第13話 新しい街ノムア

 イシュチェルが寝ているうちに、おれは行動を開始した。邪魔されることはないと思うけど念のためだ。


 セラプトはこの日もイシュチェルが抱いて寝ていたが、おれが起き出すと彼も目を覚まし、ゆっくり這い出してきた。


 目と目で「行くか?」「もちろん」と意思疎通。なるべく物音を立てないようにして、のろのろと移動する。洞窟の奥へ進み、あの狭苦しい中を抜けて岸のある出口に到着すると、その頃には朝日が水面を照らしていた。

 

「イシュチェルはおれを……はないだろうけど、お前のことは探すかもな」


 セラプトは軽く首をすくめ(たぶん人間でいう肩をすくめる仕草)、するすると川へ這っていく。


 水は澄んでいたが、底はよく見えなかった。入り組んだ木の根がはびこり、水草もたくさん生えている。


 おれは衣を脱ぐと細く畳んで首に巻いた。最初に手だけ水に入れてみる。冷たい。でも供物として最初に『竜の胃袋』に入ったときだってこれくらい冷たかったはずだ。


 ふ、と息を吐きて気を引き締める。と、おれを見上げていたセラプトが「見てろ」といわんばかりに胸を張ると、尾に力を入れて、たんっと川に飛び込んだ。


 しなやかに潜り、くねくねと浮上する。優雅に蛇行して泳ぐと、木の幹までいって、どや、と振り返る。おれは吹き出した。


「わかった。すぐ行く」


 岸に腰をつけ、足を浸す。手で支えつつ、体を水面に落とした。一瞬にして頭の上まで水位が上がる。想像以上に深い。慌てたが力を抜き、水を掻く。


「ぷはっ。これは完全に泳いでいかなくちゃな」


 深くても肩あたりまでだった前半の『竜の胃袋』とは違い、こちら側は潜って確かめてみても、底がうんと遠くにあった。


 たまに木の根を蹴り、弾みをつけながら、おれは順調に泳いでいった。先を行くのはセラプトだ。白い体が気持ちよさそうにたゆたう。


 気持ちの余裕があるからか、鳥のさえずりが耳に心地いい。周囲にいる昆虫にも目がいく。景色を眺めながらたまに休憩し、見つけた果樹から小さな黄色い実をもぎ取って食べた。


 実は半分に割るとぎっしり種が入っていたが小粒でやわらかく、ざくろに似て美味しかった。セラプトも枝によじ登り、二、三個落としては丸飲みしている。


「こっちの胃袋のほうが賑やかだよな」


 生い茂る木々は密集しているのに薄暗くはなかった。適度に陽が差し、木々のひとつひとつが太くがっしりしている。葉も色が濃く、見慣れない植物が多かった。


 岩壁をはさんでこちらと向こうとでは同じ『竜の胃袋』でも環境が変わるようだ。心なしか、こちらのほうが温暖な気がする。水温だって徐々に温くなっているように感じていた。


「さて、もうひと泳ぎしないとな」


 腹がぷくっと膨れたセラプトは泳ぐのをやめ、おれの肩や背中に乗って楽を決め込んだらしい。泳ぐおれから落ちまいと伸びたり丸まったりしている。


 それにしても、前半の川もそうだったが、蛙やイモリは見かけても、魚は見かけない。おれの動きで逃げているだけかもしれないけど不思議だった。


 魚が捕れたら食糧事情がだいぶ改善するのに。木の実や果実、植物ばかりじゃ、いずれ限界がくる。セラプトみたいに蛙を食べるのはまだ抵抗があって、まあ焼けばなんでも食える気もするが。


 けれど手を出すのはまだ早い。この川がたどり着く先に、きっと新しい集落があるはずだから。それが期待しているノムアじゃないとしても、イシュチェルに食べ物を届けに来ている人たちがいるのは間違いない。


 川の深さから、その人たちは船で移動しているはずだ。定期的に届けに来ているなら、そんなに遠くからではないと思うのだけれど。


 と、大木を回り込んで泳いだ先で既視感のある光景に出くわし、泳ぐのをやめた。立ち泳ぎすると、背にいたセラプトが落ちる。むっとしたようだが、おれが指さした方向を見て、彼もびっくりしていた。


