人柱  作:常夜

 私が彼と会ったのは仕事帰りの酒場だった。毎日働く私にとって、酒場で周りの騒音に耳を傾けながら一人で物思いにふけっているのは日課であり、ある種の楽しみだった。その日も一人で、自分の仕事の具合や数日前に遠方で起きた噴火についてなどあれこれ考えながらビールを飲んでいたのだが、彼に声を掛けられたのはその時だった。


「隣に座っても?」


そう聞く彼に、わざわざそんなことは聞かなくてもいいのにと思いながらも私は構わないと答えた。その答えを聞いた彼は席に座ってビールを頼んだ。彼のもとにビールが届き、それを飲んでしばらく経つと、彼は何を考えているのかと私に話しかけてきた。とりとめのないことさと私は答えると、彼はそうかと言い黙ってしまった。ますます妙な奴だと思いながらも少々気まずさを感じた私は彼に、君はなぜここに来たのかと聞いた。


彼は自らを旅人だと名乗った。様々な街を巡って今日この街に着いたばかりだと言う。そうか、旅人か。いや、そういう人間もいる事は知っているのだが、ずっとこの街に住んでいて旅人に会うという事は今まで一度もなかった。ふと、ビールの肴に他の街の話について聞いてみてもいいかもしれないと思った。この街がだいぶ大きいせいか私は生まれてからというもの、この街の外に出たことが無かった。きっとこの街での生活にだいぶ満足していたのだと思う。


他の街について興味を持った私は、食事を奢るので今までの旅路について話してもらないか彼に頼んだ。彼は奢ってもらう必要はないと断ったものの、さすがにただで聞くのも気がはばかる。少しの押し問答の末、彼はしぶしぶ了承し、私に旅の話をし始めた。氷に包まれた都市、溶岩を埋め立ててできた街、動く岩の上で暮らす人々……。そんな空想のような話を私はビールを片手に熱心に聞いていた。思えば、ここまで誰かの話に熱中する事は久しぶりだった。私にもまだ自分の知らない世界への好奇心があったのだろう。


やがて、彼の旅の話も終盤になり、最後の街の話になった。最後に訪れた街だが、と彼はそう言うと一旦言葉を切った。私はすこし不思議に思って先を続けるように頼んだ。


「最後に行った街は火山の近くにある街だった。火山や温泉が有名な街で、一切自然災害が無いことでも有名だった。きっと頑丈な街なのだろうと思っていたのだが、いざ入ってみると何てことない普通の街だったな。建物がひどく頑丈というわけでもないし、住人も頑強だったわけでもない。本当にここがその街なのかと思ったが、それは確かだった。私が滞在してた時にそこそこ大きい地震があったんだが、他の町は大きい被害を受けてたのに、その街だけはそもそも揺れすら無かったからね。他の町じゃ沢山の建物が崩れて数百人の犠牲者が出てるのに、その街は建物も崩れずに済んでたんだ。何か妙な話だろう?」


彼が言った事は確かに妙だ。技術の発展が理由とも考えられるが、それでも自然災害が一切ないというのはおかしい。確かに、と私は彼に返した。彼はその言葉に少し満足げに笑うと、続きを語りだした。


「だから、どうしてこんなに被害が無いか気になってね。こういう事は食堂や酒場で情報を集めるのが一番良いというのが経験則で知っていたから、地震が起きた翌日に食堂で店主に聞いてみたんだよ。まず食堂がやってることには驚きだったが……。今まで様々な所を旅してきたから、古代文明の技術か何かかと思っていたが、どうも違うらしい。」


違うのかと思う私を横目に、彼は笑って話を続けた。


「テレビを見たらわかるって言われてね。でも、テレビはどの街でもするようなCMしか流していないものだから、どこを見ればいいのかって聞こうとしたその時だった。映像が急に切り替わって『感謝報告』と書かれた白字のタイトルが画面に浮かんで、その番組が始まったんだ。番組の内容は男性のアナウンサーがひたすら人の名前を呼ぶだけだった。行方不明者の読み上げだろうかと思って聞いていたら、最後に『以上の五十三名の皆さま、人柱として地震を鎮めていただきありがとうございました。』ってメッセージが出てね。もう驚いたよ。人柱なんて迷信のような話だろう。それなのに、その街では今もそれを続けていて、そして効果が出ている。だから、店主にまた聞いたんだ。『これは一体どういうことだ。何であんな事を?』と。」


