第7話 下水暗鬼


「チュ、チュチー、チュッチュチー!」


 プレイヤーを倒したかどうかをヨルズに聞いてみたが、排水溝から日の光が差し込まない時間帯が故に、真っ暗な下水道はまだ何も見えない状態だ。


「チヂュ! ヂューヂチュ! チチー!」


 だから、こちらから問う形の簡単なコミュニケーションしか取れず、ヨルズから伝えてもらう術がないから、今はヨルズが何を言っているのか全然分からない。


 ヨルズがプレイヤーを倒した――なんてことが起こり得るはずもない。


 しかし、俺のインベントリには、プレイヤーしか持っていないはずの初心者装備のメイスが収納されている。……証拠は、この通り、手元に残っている。


『なぁ、ヨルズ! 目が見えなくて分かんないから事情は後で教えてくれ。それよりも、ここに人が来たかどうかだけ、先に教えてくれるか……?』


「チュー!」


『……YESか、……くっ、なら、やっぱあの時のが、そうか……』


 俺がスケルトンを探し回っている時に、ヨルズとのパスが一斉に切れたあの時、やっぱりプレイヤーがここへと来ていたようだ。ということは、ただ捨てられていたアイテムをヨルズが見つけただけではないらしい。


『ってことは、マズイな……』


 プレイヤーがここへと足を運んだということ自体マズイことだが、なによりアイテムが残されていることの方が余計にマズイ。パスが切れてから、俺が帰って来るまでの間、それ相応の時間が過ぎてしまっている。


 つまり、またプレイヤーが戻って来る可能性が高くなってしまっている。


 アイテムを取り返しに、復讐の為に、と、考えれば考えるだけ、再び、足を運ぶ理由には事欠かない。もしプレイヤーが死亡していた場合は、ステータス値の減少デバフが付くデメリットがあるが、それも時が過ぎれば元通りになってしまう。


 残された時間はどれくらいだ。……そろそろ、、経つか?


 もしプレイヤーが死亡していないのなら、アイテムを揃えて徒党を組んでと攻め込む準備を進めているかも知れない。松明でも視界は取れるだろうが、念のために日が差し込む頃合いを狙っている可能性もある。


 もしかすれば、今、こうしている間にも、迫って来ているかも知れない。


『……急いで移動するぞ! 手を取ってくれ!』


 何かしらの理由があるにしても、今、プレイヤーが来ていないのは偶々だと思い、行動することに決めた。そうして、スルトの手が肩に触れたのを確認してから、動き出そうとしたが……スルトはもとよりヨルズも動く気配がない。


『……どうした? ……あ、そっか、……移動先はー……』


 そう考えるが、何処へ移動すればいいのか見当がつかない。そうして迷っている内にも、俺の頭にはプレイヤーが迫る光景が浮かぶ。それが更に焦りを加速させる。


『と、とにかく、人が来なさそうなところに案内してくれ!』


 とりあえず移動することを優先したかった俺は、そう言ってヨルズに頼ることにした。いや、投げっぱなしにする以外に、その他にいい手立てが思い浮かばなかっただけだ。


「チュ、チュチュ!」


「チー? チッチュ」


「チヂッ、チヂュヂュー」


 しかし、そうしたところで、ヨルズも迷ってしまったようだ。なにやら相談をし始めてしまって、動くに動き出せずにいた。


『あー……悪い。……今、考えるから待ってくれ、……ン、ンン……あっ、いっちばん汚いところか、めちゃくちゃ臭いところに案内できるか?』


「……チ? チチー?」


『あー、そうだよな。……えーと、えー……、あ、そうだ! あそこだあそこ!』


 ヨルズと一緒に回った場所を、必死に思い出していると起死回生とも言える閃きが迸った。……あそこならば、先へと進むのを嫌がるプレイヤーも多そうだし、もしプレイヤーが迫ったとしても、何とかなるかもしれないと思った。


『壁が崩れてたところに案内してくれ!』


 そう、俺が命令を下すと、ヨルズは、


「チュ!」


 と、声を上げて案内を始めた。


 そして、スルトに支えられながら、真っ暗闇の下水道を進んだ。





『はぁ、はぁ、はぁ……』


 鼓動音と呼吸音がうるさく感じる。ヨルズやスルトも音を発しているが、そのどれよりも、俺が発する音が大きく聞こえていた。


 暗闇の中というのは時間の感覚さえも狂ってくる。かなりの距離を進んだと思うが、まだ着かないのかと考えてしまう。視界が通っている時よりも、進行速度が遅くなるのは当然だが、それにしても大分と時間が掛かっているような気がする。


(もう三十分は歩いている感覚だ)


 そう思い、メニューウィンドウを開いてみるが、


(えッ、まだ三分しか経ってないのか!?)


