第3話 命を喰らうということ
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騎士団の中で、俺はちょっと優秀な方だったと思う。
剣の腕はそれほどではなかったものの、無詠唱魔法と詠唱魔法を使いこなし、状況に応じて戦い方を変えられる柔軟さで言えば、恐らく俺が一番だった。
小隊長からは、剣技も魔法の威力も散々に評価されたものの、俺の粘り強さと諦めの悪さだけは絶賛した。
『トリスタン。お前はぶっちゃけ弱い。だがこの騎士団の中でお前ほど勝ち方に固執しないやつはいない。そして弱いのに勝つ。はははっ、大したやつだよお前は!』
『いや、それ駄目じゃないですか?』
『ああ、弱いのはな!……だが、お前は勝ち方より、生き残り方をちゃんと考えられるやつだ。お前の戦い方はそれでいいんだ、トリスタン。だからお前を俺の左腕に置けるんだ』
『右腕じゃなくて?』
『盾は左で持つものだろうが』
「わーうー♪」
「小隊長殿、元気かな……。くそ、やっぱ重いな!こら暴れんな!」
シビルをおんぶしながら、罠にかけられて拘束されたまま暴れるイビルバッファローを引きずって、俺はそんな昔のことを思い出していた。
イビルバッファローは魔獣ではあったものの、それから取れる乳は良質であることが知られている。シビルのミルクを安定して取るためには、どうしても一頭抱えておきたいと思っていた。
問題は、イビルバッファローはかなり臆病な性格をしていて、人間を見ると暴れる傾向があることだった。体が大きく力も強いので、人を殺す獰猛で危険な魔獣と評されることも多い。
しかし獰猛な割には草食であり、その点に以前から違和感があった俺は、実際は強いだけの臆病者に過ぎないのではと感じていた。
「まあ、人に慣らせば飼えるだろ。たぶん」
「もーもー♪」
「そうだな、これがもーもーさんだぞー」
……最悪駄目ならバラして食肉にできる。試してみるのは悪い考えではないと思った。
「これでよし、と」
「う♪」
風車のある丘の、畑から少し離れたところに丸太で組んだ牧場を設置した。そこに拘束を解いたイビルバッファローを放り込む。牧場の中に大量の雑草を放り込み、様子を見た。
5分経過……まだすごい目つきで睨んでいた。
15分……柵の匂いを嗅いでいる。頼むから、壊してくれるなよ。
30分……45分……今までで一番、1分が長く感じられた。
だが1時間もすると少し落ち着いたようで、放り込まれた草を食み出した。俺に対する警戒心はまだ強いが、一応すぐに攻撃してくることはないと理解したらしい。強引に突破を図る真似はしなかった。
「もーもー♪」
「まだナデナデはやめとけ。もーもーさんも疲れてるだろうからな」
「う?」
「さて……上手くいくだろうか」
しかしこの懸念は杞憂だった。イビルバッファローに対する餌付けと世話を続けて一週間する頃には、背中をナデナデことが出来るようになり、間もなくミルクを絞らせて貰えるようになった。
「思ったより早く懐いたな」
「キャッキャッ♪」
想像以上に早い成果に驚いたが、もしかしたらイビルバッファローは俺の認識よりもずっと賢いのかもしれない。
「あるいはシビルの血がそうさせるのかな……?だとしたら魔王のやつには牧場主の才能があったのかもな」
「うー?」
「もーもーさんのお友達も連れてこないとな」
「んうー♪」
そのうち番を用意してやってもいいかもしれない。もちろん、シビルの友達も兼ねてな。
そして、日々は過ぎていった。
貧しくも穏やかな、シビルと牛と俺、二人と一頭の日々。
シビルが初めて歩いたときは嬉しくてつい抱きしめて額の角に口づけした。だが角に触られるのは嫌なのか、ちょっと抵抗された。
シビルが初めて「たーたー」と、多分パパと言おうとしたのに気付いたときには、シビルに死んだニコラの影が重なり、嬉しくて涙が出た。
濡れた頬をいつかのように拭おうとしてくれるシビルの優しさが胸に染みた。
シビルが初めてお留守番が出来たときは全力で褒めてあげた。
一人でトイレが出来たときも、一人で髪の毛を洗えたときも、一人でお皿を洗えたときも、そして俺の罠を設置するのをちゃんと手伝えた時だって。
死んだニコラの分も、死んだ妻に謝りながら、シビルの事を褒めてあげた。
「パパ!こっちだよ!はやくー!」
「パパ!いってらっしゃい!がんばってね!」
「もー!しらない!パパなんてきらい!」
「おかえりなさい!パパ!」
よく笑い、よく泣き、よくけんかして、仲直りした。
気がつけばシビルの青白い肌色が、空のように美しいと感じられた。紫の髪色とよく似合ってて、血のように赤い瞳もルビーのようだと感じられるようになっていた。
自分とは似ても似つかないシビルの事が、自分の娘だと疑わなくなっていった。
そうやって1年が過ぎ、2年が過ぎ……そして5年目になった頃。
俺はシビルがこれから生きていくために必要な儀式を、見せてやらなくてはならなかった。
「シビル。今日はお前に食肉の作り方を教える」
「おにくのつくりかた……?」
