第2話 友だちは白いヘビ

 炊事場の裏から屋敷に入ろうとして足を止めた。中庭から笑い声が聞こえる。あの鼻の詰まった耳障りな笑い方はズンダだ。他にも、下品な笑い声やはやしたてる数人の聞き馴染みの声も混ざっている。


 どうせくだらないことを面白がっているんだろう。ズンダはおれより年上なのに、やることはいつまでたっても子どもじみている。


 彼らに見つからないうちにさっさと中に入ろうとしたが、笑い声が耳につき、どうしても何をやっているのか気になってしまった。壁に沿って行けば、ヤマクチナシの茂みからこっそり確認できる。


 枝葉の隙間から目を凝らすと、ズンダはいつもの面子に囲まれて、何が面白いのか腹を抱えてげらげらと笑っていた。


 彼はジジ様の息子で長男だ。将来はククスのジジ様になる立場で、集落に住む同世代の男たちは、いつだって彼の顔色を窺っている。


 今もズンダの調子に合わせておべっかを使っていて、あの奇妙に怯えたような笑顔を張りつけて互いを監視するようにうかがっている。


 彼らが何をやっているのか、最初はよくわからなかった。輪になって白い紐状のものを蹴ったり投げたりしていて、それが自分に向かってくるとわざとらしい悲鳴や怒声をあげて笑っているのだ。


「見ろよ、死んだんじゃないのか?」

「なんだよ、つまんねぇな。飼い主に似て弱っちいやつ」


 ズンダの言葉に、どっと笑い声があがる。輪が緩み、隙間があいた。その瞬間、おれは彼らが蹴飛ばしていたものが何かわかった。信じたくなくて目をそらす。


「次はどうする?」

「屋根裏に吊るしとくか」


「親父の部屋に投げ込んどくのはどうだ。おれが弁解してやるよ、『すみません、ケセドの可愛がっているヘビがこんなところで死んじゃったみたいです』」


 裏声交じりの舌ったらずなズンダの声音にまた笑いが起こる。


 勇猛な男なら、かっと血が上っていたはずだ。でもおれは悔しさより惨めさでいっぱいだ。


 あいつらが投げて遊んでいたのはセラプトだ。白くて美しいセラプトは地面に投げつけられ、踏まれ、嘲笑の雨に打たれている。


 やめろ、と。そういって飛び出せたら。ふざけるな、とズンダの鼻を殴りつけ、地面になぎ倒して、セラプトと同じようにぐちゃぐちゃに汚してやれたら。


 でもおれは怒りの形相で飛び出すのではなく、彼らの前に弱々しく震えながら出ていった。それが精一杯の反抗だった。


「やめて。ぼくのヘビだ。いじめないで」


 笑い声がぴたりと止む。目配せしあいながら輪を狭くしていく。ズンダたちの笑顔が醜悪さを増していく光景はもう見慣れたものだ。


 彼らが楽しんでいたのはヘビいじめじゃない。気づいたおれが止めに入る、それからがお楽しみの始まりだ。


「ケセド。これはお前のためなんだよ」


 同情たっぷりのお優しい眼差しのズンダ。ぷっと吹き出したのはズンダと一番仲の良いメロギだろう。彼のわき腹を隣の奴が小突き笑いを堪え合う姿まで、目を向けなくても容易に想像できる。


 彼らのやることはいつも同じことの繰り返しだ。あきもせず誰かを虐げ、同じ口調でからかい嘲る。そうして奴らは特殊な絆を深めあう。おれはその絆を強固にする遊戯に使う餌だ。


「感謝しろよ、ケセド」

「ヘビがお友だちなんてかわいそうだろ」

「ズンダはお前を思って教育してくれてるんだぞ。なんて優しい未来のジジ様」


 彼らは自分がどんな表情をしているのか、互いによく確かめあえばいいのに。三日月のような目、老けて見せる垂れた頬、姿勢は前のめりで首が突き出ている。


 けれど何より惨めったらしいのは、そんな奴らの中央で、おれも薄ら笑いを浮かべていることだ。癖になってしまった反吐が出る仕草。媚びへつらうおれは、この中で一番おぞましい存在かもしれない。


