せるんだッ!!そしてそれでも俺の教えを忘れないためにッ!!覚えたくもないのに我慢して、ウサギの食べ方を覚えられる強い娘なんだッ!!」
それはきっと、走馬灯だったに違いない。
村に来るまでの日々が頭を過ぎる。
村に来てからの日々が頭を駆ける。
泣き、怒り、驚くシビルの顔が鮮明に浮かぶ。
笑うシビルが。
『パパ!大好き!』
――今、パパが守ってやるからな、シビル!
この命に替えてでもッ!!
「あんたにあの娘は渡せないッ!!大事な俺の娘を渡してたまるかよッ!!さあ、かかってきやがれ!!」
漲る魔力が迸り、部屋中を充満した。目の色が魔力に反応して瑠璃色に輝く。今なら上級破壊魔法も放てる気がした。
「…………ふん。青二才が」
ついに小隊長殿が動いた。だが、あまりに遅い。遅いのに、隙が無かった。
剣を抜くまでもないというのか、荷物袋から何かを取り出すと、思い切り俺に放り投げてきた。
まるで酒瓶でも投げてくるかのような気軽さに面食らうが、投げてきたそれが音を立てて床に落ちた瞬間、俺は動けなくなってしまった。
それは、人の頭ほどの大きさで――
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