第21話 竜姫とアップルパイ

 ヌンがおすすめだといったスープは辛いだけでうまいとはちっとも思わなかった。


 そこは店先の露台に日よけとテーブルをしつらえてある洒落た料理屋で、客層は若く上品な人たちばかりだ。


 ヌン自身、ああいったくせにお気に入りの店といった風ではない。大きな肩をなるべくすぼめておれの顔色ばかりうかがっている。ご機嫌取りなのが見え見えだ。


「聞きたいことがあって」


 おれはつとめて明るくいったつもりだが、声音は期待したほど陽気でなく、ヌンの表情もぎくりと警戒に揺れる。少し声を落としてたずねた。


「どうしてイシュチェルを見て『竜姫』っていったんだよ。竜姫は森に棲む竜のことだろ?」


 ヌンは視線をそらし、紅茶が入ったカップを口元に運んだ。じっと見つめていると、仕方ないといったかんじで、さらに肩をすぼめ、ため息交じりにいった。


「ノムアではお前が知っている水神祭のほかに、べつの言い伝えがあるんだ」

「べつの言い伝え?」


 ヌンは茶を飲み下してうなずいた。おれは視線を下げ、唐辛子で赤く染まった芋を匙でつつく。


「竜と竜姫は別物ってこと?」

「まあな。竜姫は竜に仕える者のことを指す」

「……竜に仕える者、ね」


 噛んだ芋はほっくりしていたが、辛みで舌が痛くなる。おれは水と一緒に流し込み、顔をしかめた。


「これがおすすめ? セラプトが食べたら気絶する味だ」

「流行りの店なんだぞ」


 ヌンは回りをちらちらうかがいながら前に乗り出す。


「お前くらいの年の子は、みんな行きたがる店だ」


 おれは隣の席を見、視線を戻した。イシュチェルくらいの年頃の女の子が二人、丸い焼き菓子をつつきながら笑っている。


「女の子は、だろ? それか、おれくらいの年の子が女の子と来たがる店」

「かもな」


 ヌンは椅子の背に寄りかかり、苦笑する。


「若いもんはすぐ新しい場所に慣れるな。お前のほうが街の流行に詳しいようだ」


「……どうだか。それよりイシュチェルのことが知りたい。彼女をなんで『竜姫』なんて呼ぶんだよ。まさか本当に竜に仕えてるから、なんていわないよね」


 ヌンは渋い顔をする。言いにくそうにしていたが、黙って見つめていると口を開いた。


「髪の色が変わってるからだ。ああいう子をノムアでは『竜姫』と呼んで岩場に棲む竜のため供物に出す。滅多に生まれない髪色だからな」


「セラプトが白いのと同じで?」

「そういうことだ」


 おれはちょっと考え、首をひねった。


「ノムアは進歩的な集落だと思ってた。おれたちククスのやり方には反対してたんだろ? でもイシュチェルは……」


 四つの時からあの場にいる。それから十年は経過しているはずだ。


「ノムアはイシュチェルが生まれたから、水神祭に少年の供物は出さなくなったってこと?」


 そうなら全く進歩的でない。ノムアの街は発展しているのに。変わった髪色の子が生まれたからって、そっちを供物に差し出して満足してるなんて、ククスや他の森の集落とやっていることは同じだ。


 おれの不機嫌が伝わったのか、ヌンは腕組みすると気まずそうに頬を緩めた。


「おれはどちらにせよ、よそ者だから詳しくない。知りたいならミラに聞くといい。彼女のほうがよほどわかりやすく説明してくれるだろう」


 おれは持っていた匙を皿の端に置いた。食い物を残す日が来るなんて思わなかったが、これ以上、この人の前に座って耳を傾けている気分じゃなくなった。


「ヌン。あの人はおれに会いたくないと思うな」

「そんなわけないだろう。お前たち親子は複雑だが——」

「複雑なんかじゃないよ。生んだ、捨てた、出会った。それだけさ」


 椅子から腰を上げ、立ち去ろうとすると前から腕が伸びてきた。ヌンにぐっと押さえつけられて再び椅子に座るしかなくなる。


「わかった、ケセド。ミラとお前の関係に口は出さない。これでいいな?」

「さあね」

「ああいうのを頼もう」


 ヌンは隣の女の子たちの席に目をやり、給仕に同じものを頼んだ。あの丸い焼き菓子はアップルパイというらしい。


「りんごだ。好きだろ、りんご」

「今日はりんごの日じゃないけどね」


 怪訝に見返してくるヌンに、おれは肩をすくめた。それから黙ってそっぽを向いていると、気づまりになったのかヌンが声音を和らげて話しかけてきた。


「供物についてだが」

 ヌンは指で天板を叩く。

「元々はノムアに伝わる『竜姫』が本来の言い伝えだったらしい。そう聞いたことがある」


 反応しないでいると、ヌンは声をひそめてさらに続けた。


「この森には竜王がおり、珍しい娘を好む。だから竜王が棲む水辺の岩場に供物を差し出して機嫌を取った、って話だ。それが」


 ちょうどアップルパイが運ばれてきたので、言葉を切るヌン。食え、と皿を押し出し、自分はせかせかとやっつけ仕事のように食べ始めた。


 パイは甘酸っぱく美味しかった。さくりとした生地は気に入った。似たようなものを自分で作れたらいいのに。この店にイシュチェルと来るのはまだ難しそうだから。


「それが」


 ほとんどを一気に食べたヌンが話を進める。


「時代と共に話は変わっていった。竜が王から姫に変わり、若い男を求めるようになる。その理由は」


 ヌンの言葉が止まるので、おれは目を上向けた。パイに夢中で話を聞いていないと思われたらしい。おれは興味があるのを示すため、こくこくうなずく。


「……戦争だ、ケセド。ここらを収めていた領主が若い兵士を集めたくて言い伝えを変えたそうだ。だから供物の数もひとりふたりじゃない。何十人も差し出すよう、集落に号令をかけた」