 そこに表示されていた時刻は、まだ少ししか進んでいなかった。


 あまりに進んでいない時刻を見て驚いてしまったが、しかし、それも当然だと思いなおす。この緊張状態が続いたせいで、現実時間の時刻がそこに表示されることを忘れてしまっていた。


(リアルの三倍だから、一応、十分近くは歩いてるのか。……あぁ、良かった)


 その事実が分かったと同時、俺は安堵の息を吐いていた。


 余裕が無い状態だったせいで、時間間隔が狂うどころか、本当にどこかおかしくなったんじゃないかと思ってしまった。


 そういえば、スタミナの最大値減少も、感覚を狂わせる要因の一つだったことを思い出す。だから、この疲労感が、かなりの距離を歩いたように錯覚させていたんだ。


(こりゃあ、松明か何か、必要だな……)


 陽光が差し込む下水道路ばかりを狙って進むのも、今後は難しくなってくるはずだ。プレイヤーを避けるのならば、より暗闇へ、より劣悪な環境へと行くしかない。


 しかし、そんな中、視界確保の手段がないのは、いずれ無理が生じる。


 もう少し先延ばしにできると思っていたが、スリーブタイムを挟んだ後にでも、店舗巡りとアイテム補充をしないといけないな。


『お、ぉお、……足場が悪くなってきた』


 両脇からスルトに支えられていなければ、簡単にコケてしまいそうな足場だ。


 足裏で踏み場を探るようにして、ゆっくり、ゆっくり、段差を乗り越え、崩れた足場を渡り、歩を進めていく。


 そうして、角を曲がったところで、ようやくヨルズから到着の声が聞こえた。


「「「「「チュー!」」」」」


『……着いたか。よしよし、良くやったぞ。スルトもサンキューな』


「「「カチッ」」」


 皆へと労いの言葉の掛けつつ、無事、辿り着けたことを喜ぶ一方で、一息つきたい気持ちに駆られるが、しかし、そうはしていられない。


 警戒と索敵を行っているヨルズから、プレイヤー接近の報せがないにしても、いつ来るか分からないから、今の内にできるだけのことを進めておきたい。


 俺は、そう思い、メニューウィンドウを開き、インベントリから焚火後から拾っていた炭を両手一杯に取り出した。そして、


『スルト、これを取ってくれ。そんで炭を自分たちの全身、内側まで見える部分の全部に塗ってくれるか?』


 そう言って、スルトへと指示を行う。すると、スルトは、


「「「カチッ」」」


 嫌がることもなく即座に返事をして、俺から手を離し、炭を取って、……カシカシカシカシ、と、音を鳴らしながら炭を塗り始めた。その光景自体見えはしないが、おそらくは互いに塗り合ってくれているような音が聞こえてくる。


『じゃあ、今のうちにヨルズは飯にするか。……そんでお前達の餌を出したいんだが、ここでいいか?』


「チュ!」


 床に手を付き、ヨルズに確認してみたが、餌の小山がプレイヤーに見つかるとマズイと思い直した俺は、手を彷徨わせて壁を探すことにした。


『あ、んー? なんだこれ。……岩、……ブロックか、じゃあ、ここでいいか』


 せめて見つかりにくい壁際に餌を撒こうとした時、崩れた壁のブロックが手に当たった。俺は丁度都合が良いと、ブロックが散乱している場所へと餌の小山を作り上げた。


「「「「「チーウ!」」」」」


『分かってると思うけど偵察と警戒をしてくれてるヨルズの分も残しとくんだぞ? そんで代わりばんこに食べてくれな?』


「「「「「ヂュー!」」」」」


『よし、あーそうだ。万が一のことを考えて、アレも出しとくか。……スルトでも拾ったメイスが使えるといいんだけど……』


 ゴトリ――重々しい音を立ててメイスが足元の床に落ちる。すると、炭を塗る連続的な音が一方から途切れ、そして、床を擦る様な音が続いた。そのメイスの行方を俺の目で追えないが……


『……持てたっぽい?』


「コチ」


『おぉ! どうだ? 使えそうか?』


 そう聞けば、メイスを軽く使って見て確かめているのか、そんなような微かな音がした。そして、少しした後に……


「コチ」


 と、どうやら問題なく使えるという返答がスルトからあった。


『おけ。……なら、俺がスリーブタイムを取る間の作戦を伝えておくぞ』


 俺は、そうして、ヨルズは今まで通り、偵察と警戒態勢を取るように言い、スルトにはメイス持ちが角で待つように指示し、その後ろに槍持ちを待機させ、もう一体は確か壁が崩れていた隙間があったことを伝え、そこへ潜んでいるようにと伝えた。


 そうまで伝えきった時、ようやく、俺の溜飲が下がった。


 俺が不在であっても、これでどうにかやり過ごせる気がしたからだ。ヨルズの誘い込み、スルトの角待ちと壁潜みのスニークアタックがあれば、二名程度までならプレイヤーが来ようとも対処できると思えた。