その後に店主の男が語ったのは、それがこの街の日常なのだという事だった。神殿には、何らかの大きい災害が町に迫っていると予知で知らせてくれる「ナニカ」がいるらしい。そして予知が起こると、人柱として町の人々を捧げる事で人柱以外の被害を0にしているのだ、と。なぜ人柱が災害を止めてくれるのかについては「ナニカ」のおかげらしく、小さい犠牲で多くを救えるのだからそれはそれでいいことだろう。と店主は旅人に語ったそうだ。


それに対して、旅人は「でも、それはおかしい。狂っている。」と返した。人柱などしなくても予知ができるなら、十分な対策をしていれば被害は最小限に減らせるはずだ、と。私からしても確かにそうだ。なぜわざわざ犠牲を自ら作り出すような事をしているのか。もっと他にすべきことがあるのではないか。しかし、男は彼の反論を鼻で笑って言った。「十分な対策、か。なら、その『十分な対策』とやらをしている周りの街を見てみろ。どうだ?ここより、被害が少ないか?」その言葉に彼は何も言い返せなかった。確かにそれは事実だった。他の街では数百人が死んでいる一方で、どんな方法であれこの街は数十人の犠牲で済んでいるのだ。


結局、彼はどこか腑に落ちないままその話を終わらせたという。そして、彼はこの街に帰ってきた。そこで、彼は自分の話をやめた。


「それで、どうだろう。あなたは最後の街についてどう思う?彼らは正しいのだろうか?」と、彼は私に尋ねた。


「どう、と言われても、正直分からない。死者もほかの街に比べて少ないからあながちおかしいとも言えないが、完全に正しいとも言えないだろうな。」と、私は答えた。


「そうか。あなたはそう思うのか。」と、彼は答え、そして続けた。「……でも、彼らのことも分かる。聞けば彼らが人柱を選ぶ際は立候補制なんだとか。何らかの理由でその災害が来ると分かった瞬間に募集が始まって、そこから人柱を選ぶそうだ。足りない場合は追加で募集をして、それが多い場合今度は辞退者を選ぶ作業が始まるそうだ。それも予知があってから1,2日ほどで全て終わるらしい。その後街に住む民総出で送別会をやって人柱を神殿に送り出して、災害が起きた後は壮大に葬式をするのだと店主は言っていた。……それが彼らの伝統で、そして日常だ。どこまでも、それが彼らには正しいのだろう。人柱に私のような街の外から来た人が選ばれることはないと店主には言われたが、それでも何だか怖くなってね、それで本来の予定を切り上げてここに来た訳さ。」


温泉にもうゆっくり浸っていたかったんだがと彼は苦笑し、それで話は終わった。私は彼に話をしてくれてありがとうと言い、彼はこちらこそこんな長話に付き合ってもらってありがとうと返した。その後、私と彼はそれぞれが注文した料理を食べ、旅人はその後に泊まる場所を探さなくてはと、その場を立ち去った。彼が去ってからも私はしばらくその街の在り方について考えていた。人柱という確定された少数の死と、地震の被災者というどこまでも不確定な多数の死。そこにある違いは何なのだろうとぼんやりと考え、そしてまたビールを飲んだ。酔いがだいぶ回ったころ、近くのラジオのニュースがやけにはっきりと聞こえてきた。ニュースは数日前に起きた大噴火の被害状況を語り、周りの街の支援やこの街のトップの反応についても流していた。


『……この噴火による影響については、いくつかの街では現在も詳細な状況はわかっておりません。火山近くにある温泉街との連絡が一切取れていないとの情報もあり、正確な行方不明者及び死者数も分かっていない状況です……』


少し目が覚め、慌ててニュースの声に耳を澄ます。温泉街と言ったか。もしや、彼が最後に訪れた街だろうか。しかし、その謎が解かれることは無いまま、ニュースは別の街の情報について流し始めた。


その後しばらくはラジオの声に集中していたものの、めぼしい情報はなかった。被害を被った街も多いのだろう。次にあの街の情報が出るのかは分からないが相当かかりそうだった。少し落胆し、私は酒場を出ることにした。


外は深夜近くという事もあり、人通りは少なかった。噴火の影響もあるかもしれない。少しふらついた足取りで帰り道を行きながら、私はあの街についてまだ考えていた。もし彼らが住む街で住人全員を人柱として捧げないと街を守れないと予知された場合、彼らはどうするのだろう。無人の街だけが残る状態になるとしても人柱を捧げるのだろうか。あるいは別の方法を取るのだろうか。予知する「ナニカ」は果たしてそれを見逃すのだろうか。


……やめよう。考えても意味のないことだ。私はそうして思考をやめ、帰り道を歩く。空からはまた灰が少しずつ降り始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る