 でも罪人の子であり、ジジ様に拾われて情けで居候させてもらっているおれが、ズンダたちに向かって何ができる。


 大切な友だちが死にかけていても、おれは薄ら笑いを浮かべて許しを請うしかない。跪いて頭を垂れて。小さく小さく屈みこむ。嗚咽は飲み込んだ。でも涙はどうしようもなかった。


「泣くなよ、ケセド」


 ズンダはおれのそばでひざをつき、顔を上げさせる。見事な労わりの表情がそこにある。


「あんなヘビ、死んだほうがいい、そうだろ?」


 頬を軽く弾く。


「異形だ、あのヘビは。気持ちが悪い」


 セラプトは他のアシアリヘビとは異なる姿をしている。よく見かけるアシアリヘビは黒っぽい青色だ。真っ白なヘビは滅多に見かけない。だからその姿を見せただけでセラプトは不気味がられる。


 でもヌンは、「白ヘビを神の使いだとする地域もある」と教えてくれた。だからセラプトは珍しいだけで罪深い存在じゃない。


「このヘビは」


 かすれて震えている声が自分の喉から出てくるのを苦々しく思う。呼吸するだけで胸が痛かった。じくじくと膿んでいく。


「この、このヘビは大人しいから。きみたちを噛むことはないだろ? それに勝手に動き回りもしないから」


 セラプトは賢いヘビだ。人目をさけることを知っている。今日だって屋根裏部屋の丸籠でセラプトは大人しく寝ていたはずだ。


 きっとズンダたちは屋根裏部屋にあがってセラプトを持ち出したのだろう。セラプトはじっとしていたはずだ。噛みつけば逃げ出せたろう。でもそんなことをしたら後でおれが困るから。


 セラプトはされるまま、投げられ、蹴られ、踏まれていた。彼はそういうヘビだ。全部理解している。


 セラプトはおれが卵から孵した。十年前だ。ズンダたちが叩き落とした鳥の巣の中にひとつだけ大きさが違う卵があった。それがセラプトだった。


「そのヘビは悪さをしない」

「でも不気味だ」


 ぴくりともしないセラプトのぐったりした白い体に、ズンダは唾を吐いた。


「決めた。お前を男にしてやる」


 髪を引っ張られて無理やり立たされた。面と向かえばズンダはおれよりも背が低い。いつの間にか抜かしてしまった。でもそれは悪いほうにしか働かない。首をすくめ、背を丸めてなるべく体を縮こませる。


 おれは殴られると思って目をつむった。でもズンダはそうしなかった。乱暴な手が胸元にある首飾りをつかみ引きちぎった。


「ケセドを本物の男にする儀式を始めよう」


 ズンダは首飾りを高くかかげながら下がっていく。隠しきれない喜びが奴の顔を埋め尽くしていた。


「あのヘビを踏め。ぐちゃぐちゃになったら、これを返してやるよ」


 ズンダは首飾りを振った。


「時間は十秒だ」


 湧く歓声。手拍子までつく。


「いいね」

「ケセド、男になれ」

「簡単だろ」

「踏め、踏め」


 ……セラプト、ごめん。


「踏め、ケセド」

「ごー、よん、さぁん」

「ケセド、やれ、踏め」


 セラプトの目を虚ろだった。まだ息がある。とくとくと鼓動している。


 足が地面にのめりこんだように重かった。太陽の輝きは失せ、ズンダたちの囃し立てる声だけ残った。


「何やってんだよ」

「つまんねぇ」


 落胆の声。舌打ち、罵声。


 おれはセラプトを抱いてうずくまっていた。蹴ってきたのは誰だろう。背中、肩、頭。でも思ったほど長くは続かなかった。黙って耐えているだけなので興ざめしたらしい。


 最後に大きく横から蹴ってきた衝撃に体勢を崩してしまった。見上げたらズンダがおれを見下ろしていた。


「お前、ほんと惨めだな」


 おれはつらくなかった。抱いたセラプトは温かかった。それが嬉しかったから。

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