第20話 合縁鬼縁


 噂をすれば影が差す――という慣用句。


 それは、まさに、諺として言い伝えられてきた通り――本当のことだった。


 噂の力とは、自らの過去を振り返って見ても、思い当たることも幾らかあるように、どういった因果が結果を齎しているのか、不思議とその人を引き寄せてしまう呪いや魔法のようながあるらしい。


 ≪侵入者警告≫≪侵入者警告≫≪侵入者警告≫


 このビービービーッ……というけたたましい音、危険を知らせるアラートが鳴ったのは、【Evernal = Online】で食事を取り、古城でのテイムを一通り終え、次に沼地でのテイムを行う前に休憩時間を取るべく、隠れ家ともなる湿地地帯の手前側の洞穴へと移動し、周辺の安全確認をした後、たまたまスリーブタイムへと移行しようとしていた時だった。


 ≪映像を保存しております――通報致しますか? YES/NO≫


 ……俺は今、途轍もなく後悔している。噂がどうとかいう訳でなく、唐突に現れた――というか、何をしに俺の家を訪ねて来たのか分からないが、先ほどエンジュさんが、インターフォンを鳴らした時に対応しておけば良かったと後悔している。


 今思えば、インターフォンカメラに映ったエンジュさんの様子はおかしかった。


 俺はそれに気付かず、さらに移動中でもあり、手が離せない状況であったため『まぁーまた後で店に行けばいいか』などと気楽に考えてやり過ごすことにしてしまったのだ。……そう、それがいけなかった。俺は、判断を誤ったのだ。


 カプセル型VR機器中の俺を必死に覗き込むエンジュさんの表情を見たら分かる。


 これはヤバいやつだ。もうどうしたら良いのか分からん。……でもさ、一度目に来た後に帰ったと思いきや、すぐに舞い戻ってきて、呼び鈴を鳴らしまくってドアを叩きまくって、さらには鍵を開けて家の中へと入ってくるなんて思わないじゃん。


 大家の家族パワーを侮っていた。いや、エンジュさんを侮っていたと言うべきか。


「生きてるのか! おい! タヅナ! 返事しろ!!」


 数秒遅れの映像を見ている限り、そう思ってしまう。


 ……リアルタイムでは、どうなってるんだろう。嫌だなぁ。出たくないなぁ。


 だけど、しかし、でも、このままスリーブタイムへ移行する訳にもいかないんだろうな。……これは絶対、ログアウトをしなきゃ、それこそ何をしでかすか分かんないし、後でコロサ――


「おい! 死ぬな! タヅナァ! くっ、おいくそォ! どうやったら開くんだこれ!? おいタヅナ! 待ってろよ! 今、開けてやるからな! ……あぁ、そうだ! ……なにか、何か、無いか?! 金槌みたいな……」


 ――ハ? この人、カプセルブチ破ろうとしてない?


 ヤバイヤバイヤバイ!! ログアウトログアウトォオオオオオッ!!!


「……よしっ! 今、助けてやるからな! タヅナァアアアアアア――」


『――ゥァアアアアアアアア!!? 待って待って待ってェエエ!!!』


 俺は飛び起きるや否や、カプセルの強化樹脂の蓋を押し開け、切羽詰まった様子のエンジュさんに、必死の制止を求めた、の、だが……


「ゥウウオオオオオオオオオアアアアアアアアアア?!」


 何故だか、エンジュさんは目を見開いたまま、掲げたフライパンを下げずに、猛獣の如き咆哮を上げて、飛び起きた俺へと向かって威嚇してきていた。


『ィイイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』


 もはやパニックである。俺はそのエンジュさんの掲げる行き所を失ったフライパンが、突然、勢い余って振り下ろされるのではないかと気が気じゃなかった。


 だから、叫び声を上げ――


「おおおおお、おちおちおちおち、……おちん!?」


『オチ……? ンヌウゥオウウオオオウアアア?!』


 ――そうだった忘れてた全裸だったァアアアア!!


 俺は、咄嗟に、前へと突き出していた両手を降ろした。


 そうして、俺達は、しばらくの間、……見つめ合った。


 それから、一先ず、話もせぬまま、質素な部屋の中、男一人女一人の無言の時が続いたのだが、さっとフライパンを差し出されたところから、とりあえず、服を着ることになって、ようやく、状況が動き出した。




 ――短パン、黒Tシャツ、セミロング、切れ長釣り目のよく見た顔。


 元バイト先の鬼店長 六閻りくぜん えんじゅの襲来――


 ――いや、寝耳に水と言った方がいいだろう突然の来訪理由とは……


 俺が【Evernal = Online】を始めて、店に顔を出さなくなってから、エンジュさんは俺のことだから「どうせ碌な物を食べてないだろう」と思い、親切心で食料品の差し入れを、俺の自宅のドアノブに掛けてくれていたらしい。