「従わないと怒った竜姫が集落ごと消すってことにして?」


「だろうな。結局、現実の竜姫は領主さまってことだ。でも戦の時代が終わり、長く平和が続いてるだろ。王の治世も安定してるからな。その結果、森には供物の風習だけが残り……ミラのような活動をする者も出てきた」


 供物に出された少年たちを救い、集落を飛び出してきた者にも手を差し伸べる。その活動の拠点がノムアだ。でもそのノムアが。


「イシュチェルみたいな存在はほっとくんだ」


 噛んでいた甘酸っぱいりんごを吐き出したくなった。砂利でも噛んでるみたいだ。


「ノムアにも古い考えの人間が多く残ってるんだ。街の外れに行けばわかる。あの区画では、ククスとそう変わらない生活を頑なに続けている。おれだけじゃなく、ミラのような他の集落出身者すら立ち入らせないんだ」


「イシュチェルはそこで生まれたの?」

「……さあ、それはわからんが」


 煮え切らない反応だ。ヌンやミラの言動を見ていると、イシュチェルのような境遇をある程度容認している気がする。


 なぜならあの子は髪色が普通じゃないから。普通じゃないなら他と違う扱いにしてもかまわない。おれが、集落の供物は「そういうもの」だと思い込み、疑問を持つことすら拒絶していたのと同じで。


「イシュチェルの家族は、その気になったら見つけられるかな」

「何をする気が知らんが、やめとけ、ケセド。あの子にとっても良くない」


 おれは答えず他所を見ていた。特に何かを見ているわけじゃなかったが。


 金髪の少女が通りを歩く姿に目が留まる。隣にいるのは母親だろうか。でも彼女は黒髪だ。腕を組み、親しげに歩いている。眺めていると、ヌンはなだめるような、諭すような声音で話しかけてきた。


「ケセド。岩場のあの子を不憫に思っているんだろうが、お前の考えだけで動いちゃいかん問題だよ」


 おれの反応がないからか、ヌンはため息をついている。


「聞け、ケセド。お前だっておれが無理やり集落から連れ出したとして、それで喜んだか? ん? もうわかってるだろうが、おれは何度か一緒に行かないかとお前を誘っていたぞ」


 それはわかっている。きっとヌンはおれが「集落を出たい」と頼めば、すぐにでもロブが引く荷台におれを乗せて連れ出してくれただろう。でも。


「お前は来たがらなかった。そうだったな? 集落の掟が大事だった。ミラと同じ過ちを犯すなんて考えられなかっただろう」


 あの頃はそうだった。かあさんの罪をかぶり、償い、いずれ集落の——ジジ様の家族に迎えてもらいたいと、その一心で何事にも耐えていた。


「あの娘も同じだ。家族のもとに帰りたがってるなんて考えは間違って」


「家族に返そうなんて思ってない。どうせイシュチェルを岩場に捨てた人たちだろ?」


 言葉を遮り、おれは通りの親子から視線を外したが、ヌンには目を戻さなかった。空になった皿を見つめ、なんとなく生地の欠片をフォークでつつく。


「ただ、あんな場所で暮らさなくても、って。そう思っただけだ」


「ケセド。おれたちは」とヌンは黙り、「ミラもそうだ」と低く付け足す。


「あの子があの場から出たいというなら手を貸すさ。でもそんな言葉は聞いたことがない。お前と同じだよ、ケセド。良かれと思っても、無理強いしたら娘を怖がらせるだけだ」


 そうだろうか。イシュチェルが助けを求めていない? あんなに痩せて。ひとりで。面白おかしく生きていたとでもいうのか?


 ヌンの言葉は無責任な偽善に満ちていると思った。彼女があの場にいようとするのは、それ以外の場所で生きる自分を想像できないからだ。


 集落がすべてだったおれと同じで。他を知らなくて、どうして「ここから出たい」と願う? 暗闇に飛び出すのと同じじゃないか。楽しく生きていける保証もない、もっと悪くなるかもしれない。だったら、慣れた場所で苦痛を誤魔化しながらでも耐え続けるほうがましだ。 


「ヌンはいつまでこの街にいる?」

 おれは彼を見た。

「……しばらくいる。お前は」

「今日は戻る。セラプトを置いてきてるから」


 アップルパイを買って帰れないかとたずねたら、ヌンは喜んで持ち帰り用を頼んでくれた。紙包みに入ったパイは温かく、香ばしくて甘い匂いがした。

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