第2話 二人ぽっちの旅
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シビルを育てると決めた俺は、騎士団に戻ることを諦めた。何故なら、シビルを王国の連中に見せるわけには行かなかったからだ。
騎士団に限らず、王国には魔族によって家族を殺された人達が大勢いる。例えば、俺のような人間が。
あの崩落する魔王城で大穴に落ちたんだから、俺のことは死んだと見做されてるだろう。だったら、このまま逃げ隠れるのが一番だった。
グズるシビルを抱いて、騎士団が駐屯している辺りとは逆方向に向かった。たしか、ここからかなり距離はあるが、海岸の近くに廃村があったはずだ。
魔王の部下である魔族に襲われたことで相当な数の人々が殺され、家屋も破壊されたらしいが、もしかしたらまだ使えるものがあるかも知れない。国に戻れず、人間社会からも離れるしかなかった俺には、それくらいしか頼れるものがなかった。
馬車を使えない中での二人旅は、長く過酷な道のりだった。
晴れた日は熱い陽射しから、雨の日は冷たい雨水から、小さなシビルを守った。
壊れたサレットを鍋代わりにし、雨水や川の水を沸かして、シビルのための白湯を作った。
バックパックの乾パンをお湯で溶き、お腹を壊さないように少しずつシビルに与えた。
イビルバッファローを狩り、絞り出したミルクを温めて飲ませた。
おそらく魔獣に襲われたのだろう旅人のバックパック内に
替えのおむつはないから、俺の服を破って巻き、元々巻かれていた布と交互に洗って使った。
体をたっぷりのぬるま湯で洗ってやれないことに心を痛め、風邪を引かないよう祈りながら、毎日体を拭いた。
どこにいるとも知れぬ神に祈りながら毎日歩いた。
「どうか、どうか無事に生き残れますように」
どうかこの不憫な赤ん坊と、人類の敵になった俺に祝福を。
俺にこの赤ん坊を救わせてください。神様。
長い旅の終わりに、そこで見たものは、まさに廃墟だった。
残っているのは焦げきった炭。家屋の殆どは破壊され、焼け落ち、人の姿も、人だった物も、何もかもが残っていなかった。当然食糧と言えるものは殆ど残っていなさそうだった。箒だったと思しき棒きれは、持ち上げただけで崩れ落ちた。
無事なのは井戸と、鍛冶に使っていたと思しきかまどと、パンを焼くときに使っていたと思われる石窯だけだった。だが、そんなものを持ち歩くわけにもいかない。全てが奪われた中、水を確保できるだけでも満足すべきかもしれなかった。
「だが、水だけでどこまで保つかな……ん?」
失意のままふと丘の方を見ると、遠くにまだかろうじて形を残している焼けた小屋と風車があった。風車の羽はかなり破れ落ちていたが、まだ僅かに揺れていた。
思わず目を擦り、2度見した。まだ動く設備だ。あそこなら、もしや!?
「あ……ああ……っ!やった……!やったぞ……シビル……!ははっ!助かったぞ!!」
俺にはそれが、王都の公爵邸よりも遥かに美しいものに見えた。
風車の横に建てられていた小屋は、屋根の一部こそ落ちていたが、中身の多くは無事に残っていた。おそらく村からの火の粉で屋根の一部が燃えたものの、周辺に家屋が無かったのもあり、過度な延焼に至らなかったのだろう。
ここは恐らく小麦粉等を袋詰めしたり、風車の近くにあった小麦畑を管理する作業者たちの、休憩用に建てられた小屋だったのだろう。小屋と言っても複数人が並んで横になれる程度の広さがある。
簡単なキッチンと、浴場というべきか迷うが、排水できるだけの溝が掘られた小部屋もあった。風呂釜の調達は必要だろうが、ここでなら水浴びや、お湯浴みには困らない。
ホコリを被った作業服と下着がいくつか残されていた。裁縫道具があれば、シビルのオムツくらいなら作れるだろう。
「ははっ……!屋根が残ってる……!壁もだ!ここなら、寒さに当てられずに眠れるぞ!ははははっ!やった!やったぞ、シビル!」
「うあー!!あああああん!!」
「げ、もしかして!?あああっ!やっぱりオシモか!何もこのタイミングで漏らさなくても!」
安心した俺は、まだ解決すべき問題が山ほどあるのも忘れて、ついつい溢れた笑顔もそのままにシビルの布を取り替え、体を拭いた。
いつぶりかわからないほど久しぶりの、屋根のある、雨と風を防げる環境でのオムツ替えだった。決して清潔とは言えない環境であっても、人の温かさを感じられる中で行うオムツ替えに感動して、笑いながら涙が流れた。
ここを大事に使ってくれていた村人に、感謝の祈りを捧げながら。
泣き疲れて眠るシビルを抱きながら、小屋に残されていた鍵を使って風車のドアを解錠して中に入った。するとそこには――
「ああ……っ!ああ神様……っ!あなたの慈悲に感謝します……っ!!」
――いくつか袋詰された状態で積まれた小麦粉と、まだ挽く前の小麦が残されていた。褐色の実が、黄金色に輝いて見えた。
震える手でそれをすくえば、パラパラと形の良い小麦の実が落ちた。幸いなことに、本当に幸いにもカビてはいないようだった。
「よし……状態はいい!これなら畑に撒けば、また新しい小麦を作れる!農作業ができるぞ!」
小麦粉の方も無事だった。床に近いものの一部は湿気ってしまったようだが、それらを省いてもかなりの量は無事だとわかった。
これなら、塩があればまともなパンを焼ける。塩は最悪、海で製塩することも可能だ。いや、これまでの道程を思えば海なんて大した距離ではない。だってこの丘からは輝く海がもう見えているのだから!
一方、風車のすぐそばに残っていた畑はひどい有様だった。
「……いや、どこからどこまでが畑だったんだ?」
長年手入れされてなかった土は固くなり、雑草が大量に生えて埋め尽くされている。全て抜くだけで数日はかかりそうだった。
だが、それでも小麦を植えればちゃんと育つはずだ。もしかしたら雑草を掻き分ければ、食べられる実や野菜が自生しているかもしれない。作業小屋には畑の管理に使っていたと思しき道具も残っていた。
ここでなら、やっていける。俺はそう確信していた。
「…………う?」
「ああ……起きたか、シビル。見ろ。あれが海と、夕日だよ」
ここは明らかに廃墟だった。残されたのは燃えなかった石や鉄、そして井戸だけ。周りに無事な村もなく、街からも遠い。
人が住むようなところではない。俺が住んでいた王都にあった、美味しい食べ物も、酒も、煙草も…………家族も無い。
だが、ここには水と、食糧と、小屋があった。
まだ赤ん坊のシビルがいた。
「うあー♪」
「……っ」
今からでもシビルを捨てれば、俺は王都に帰れる。シビルを殺せば、家族の仇を討てる。
むしろ、魔王の血を絶やしたことで俺は英雄になれたはずだ。美味いものを食って、酒に酔える毎日を送れるだろう。
それでも……それでも、俺は!
「…………よし……!よしっ!ここがいい!ああ!ここが一番いいぞ!ここでお前を育ててやるぞ、シビル!パパがお前を立派なレディに育て上げてやる!俺の妻と同じくらい素敵な女の子に育ててやるからな!!」
シビルの腋を両手で抱えて、思い切り夕空に掲げた。
キャーキャーと喜ぶシビルの笑顔は、俺の選択が間違っていないことを証明しているように思えた。
それがあるだけで、俺は生きていけるような気がした。
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