第12話 今日はりんごの日

 女の子は洞窟の奥へと進んでいった。おれを待つとか振り返るなんて気づかいはちっともないらしい。暗くなっていく中を慣れた足取りで先々行ってしまう。


 洞窟は徐々に低く狭くなっていった。やがて小柄な彼女ひとりがやっと通れるくらいの隙間しかなくなる。


 つまり、おれは屈んでねじ込むように進むしかないわけだ。暗いし動きにくいしで、何度も岩壁に頭をぶつけた。


「あ、あの。もう少しゆっくり歩いてもらえると嬉しいんだけど」


 やんわり呼び止めてみるが立ち止まるそぶりはなかった。むしろちょっと速度が上がる。まあ通路がひとつ続いているだけだから迷うことはないのだが。……詰まったらどうしよう、と不安になる狭さではある。


 けれども洞窟は次第に広くなっていき、頭を上げても大丈夫になった。一時は真っ暗だった洞内も陽の光が届き始める。


 段差があったらしく、彼女は飛び降りて洞窟を出た。おれも続く。


 セラプトは着地すると同時に首から下り、うねうね這って彼女の足元まで行った。まるで今までもずっと自分の足で歩いてきたかのような態度だ。おれの肩にしがみついていたのに。


 出た場所は最初にいた洞窟の入り口とそう変わらない広さの空間だった。奥行きはあまりなく、ひと部屋分が楕円に広がってそこで終わりだ。


 ぽっかり出口があいていて、その向こうに見えるのは、


「川?」


 水辺が広がっている。浸水している木々。森が沈んでいる。


「そうか。まだ『竜の胃袋』は続いてたんだ」


 気持ちがはやり、彼女を追いこして岸辺に立つ。浅瀬になることなく、低く切り立った岩の地面のすぐ先が川になっている。


 沈んだ森がどこまでも続いている。陽光にきらめく水面とそこへ木陰を落とす木々はもう見慣れた光景だ。


 おれは『竜の胃袋』の到着地点が岩場であの岩壁なのだと思っていた。でもそうじゃない。そびえ立つ岩壁をはさんで、まだ大河は続いていたのだ。


 すねにあたった感触に視線を下げる。セラプトが物言いたげな顔して見上げてくる。頭をくいっと動かす。その先には彼女がいた。


 洞窟の端には数個の麻袋と木箱がひとつ積んであった。向こうの洞窟にあったのと同じものだ。若干、それより新しいかもしれない。


 彼女はひとつ麻袋を開けると、中の物を投げてよこした。りんごだ。新鮮でなく、しなび始めている。


「ありがとう」


 彼女は軽くうなずいた。返事はしないが、ちゃんと言葉は通じているらしい。彼女は次々と麻袋の中身を確認していき、木箱も開け、気に入らなかったのか首を傾げている。


 おれも中を見たくなり、りんごを懐に入れるとそっと近づいた。麻袋には芋や根菜、木箱は蓋がしてあったが軽くずらしてこっそり見る。からだ。何もない。だから彼女も首を傾げたのかな。


 セラプトが足に頭突きしてくる。見やると木箱の裏に茶色くなった紙の束があり、それを尾で示していた。文字が記してある。風に飛ばないようにか、丸石で押さえをしてあった。


 拾い上げ読む。かすれているし、いびつで上手な字じゃない。でも読めないことはなかった。


「……イシュチェル」


 突然、彼女に突き飛ばされた。手の紙束をもぎとり、くしゃくしゃに丸めると彼女は木箱に入れて叩きつけるように蓋をする。こっちを見てくる目が恨みがましい。


「あ、あの。ごめん。勝手に読んで。イシュチェルってもしかしてきみの名前?」


 彼女は舌打ちした。悔しそうだ。初めて発した音が舌打ちとは幸先悪いが、彼女の名前はわかった。


「綺麗な名前だね。おれはケセド。こいつはセラプト」


 木箱の上まで這い登ったセラプトがうやうやしくお辞儀する。彼女、イシュチェルはほんの少し攻撃的な視線を和らげ、セラプトを抱きあげる。セラプトは安心しきった顔をして腕に頭をあずけた。


 イシュチェルは険しい顔に戻ると麻袋へあごを振った。それから奥の洞窟のほうへまたあごを振る。


 おれは意味をくみ取りかね、彼女を見つめた。イシュチェルはまたあごを麻袋に振った。セラプトまで同じ仕草をしている。


「あ、ああ。なるほど」


 おれは麻袋をつかんだ。そこにある全部のやつを持っていきたいらしく、両手に提げるだけではたりなくて、まとめて抱くように持つ。


 セラプトを抱えたまま、イシュチェルは段差になっている入口に足をかけて身軽に上がり、来た洞窟を戻っていく。


 おれは岸を振り返った。ここが『竜の胃袋』の途中なら、さらに進んでいけば今度こそ川向うにあると聞くノムアにたどり着くかもしれない。


 だけど。おれは洞窟に顔を戻す。なぜ、イシュチェルはここにいるんだ? こんな岩場の洞窟で暮らしているなんて。


 もしかしたら。


「イシュチェルも供物?」


 おれとは反対側から来た竜姫の供物。ノムアは五つの集落から抜け、独自の祭事を行うようになった。供物を少年から少女に替えて。


「まあ考えてもわからないか」


 答えを知っているのはイシュチェル。それかノムア集落だけだ。ともかく彼女の信頼を得ないことには何もわからないし、食べ物すらもらえない。


 行きも必死だったが戻りの道も困難を極めた。慣れていて、さらには持っているのはセラプトだけの小柄なイシュチェルとちがい、「図体ばかりでかくなったごく潰し」とズンダが罵ったおれは、不慣れな洞窟で身を屈め、数個の麻袋まで持って進まないといけない。