 ……それは、ゲーム開始日の夜のことだそうだ。


 それからは、俺がプロゲーマーになるという夢を語り、バイトを辞めたことを知っていたから「必死に夢に向かって頑張っているんだろう」と特に気にしていなかったようだが、しかし、今日再び、差し入れを届けに来た時に違和感を覚えたそうだ。


 ……鼻を突く異臭、それと、少しばかりの異変。


 なにやら玄関口の郵便ポストがパンパンで、ドアノブに掛けた差し入れの食品が腐っていたことから、今に思えば、俺が「思い詰めていたのではないか」と不安に駆られ、そして、家の中で死んでいるのではないかと思った、らしかった。


 ……つまり、ただの誤解だったようだ。


 まぁ、確かに、バイトを辞めてからも毎日、ご厚意に甘えて一階の居酒屋で安くて美味い食事を取らせてもらっていたから、突然、現れなくなって、さらには、几帳面な俺がポストを溢れさせていたのだから、勘違いしてもおかしくはない、のか?


 ……それで、緊急、事務管理? だかなんだかを行使したという訳らしい。




『それでー……、ああなったんすねー……』


「そう! だから、全部お前が悪い! 反省しろ!」


 訳を聞きながら、連行された居酒屋の、テーブルを挟んだ向かい側で、腕組み見下げるような視線を向けるエンジュさんは、まだ今のところ牙も角も見えやしないが、赤らめた顔でご立腹の意を唱えてらっしゃる。


(……ここは反論せず、大人しくしておくべきだな)


「はあー……ウチの娘は落ち着きがないねぇ……」


 と、思いながらも、俺が口を開こうとしたところで、女将さんの声が割って入ってきた。……これがTHE家族経営の恐ろしいところである。


「ちょっと母さんは黙っててよ!」


 エンジュさんは振り返り女将さんに応戦しているが、……もうやめて欲しい。とばっちりを食いたくないから、これ以上、ヒートアップしないでください。


「もう二十六だよアンタはさー?」


「母ァーさんっ! いつも言ってるけど、それは関係ないでしょ!」


「そうは言ってもねぇー? アンタも少しは何とか言ってやって」


「……騒がしい位、元気があっていいじゃねぇーかい……」


 あ、大将それはマズイっす。……ちょっとは女将さんの味方しないと。


「もぉそうやってアンタが甘やかすから!」


 あーあ、ほら、こうなった。……次は女将さんVS大将のバトルが始まった。……とは言っても、大将は寡黙だから防戦一方なんだけど……。


 でも、これが、いつもの光景っちゃ光景か。なんだか懐かしい気がする。何一つ変わってないな。まぁ、そんなに日が経ったわけじゃないけどさ。


 そう言えば、バイト面接の時も、この席でこんな痴話げんかを見たっけか。働いてた時も、辞める時も、それに入居の時の挨拶も、この席だったっけか。


 大将と女将さん、オーナーのお兄さんと店長のエンジュさん、それに俺が、休憩やら賄いを取る時に使っていた屏風で仕切られた奥の特別席だ。


 こうして見ると、和風の店内、カウンター席とテーブル五つだけの、こじんまりした――といったら怒られるけど、この店の雰囲気が俺は好きだったと改めて思う。


「……何ニヤケてんの、キモ」


『ひどっ! いや、いい匂いしてきたなぁって思ったから……』


「ふぅん。……で、どうなの?」


 さっきの女将さんとのやり取りで機嫌悪くなったわけではなさそうだ。でも、別に興味ないけどっていうふうを装うためにそっぽ向いているけど……え、なんだ?


『……順調っすよ?』


「ふぅん? 良かったじゃん。……で、今、どこいんの?」


『え? エンジュさんもエヴァルやってんすか?』


 そう言うと、キッ――と見るような視線が飛んできた。


『あぁ、俺は今〈アストロスの街〉っす』


「……そこって〈ノースリベラ〉から近い?」


『えっ、エンジュさん商業都市いんすか!?』


 驚きながら聞き返すと、またしても、キッ――として来た。


『あ、スマセン。……一応、近いめなんすけど、船乗らないといけないからなぁ。……多分、二、三日くらいの距離っすかねぇー』


 俺がその事実を伝えると、エンジュさんは、


「……遠くない? なんでまたそんなとこ。……て、ゆーか……」


 と、ぶつぶつ言い始めた。その様子を伺ってみれば、別に怒ってはいないみたいだが、しかし、しばらくして、「それで、結局、何系の職業で始めた?」と話題を変えて来たのだが『迷ったんですけど、覚悟決めてテイマーにしたっす』と答えると――


「――なんでよ!? 意味ないじゃん!!」


 エンジュさんは大声を上げ、机を叩いた。


 ……俺は、頭に疑問符を浮かべながら『どういうことっすか?』と聞いて見れば、エンジュさんは「手伝ってやるって言ったじゃん!」とまたしても大きな声を上げてテーブルをタンタンダンと叩いた。


