第10話 瑠璃色の髪をした少女
竜姫とは一体、何なのか。
おれは明確な答えを出せずにいる。供物を差し出さないと集落を襲い、森まで丸ごと消してしまう、そんな竜がこの世に実在するのか、と聞かれたら、おれはきっとあいまいに微笑んで先を濁すだろう。
おれだって小さい頃は竜の存在を信じていた。だけどヌンと出会い、彼からいろんな話を聞いていくうちに、現実は輪郭を徐々にはっきりしていく。
おれは十八だ。八歳の子どもじゃない。この世に竜は存在しない。存在するのは『竜姫』に供物を捧げてきた森の集落の風習だ。
それでも育った環境はおれの想像をたくましくさせる。本当に竜がいないなんて断言できるか? 誰も見たことがないからといって、この世にいないといえるだろうか。
セラプトはどんどん進んでいく。岩壁まで行くとそこからは壁に沿って左に進んでいった。緩く湾曲して岩場が続いている。
たまに顔をあげ、あたりをくんくん嗅ぐ仕草をするが、セラプトはおれを振り返りもせず、確信を持って這っていた。その姿はやけに勇ましい。
手足を自由に動かせるセラプトは後ろ足で歩くことも出来たが、他のアシアリヘビと同じように這って進むほうが早さは出るのだ。特にこの岩場なら這うほうが断然有利だ。おれは何度も足を滑らせ、足首がずきずきしていた。
陽は落ち始めるとあっという間だ。暗くなり振り返っても水場が見えなくなると、そもそも乗り気じゃないおれの歩みは、ますますのろくなった。
あの女の子が竜の化身でも眷属でもないとして。一番現実的な考えは、この近辺に住んでいるってこと。川に行こうとしておれと遭遇して逃げたって可能性だ。としたら、家族か仲間のもとへ走っていったのだと思う。
彼女に何かしたわけじゃないけれど。もしもあの子の家族を見つけたとして、おれは温かく迎えてもらえるだろうか?
ここが森にある五つの集落のひとつだとすれば、おれの着衣を見て竜姫の供物だとわかるはずだ。女の子だってもしかしたら、それがわかって逃げたのかもしれない。
おれは立ち止まった。すると耳が良いセラプトは足音がしなくなったのに気づいたのだろう。彼も這うのをやめ、振り返る。
「セラプト。もう暗い。今日はここで休もう」
身振りであたりを示したが、セラプトはくいっと頭を振って先を進もうと促す。優しい彼は人間のいるところへ早くおれを到着させたいのかもしれない。
「良い人たちとは限らないよ。おれは供物だ。誰とも会わないほうがいいかもしれない」
セラプトは目をぱちくりさせた。首を傾げ、思案しているらしい。だが、すぐに答えを出したヘビはまたぐんぐん奥へと進んでいく。
「セラプトぉ」
おれはため息をつく。白いセラプトの体が岩場に見え隠れする。行くしかない。セラプトを見失いたくないから。
「セラプト、待って。行くから」
ヘビの皮膚は頑丈なのだろうが、おれの足の裏は岩場を急ぐと滑るし、小粒でも何かを踏むと痛くなる。途中で何度か転倒しかけて手をついた。セラプトは思いのほか近くでとぐろを巻いて待っていてくれた。到着すると頭をもたげて舌をちろりと出す。
「おまたせ。じゃあ、また出発してくれ」
セラプトはこくと大きくうなずくと頭をもたげたまま進んでいく。
そしてセラプトは大きな岩によじ登ると、ここだ、というように頭を鋭く下げる。おれは岩に手をあて、ゆっくりその奥をのぞいた。
下りる段差があり、岩壁を掘った洞窟がある。段差は人の手が加えられているように見えた。自然にできたにしては形が整いすぎている。
おれが慎重に洞窟を観察していると、セラプトはしびれを切らしたらしく、とんっと段差に飛び下りた。とん、とん、とセラプトには大きい段差を、落下するように跳ねて進んでいく。
「セラプト」
小声で呼びかけるが、セラプトはおかまいなしだ。集落で暮らしていたとき、セラプトはおれの言うことをよく聞いた。聞きすぎるくらいだった。
おれに飼われたばかりに、満足に外を出歩くことも出来ず、陽の光さえ周りの目を気にしながらこっそり浴びた。なるべく目立たないよう静かに存在を消して生きる。どれほど窮屈な生活だったろう。
それが今は全く聞く耳を持たず洞窟に入っていこうとしている。おれは恐怖を我慢して段差を下りた。おれは供物だ。見つかったら……、集落での日々が脳裏に駆け巡る。あの洞窟の中にたくさんの人間がいたらどうしよう。彼らはおれを見て怒り出すかもしれない。逃げ出した供物。ちがう、おれは逃げていない。ちゃんと『竜の胃袋』に入った。そこを歩いてきたんだ。
でも何か間違えたのかもしれない。供物がどうなるのか、ちゃんと聞いておけばよかった。誰も教えてくれない、じゃなくて自分から聞けばよかったんだ。放心して何も耳に入らなかった。もしかしたら重要な手順をすっ飛ばしてしまったのかも。
ここにいてはいけない者が現れたら、人々がどう振舞うかなんてわかりきっていた。セラプトだけなら。いやセラプトだって他と異なる。あんなに白いヘビは嫌われる、集落ではさんざん不気味がられていた。
それに手足が動くアシアリヘビなんて異形以外の何物でもない。危ない。またセラプトが怪我をしてしまう。そうしておれは再び彼を見捨てて月夜にひとり逃げ出すのか。
セラプトは洞窟に入ってしまった。すぐに抱き上げるつもりでおれも洞窟に駆け込む。と、いきなり顔に何か投げつけられた。痛みに手をやってしゃがむ。
指の隙間から何があったのか確認しようとしたら、また何かがぶつかった。足元に転がったそれを見る。小石だ。
「待った」
おれは顔を背けながら立ち上がり、両手を突き出した。相手はひとりだ。あの女の子。一目でわかる。瑠璃色の髪が洞窟のなかでも鮮やかだ。
次の石は飛んでこなかった。でも女の子は握った手を振り上げたままでいる。いつでもお見舞いできる状態だ。
「そ、そのっ、道に迷って。食料を分けてもらえないかと思ったんですが」
視線を忙しく動かしながら話しかける。見たところ、この洞窟を根城にしているらしかった。木箱がいくつかあり、藁の敷物が広げられ、上にくちゃくちゃになった毛布がある。壁面には大小の麻袋が、たっぷり詰まったものから平らになったものまで重ねてあった。洞窟の奥は深そうだったが、誰か出てくる気配はない。
「ケセドっていいます。ここはどこ? おれはククスから来ました。その、川を、『竜の胃袋』を渡って」
女の子に顔を向けたまま、両手を後ろに振った。何も持っていないことも同時に示す。彼女はまばたきひとつせず片手をあげたまま微動だにしない。
「きみは? あの。お、ぼくのいっていることがわかります? 通じてる?」
水神祭では森にある他の集落の人とも会う。彼らは同じ言葉を話していた。でも、それは代表者あったからかもしれない。もしかしたら、言葉が違うのだろうか? ヌンはいくつもの言葉が話せるといっていた。世界には言語がたくさんあるのだと。
「ここはノムアだと思ってたんだけど、ちがうのかな。おれはククスから来て……」
彼女の顔はさらに険しくなった。おれが黙ると、セラプトがすすっと前に這い出る。視線がセラプトに向く。おれは緊張した。石を投げつけるようだったら、すぐにでもかばえるよう集中する。
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