 それでも洞窟を出たら火をつけて芋を焼こうと思うと頑張る力も湧く。肩やすねを岩壁で何度もこすってしまったが、おれは麻袋を抱えながらも途中で詰まることなく戻ってくることができた。


 ……んだけど。


「ひとつだけでもだめ?」


 おれは紅芋を片手に一本指を立てて懇願した。でもイシュチェルは火をつけることも、芋を食べることも許さなかった。むっつり黙ったまま鋭い眼力で拒否してくる。


 じゃあ、りんごをください、と手を合わせたが、さっき投げた一個で今日の取り分は終わったらしい。りんごが入った麻袋を開けようとしたら、触るな、と突き飛ばされた。


 イシュチェルは、おれを麻袋から追い払うと、袋を指差し、にらんだ。それで伝わった。おれは麻袋に対して接近禁止命令をくらった。


 潔く諦めた。洞窟を出て川に行くと、おれは汚れた腕や足を洗った。それから、懐に入れていたしなびたりんごをかじる。酸っぱかった。良くない酸っぱさだ。久しぶりに腹を下すかもしれない。


 悩んだが残りのりんごは川に捧げ、代わりに吐きそうになるまで水を飲んだ。飢えくらい耐えられる。我慢するしかないのなら、そうする以外にないのだから。


 もっと腹をすかしていた頃もあるんだ。今よりうんと幼くて小さかったおれでも耐えたことを、十八のおれがぐずぐずいってちゃ情けない。


 でも戻った洞窟でセラプトが瑞々しいりんごをシャリシャリ食べていたのには腹が立った。こいつは蛙でもネズミでも自分で捕って食えるのに。


 食べ物の恨みはヘビにも届く。彼はシャリ、と噛むと頬にたっぷり詰まっていたりんごをごくりと飲み下した。そうして四分の一ほど残ったりんごをくわえてこっちへいそいそ移動してくる。


「くれるのか?」


 ぼと、と落とし、にかりと笑うセラプト。


 イシュチェルの様子をうかがうと、彼女は麻袋の中身を全部出して個数を数えているらしかった。そっとセラプトが恵んでくれたりんごを拾うが振り返って止めてくることはない。


 なるべく音を立てないようにしながら、りんごを噛む。おれにくれたやつと同じ品種だとしたら鮮度というものは偉大だ。ほどよい酸味のある甘さが、じんわり口に広がる。泣くかと思った。


 そして、夕方。イシュチェルは火をつけるのを嫌がった。点火の道具がないのかと思ったが、セラプトが麻袋の隙間から火打石を発見しておれに見せてきた。


 ものすごい形相をするイシュチェル。視線で息の根を止めようとする人を初めて見た。でもセラプトが、くねくねとご機嫌取りで踊ると、仕方なし、といった嘆息のあと、許可が出た。


「ありがとう。じゃあ、芋を」


 投げつけられたのは、またりんごだった。今日はりんごの日らしい。鮮度は良さそうだ。なら美味しいだろう。


 洞窟の外に出て注意深く確認してみたが、焚火のあとのようなものはなかった。鍋など調理器具を要求してみても、彼女は険しい顔をするばかり。これもセラプトが木箱の裏から鉄の平鍋を見つけてきて——そして、踊り——使用の許可を得ていた。


 おれは簡単に石を積み上げ、枯草と小枝を拾ってくると火を点けた。リンゴを切り(小型包丁は彼女が渡してくれた)平たく並べて焼くことにする。少しでも温かい火の通ったものが食べたかったから。


「なあ、セラプト」


 焼けてやわらかくなっていくりんごを見ながら話しかける。セラプトはおれに寄りかかるようにして火を見つめていた。


「イシュチェルには料理の習慣がないのかもな。それに火を点ける習慣も」


 彼女の恰好や洞窟内の様子から想像して、ここでの暮らしが長いような気がした。数週間とかじゃない。戸惑いのようなものはなく当然のように岩場で生活している。


 イシュチェルがもしも、ノムアが用意した供物だとするなら。


「五年、いるのか?」


 水神祭は五年ごとに行われている。でも前回、供物を出したのはノムアではない。それに独自に祭事をやり始めたのなら五年ごとの計算も無意味だ。


「もしかしたら、育ちがいいのかもな」


 供物は大事に育てられるのが慣例だ。ククスではそうだった。ノムアも同じなら炊事の習慣がなくても理解できた。だが。


「お前は違うと思うのか?」


 セラプトは納得してないらしい。ヘビなりに難しい顔をしている。


「まあ、おいおいわかるだろ。よし、うまく焼けた。彼女の口にも合うといいな」


 こんがり焼けたりんごは見るだけで唾液が出てくる。食べるとやっぱり美味かった。砂糖も油分もなかったが、甘味がより引き出せていた。


 イシュチェルも気に入ったらしい。手招いて外に呼び出した時は疑わしげな目を向けていたが、一口食べて表情が輝き、熱いにも関わらず頬張っていた。


 ただまあ、おれたちは手づかみだった。セラプトも箸などの食器小物は見つけ出せなかったのだ。それでも昨日に比べたら大満足な夕飯になったと思う。


 眠るとき。

 おれは明日やることを決めていた。


 くぐっていった洞窟の先にあった麻袋や木箱は、誰かがきっと川向うから運んできたものだ。イシュチェルのためにあの場に置き、また川を戻った。だったら。


 おれはあの川を進んでみようと思う。

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