 ……思い返してみるが、そんなこと言ってただろうかと、その申し出に戸惑うばかりだったが、詳しく聞けば、エンジュさん曰く、多勢に無勢の状況で、一人で戦う俺のために、俺から無理矢理話を聞き出したゲームに興味を持ったということもあり、ゲームを楽しみながら生産系の職業で、少しばかりでも協力と援助をしてやろうというふうに思ってくれていたようだ。


『ちなみにー……何メインっすか?』


「鍛冶だよ鍛冶。……せっかく楽しくなってきたところだったのに」


『マジっすか?! いやいやテイマーでも鍛冶師とは懇意になりたいっすよ!』


 その俺の、お世辞でも気を遣ってでもない言葉が効いたのか、エンジュさんは気を取り直し、鍛冶の楽しいポイントを語り出した。そうして、その様子を見た俺は、一安心していたのだが、まだ話は終わりじゃなかった。


「は? だから、スポンサーになってやるって言ってんの!」


 青天の霹靂――その言葉を聞いた俺は、痺れて動けなかった。まさに雷に打たれたように、脳天から足先に電流が迸るが如き衝撃に視界が白み、身体は痙攣するかのように震えていたことだろう。


 ……俺が意識を取り戻したのは、数秒遅れてのことだった。


「……で、だから、賄いタダにしたげる」


『は――……イ?』


 応援の意味? 体調管理のサポート? 箔をつけるため? そんなような言葉が右から左へ、すり抜けていったようだったが、なんとか記憶を手繰り寄せることで、聞き返さずに済ませたが、でも、しかし、どうやら、お給金は出ないらしかった。


 それは、ただの親切心からの申し出だと分かるが、しかし、エンジュさんはプロゲーマーとスポンサーの関係性をあまり知らないみたいだった。


 だから、俺がスポンサードとはどういうものかを説明しようかとしたのだが……大将も女将さんもエンジュさんもいる状況だったのもあって、話が勝手に転がるように進んでしまった――と、いうか、既に、もう、決まっているようなものだったから、俺はこうなったら無碍にできないと思い、敢えて口を噤むことにした。


「ははっ、ってことで良かったな!」


「アタシらも応援してるからねえ!」


「……負けんじゃねぇぞォタヅナァ」


 そうして、俺は今日から、この居酒屋の看板を背負うことになった。


 皆が盛り上がっている手前、俺の視線は自然とエンジュさんの胸元に移動していた。そこにワンポイントで入っている紅灯こうとう緑酒りょくしゅ青夜せいや白笑びゃくしょう黄歌おうか紫踊しようの文字で囲った中に‐えん‐という一文字が入ったロゴマークを眺めていた。


 再び、俺が、この店のロゴマークを背負うことになると思ってなかったからだ。


 今、エンジュさんが来ているTシャツ、それは俺がこの店で働いていた時に貸し出されていた制服と同じものだ。俺はプロゲーマーになると決断し、そしてそうなれば、もう二度と背負うことがないと思っていたものだ。


 俺は、その暖かさが嬉しかった。……だから、黙って、受け入れることにした。


 実際、断ることも出来ただろうけど、俺はそうしないことにした。スポンサードプレイヤーは、そのマークとプレイヤーであることを隠せないから正直言って不利だけど、こんなに応援してくれるなら背負って立ち向かいたいと思ったからだ。


 まだ、プロには遠く及ばないまでも、少しは近付けたような、そんな気がした。


「……はいっ、お待ち! タヅナスペシャルだよ!」


 久しぶりのタヅナスペシャルは、いつにもまして……輝いて見えた。


 俺が考案した、いつも賄いで食べさせてもらっていた、懐かしの、親子&カツ丼+角煮と、アゴ出しスープのスペシャルセットだ。……これを、はしたないが、ぐちゃ混ぜにして食うと、これが、また――めちゃくちゃ美味いんだ。


 そうして、俺は久しぶりの、現実での温もりを味わった。


 食事を終えてから、その帰り際――なぜか、他のスポンサーが付いても「背中だけは譲るんじゃねぇ」とか「これで優勝できるな」とか、あれやこれや、常連客共々、好き勝手に盛り上がっていたけど、……話がドンドンデカくなって恐ろしかった。


 あと、ゲーム内でエンジェさんとの合流を約束させられたのも、恐ろしかった。


 でも、一人じゃないって思えたら、なんだか勇気を貰えたような気がした。ふと気付けば、俺は夢見心地の浮かれ調子で階段を上っていた。そして、柄にもなく、月を見上げて拳を握り『いっちょやったりますか』と呟いていた。


 そうして、意気揚々と自宅へと帰った俺は……。


 電気を付けさえせずに、すぐさまカプセルへと入り込むや否や、


≪スリーブモードへ移行致します≫


 アラームを掛け、英気を抱えながら、スッ――と眠りに就いたのだった。


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