 もしフルパーティが来たなら無理だろうが、その時は逃げるように伝えてある。


 五名は、流石に現存戦力じゃどうしようもないからな。一人、二人を下水に突き飛ばして落とそうとも、残りの三名を対処しきれるはずもない。運よく、スルトのチャージ――突進攻撃が決まろうとも、勝てるビジョンが見えない。


 悔しいが、そうなってしまった時は、……その時だ。


『じゃあ、俺は寝るから!』


 最後に、そう言って、俺は手を振ってからログアウトした。


 そして、すぐにスリーブモードへと移行した。


≪設定時間は、現実時間の一時間です≫


≪それではスリーブモードへ移行します……おやすみなさい≫


『っ、ただいま!』


 ≪おはようございます≫の、アナウンスによって目覚めた俺は、すぐさま【Evernal = Online】へと舞い戻ってきた。俺が離れていた時間は、現実時間にしてたった一時間だが、しかし、ゲーム内時間は三時間経過している。


 それ故に、眷属の皆が――


「「「「「チュチュ!」」」」」


「「「カチ」」」


 ――心配だったが、……どうやら無事なようだ。


 強制睡眠状態につく寸前まで、気が気でなかったのだが、杞憂に済んでくれていてよかった。薄い暗がりの中、駆け寄ってくるヨルズとスルトの姿を見て安心できた。


『無事でよかった。なんも問題はなかったか?』


「チュ!」


『よしよし。……って、視界も見えるようになってんじゃん』


 焦りながら、この場所を選んだということもあって、日差しが入って来る時間帯まで気が回らなかっていなかった。


 とは言え、まだ昼前だというのに、こんなにも光が入って来るとは思ってもいなかったし、考えたとしても正確に導き出せるとは思いもしなかったって言うのが本音だ。


『あぁーでも、スルトは思ってた以上に、いい感じだなぁ』


 まず真っ黒に塗られたスルトは三倍増しにカッコよく見える。しかし、最も重要なのはそこではない。下水道が薄暗いからこそ、背景に溶け込んでいるようだ。少し暗がりに入るだけでも、かなり見つけにくい。隠密効果を十分に発揮していた。


『というか、下水道の川ん中にー……あー流されるか? まぁ言ってる俺も嫌だけど、流れの緩い所ならいけなくもないか。……ふむ、最終手段としては悪くなさそうだ。……澱んだ水の中から手が伸びるのは相当な恐怖を与えられるだろ』


 コクコクと頷くスルトは、汚れることなんて厭わないらしい。今から入ろうかと言わんばかりにこちらを見て来る。


 しかし、折角塗った炭が落ちるのも勿体ないし、どちらかと言えば連れ歩くことになる俺が嫌だと思ってしまうから、最終手段としての一策として考えていてもらおう。


『いや、今はいいからね。追い詰められた時の最終手段ってことだよ。……あ、視界も見えるようになったことだし、プレイヤーが来た時のことを教えてくれるか?』


 そう言って、ヨルズが集まる方を向けば、代表者の数匹が……鳴き声とボディーランゲージを駆使して、その当時のことを伝えてくれる。


「チュ! チッチュ、チチー!」


「ヂヂヂ! ヂジュッヂー!」


 プレイヤーは、二人居たそうだ。メイス持ちと、おそらく、もう一人は魔法使いだ。神官か戦士か、と、魔法使いの、二人が、通路にやって来たから逃げていたけど、途中で逃げ切れないと判断したヨルズは、


「「「「「チュー!」」」」」


『ん、魔法使いの方に飛び掛かったのか? ふんふん。そんで沢山やられてしまったけどー……魔法使いが放った攻撃がメイス持ちに当たったのか? へぇ……』


 それでメイス持ちが――下水に落ちたのを皮切りに魔法使いが逃げて行った、と。


『なるほど……そういうことか』


「「「「「チュ!」」」」」


 それはトラウマものだな。一方は下水に落ちて糞尿塗れの匂い付き、もう一方はネズミの群れに集られ噛み付かれたという、そんなトラウマを植え付けられようものなら、もう二度とそいつらは下水道へと来ないかもしれない。


 それにしても、……ヨルズは頑張ったんだな。


 プレイヤーを倒せはしなかったにしろ、撃退出来ただけでも凄いことだ。そのお陰でスルトの武器が一本手に入れられたのは大きな収穫だ。それに、数多くの犠牲を払うことになったが、これでまたヨルズも自信を得られる切っ掛けとなったはずだ。


 どこか誇らしげに報告する姿を見れば、そんなことは十分に伝わる。


 イタチに恐れていたはずのヨルズが怯えることなくプレイヤーへと立ち向かった。それだけでも大きな成長だと言える。それ以外にも沢山、俺が不在の間に成長を遂げたのだろう。ここに集うヨルズの姿を見れば、一目瞭然のことだ。


『良くやった。偉いぞ――ヨルズ』


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