「戻ってきたわけじゃないよな? だとしたらがっかりなんだけど」


 岩壁がそびえ、出発地点とそっくりの洞窟と岩場の岸がある。でも近づくにつれて別の場所だとわかった。


 洞窟の穴の大きさや、浅瀬になることなく切り立った岩の地面などには似ているが周囲にある植物はまるで違う。


 岩壁は見上げるまでもなく大きなシダの葉で覆われていて、木々が太い枝を伸ばして先を隠していた。


「ひとまず到着かな」


 セラプトは川からあがると、ぷるるっと体を振るった。おれもなるべく水滴を払い落すと、首に巻いていた衣を着る。


「じゃあ、洞窟に入ってみよう」


 また奥に行くにつれて狭くなると思った洞窟は拍子抜けする短さだった。出るとそこにあるのは森だった。水没することなく、大地に生える木々たち。草木が生える地面を踏み、おれは進んだ。


 そして。


「セラプト。おれ、夢を見てんのかな?」


 森もそんなに長くはなかった。すぐに人のざわめき聞こえ、賑やかな音に誘われていけば、そこには見たことのない集落が——いや、きっとこれは「街」と呼ぶんだ。

 

 ヌンが話していた。人々が行きかい、商売し、声を張りあげ、怒鳴り、笑う。それが街だと。


「すごい」


 セラプトも物怖じしたのか、おれの肩に素早く這い登るとしがみつく。その気持ちはわかる。おれもがたがた震えてしまいそうだ。


 それに。


「……まず、服と履物がいるな」


 場違い感が激しい。これでは裸でいるも同然だ。人々はヌンと同じような服を着ていた。上着にシャツ、ベスト、ズボンにブーツ。


 女の人も似たような格好もいれば、広がった裾をゆさゆさと重たげに揺らしながら歩いている人もいる。差しているのは日傘かな。集落では絶対お目にかかれない恰好だ。


「ヌンに挿絵を見せてもらってて良かった」


 初見なら腰を抜かして逃げていただろう。おれはびびりながらも歩いていき、勇気を出して荷台に南瓜を積んでいる男の人に話しかけた。


「あの、着物を売りたいんですけど」


 顔を上げた男は、遠慮なくおれを上から下まで観察した。ヌンくらいの年齢だろう。がっしりした体型で眉が太く、彫が深い。もうちょっと優しそうな人にしたらよかったと怯む。


「質屋を探してるのか?」

「あ、は、はい」


 シチヤがすぐには何のことかわからなかったが、思い出して大きくうなずく。


「そうです。お金が必要で」

「あっちだ」


 遠くを示した爪は土で汚れていた。


「看板を見たらわかる。わかんなかったら、近くでまた人に聞きな」


 それから男はにやっと笑った。


「あんた、逃げてきたんだね」

「え。い、いえ。違います。ありがとうございました」


 急いで礼をいい、彼が指さしたほうへ走った。供物なのがバレたんだろうか。恰好を見たらわかるのかも。ちらちらと人の視線を感じる。首にかかるセラプトの胴を触った。温もりに安心をもらい、立ち止まって一息ついた。


 周りには本当に様々な人がいた。黒髪ばかりじゃない。赤毛、茶、金。森に暮らす五つの集落は全員黒髪だと聞いていた。でもイシュチェルは瑠璃色だ。目は同じ黒でも髪の毛は違う。


 うつむき加減だった視線をあげ、改めて周りを探してみた。瑠璃色の髪が見えないかと。でも日傘や帽子で隠れている人もいてよくわからない。


「あの」


 おれは横を通った女の人を呼び止めた。彼女は黒髪で集落でも見かけるような年配の女性だった。服装も見慣れている単衣の着物だ。だたしククスで見かけるよりはうんと上等な仕立てだったけれど。


「ここってノムアですか?」


 女の人は一瞬驚いた顔をしたが、さっとおれの見かけに視線をやると、すぐに微笑する。


「そうだよ。ここは新しい街、ノムアさ」

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