第11話 ナツメと小石と無防備な服
セラプトは女の子の足元までいくと、頭をもたげ、くね、と愛嬌のある動きをした。くね、くね、と続ける。
彼女は野生動物のような警戒心たっぷりの鋭い目つきをしたままだったが、口元が微かにほころんだ。セラプトはくね、とこれまで一番大きく身をくねらせる。
おれは緊張しながら見守っていた。女の子は上げていた手の中のものを後ろに放り——予想通り小石だ——屈むとセラプトの頭を慎重に触る。くね、と動くセラプト。
素早く手を引いた彼女だが、こわばっていた顔が一瞬にして笑顔になった。その顔はびっくりするほど可愛かった。
でも笑顔はすぐ消えた。木箱に立てかけてある麻袋を手にして、女の子は中から何か取り出している。食べ物のようだ。セラプトの前に置くとじっと見つめている。
セラプトは軽く嗅ぐ仕草をすると、もらったそれを食べ始めた。いつもなら食べ物を渡すと手でつかんで持つセラプトだが、普通のアシアリヘビのふりをして頭を下げて地面に置いたままで食んでいる。
そんなセラプトに様子を見る女の子の目は楽しげだった。先ほどの笑顔とまではいかないが、飛びかかってきそうな警戒心はかなり抜けている。
瑠璃色の髪にどうしても目がいってしまうけど、落ちついて観察してみると、彼女は最初に思ったほど幼くないようだった。
背丈が低くて痩せているが、顔立ちは十五歳より下には見えない。おれより年上ってことはなさそうだけど。それにしても。
彼女は身なりがよろしくなかった。髪はぼさぼさだし、着ている服は汚れていて、そばにある麻袋のほうが清潔でしっかりしている。
袋に頭と手を出す穴を開けているだけのような服なのだが、この年頃の女の子が着るには丈が短すぎる気もした。すねだけでなく、ひざのずいぶん上まで丸見えだ。しゃがんでいるので、なんかもう、全部見えそう。
めちゃくちゃ不格好。先代のジジ様が生きていたころのおれだって、もっと人並みな恰好をしていた。
「あの」
貪り食っているセラプトに目をやりながら話しかける。セラプトもやっぱり腹がすいていたのか、それともよほどうまい物なのか、がつがつ頭を振りながら食べている。
「あのー、ぼくもお腹が空いてて」
じろっとにらまれる。
「それを分けてくれるのが無理だったら、その、どこか食べ物がある場所とか、収穫できるようなところとか、あったら教えてくれないかなぁ、なんて。お金はないんですけど」
おれは襟元をつかむ。
「この衣は薄地だけど上質なんです。だから売ればいい値段になるはずで。汚れもついてない」
さっと見下ろした。きつく絞って乾かしたので皺だらけだが目立つ汚れなどはない。
「ので、だから交換で」
——食べ物を、という前に。
ひゅんっと飛んでくる。女の子がセラプトに目を向けたまま、巾着を投げてよこしたのだ。
また石かと思って体をひねって避けてしまったおれは、「ありがとう」といいながら拾う。巾着を開けると乾燥したナツメが入っていた。
もう一度、「ありがとう」と礼をいったが、女の子は一度もこちらを見なかった。彼女は一瞬でもセラプトから目を離したくないらしく、まばたきすらしない。
空腹でやっとありつけた食べ物のわりに、ナツメはあまりおいしくなかった。正直、何の腹の足しにもならない。ナツメは古くて固く味はほとんどしなかった。わずかに感じある甘味はおれのただの唾液な気がする。
だがセラプトは大満足だったようで、ケプとげっぷするとおれのほうに戻ってこようとした。
が、女の子が拾い上げ腕に抱いてしまう。セラプトと目が合う。ヘビが申し訳なさそうな顔をしていた。あれは「助けて」という顔じゃない。おれは軽く手を振って彼から視線を外し、まだ口内で持て余していたナツメを噛む。
おれは洞窟の入り口付近でひざを抱えて座っていた。寒い。火をつけてもらえないかと思ったが、彼女は毛布に包まるとセラプトを持ったまま木箱の陰で横になり眠ってしまった。