俺は今まで、シビルの前でウサギやイノシシを捌いたことが無かった。まだ赤ん坊のシビルに見せたところで、心の傷になるだけだと思ったからだ。
成人をとっくに迎え、襲い来る魔獣を何度も撃退してきたはずの俺ですら、初めて生きたウサギを捌いたときは手が震えたものだ。それほどに、解体は血なまぐさい作業だ。
「俺たちがいつも食べている肉は、村周辺に生息する魔獣達の肉だ。だがそれらは自分達が食べる分だけを分けてもらっているわけではない。こうして生け捕りにするなり、殺すなりして捕らえたものを、食べられる肉に変えているんだ。今日は、このウサギを食肉に加工するところを見せる」
「うさぎさんをころしちゃうのっ!?」
まだ6歳に満たないシビルに見せるのはやや早いかとも思ったが、俺がいつ死ぬか、獲物を捌けない体になるかは、誰にもわからない。
獲物を取ることは罠だけでもやれなくはないが、獲物の捌き方が分からなくては意味がない。早めに知っておくに越したことはないんだ。
「パ……パパ……!ねえ、かわいそうだよ!やめよ?きょうはおにくがまんしようよ!わたしもがまんするから!」
半泣きで俺に訴えるシビルの姿が、とても尊いものに見えた。
世界中の人間たちに俺の娘を見せてやりたくなった。
魔族であるはずのシビルは、食べるために必要な獣の解体を、可哀想だから止めようと言える優しい子供に育ったのだ。
ならば、人間を殺して笑う彼らを育てたのは誰なのだ。
娯楽で動物をハントし、魔族を殺した戦士を英雄扱いする人間と魔族は、何が違うのだ。
魔族を育て、魔獣と共存する俺は、お前ら人間と何が違うのだ。
だが、いくら尊くても生きるためには食肉が必要なのだ。
生きるためには、他の命を食らうしかないのだ。
動物であれ、植物であれ、そこに違いなど存在しない。
「シビル。お前は優しい。その優しさは大事にしなさい」
けれども。
「それでもお肉を食べないと、栄養が足りなくて俺たちは死んでしまう。シビル、お前を栄養不足で死なせるわけにはいかない」
「やだ!やだ!ウサギさんをころさないで!パパおねがいだから!わたしいっぱいがまんするからぁ!」
目の前のウサギを父から護ろうとする彼女こそが勇者じゃないのか。
どうなのだ、勇者様よ、神よ。
「シビル。パパはお前よりも大人だから、お前よりも早く死んでしまうんだ」
「っ!?」
「だから俺が生きている内に、お前に生き方を教えないといけないんだ。お前に俺が知っていることを、俺が死ぬ前に全部伝えたいんだ。そうすれば、俺が死んだあともお前の中に、パパはずっと生きていられるだろう?」
……ずるい言い方だ。俺は卑怯者だ。
自分の命を人質にして、知りたくもないことを無理矢理教えようとする俺こそが魔王ではないのか。
なるほど?ははっ、なるほど!シビルの、魔王の娘の育て役に、俺はふさわしかろうな。
そうだろう?魔王様。シビルの本当の父親よ。
シビルはただ黙って、俺とウサギを交互に見た。震える両手と、あふれる涙が、シビルの苦悩を如実に表していた。
それが肉を食べたいからではないことは明白だった。
どれくらい迷い、悩んだのか。随分と時間をかけた後、娘は絞り出すように答えを出した。
「…………わかった。…………パパ、わたしにおにくのつくりかた、おしえて」
俺はただ黙って頷いた。何も言葉が出なかった。
俺も、娘に対する罪悪感に押し潰されそうだったからだ。
娘が見守る中、俺は暴れるソードラビットの首に、ナイフを突き立てた。
かつて娘を刺そうとしたものと、同じナイフだった。
夕時の食卓に、捌いたウサギ肉が並んだ。
クリームスープにして出されたウサギ肉はいつもと同じ物だが、シビルからすれば初めて解体されたのを目の当たりにした直後の肉だ。
命を奪われたばかりの肉だった。
「ねえ、パパ」
シビルはスープから俺に目を移した。今までよりも理性の強い、理解を求めるのではなく、理解しようと努める者の目だった。
「パパは、パパが教えたことはパパが死んだあとも、わたしの中で生きてるって言ってくれたよね」
「ああ。お前が俺の知識を受け取ってくれれば、俺はずっとお前の中で生きていける」
お前をずっと、見守っていけるはずだと信じている。
「じゃあ……じゃあさ!ころしたウサギさんも、捨てないでぜんぶたべたら、わたしの中で生きてくれるかなぁ……!」
そんなきれいな話じゃない。ただ命を奪い、喰らっただけ。喰らったものは消化され、いずれ便となって吐かれるだけだ。
でも、そんなことはきっと、シビルもわかっているのだろう。だから泣きながらも笑みを選び取ろうとするのだろう。
わかっていても、そう信じたいのだ。俺が先に死ぬという言葉を、信じたくないように。
「ああ。だから命を奪うとは、そうでないといけないんだよ。シビル」
俺は自分がとても残酷なことを教えているとわかっていても、そう教えてやりたかった。それがこれから多くの命を喰らわねばならない娘にできる、精一杯の夢だった。
その日のスープは、特別温かい味がした。
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