そばに寄ろうかと腰をあげかけたが、変にまた警戒されても困るので大人しくしておくことにした。毛布の端っこでもつま先に恵んで欲しかったけれど。
その夜、おれは夢を見た。
集落から追い出される夢。おれは泣いて許しを乞うていた。何でもするから住まわせてくれ、ここで暮らしたいんだ、家の中に入れてくれなくていい、外で寝るから。だから集落から追い出さないでくれ、と。
のどが渇きで目が覚めた。明るい。長い時間寝てしまったようだ。洞窟を出ると太陽はすっかり昇っていた。
女の子もセラプトも洞窟内にはいなかった。彼女がセラプトを盗んでいったのかもと考えたが、あのヘビならいざとなったら腕を噛んででも逃げただろう。
そんな騒ぎが起こったなら、おれだって爆睡してようが気づく。だからセラプトが怒ったり焦ったりするようなことは起きていない。もちろん、以前おれが彼にしたように、セラプトがおれを捨ててどこかに行ってしまった、なんてことは十分あり得るけれど。
でもそんな気鬱はすぐに晴れた。川岸に向かって歩いていると岩を這っていそいそとこちらに戻ってくる白い姿があったから。
「セラプト、朝飯か?」
セラプトは川に入ったらしく体が濡れていた。口に大きな蛙をくわえている。
「おれは遠慮しとくよ」
洞窟へ戻っていくセラプトを見送ってから川に向かう。女の子を探して岩壁を周って歩いてきたときは長く感じたが、川まではすぐそこだった。水が跳ねる音がする。彼女もそこにいるようだ。
おれは岩で滑らせないように足元に目をやりながらゆっくり進んだ。が、ふいに顔をあげ、そこで見た光景に、おれは動揺して滑り、岩場のあいだに足が挟まった。
足はすぐ抜けたが、尻もちをついた体勢のまま岩陰に隠れるようにうずくまる。水からあがる音がして人の気配が近づいてきた。焦った。恐怖からくる動悸とは違う動きで心臓が肋骨を割りそうだ。顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
彼女が目の前に立った。
「ごめん、見るつもりは——」
上げた顔を急いで伏せ、両手で覆う。なぜその姿で仁王立ちしてるんだ。彼女は一切何もまとってなかった。
しばらく硬直の時間が続く。彼女が遠ざかった気配に細く指の間をあけて確かめる。近くにはいないようだ。
どっと疲れた。よろよろと水辺に移動する。顔を水面につけた。思いっきり叫んでから顔をあげ、水をまた吐きそうになるまで飲んだ。
洞窟のほうへ戻ると段差の上に彼女とセラプトはいた。セラプトは岩の上でだらしなく伸びて日光浴していて、そんなセラプトを、今度はきちんと服を着ている女の子が興味深げに眺めている。
湿った瑠璃色の髪が輝いていた。でもそれよりも体のほうへ視線がいく自分が嫌になる。明るい陽の下で見れば見るほど、彼女はとても無防備な格好をしているとわかる。きっとあの頼りない麻袋をかぶったような服を着ているきりだ。下に何か巻いている様子もない。
おれの自分の衣をかけてあげたくなったが、そうすると今度はおれが下帯しかなくなる。それはそれでだめだ。
いろいろ考えつつ、あまり近づけずにいると彼女がこちらを向いた。瞳だけはおれと同じで黒色をしている。
彼女はくいっとあごを振った。それから洞窟へ続く段差をすたすた下りていく。ついて来いってことだろうか。岩で寝ていたセラプトがのそりと上体を起こす。
「何かくれるといいな。行ってみよう」
セラプトに手を伸ばすと腕を這い登り肩に乗った。よく陽に暖まったらしく、ぽかぽかしている。
「お前は蛙で腹いっぱいだろうけど、おれはナツメと水だもん。もっと食べ応えがあるものが食いたいよ」
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