第1話 人生開始



(……おぉっ! ぬるーっと始まった!)


 ここはー、神殿……パルテノン神殿のような白い石造りの建物だ。


 辺りを見回せば、無数の幽霊と、柱と、柱の隙間から覗く青空が見える。


(っと、のんびりしてらんないっしょ!)


 もし時間が許すなら、この素晴らしき景色を、ゆーっくりと眺めていたい気持ちになってしまっていた。それほどまでに、作り込みがすごかった。だけど、もうゲームは開始している。だから、急がなきゃという思いに駆られ、走り出した。


(ぅわっ……、おっせー……)


 短くなった足と腕を必死に振って、神殿の外を目指す。しかし、そうしても、思うほど速度は上がらない。後ろから、幽霊――ホログラムのような半透明の、他のプレイヤーに次々と抜かされていく。


(……うあ?! ケッ……ぅえー)


 まだ実体化されていないお陰で衝突がさせられているようだ。ぶつからないような設定になっててよかったと一安心する反面、しかし、そうは言っても、突然、目の裏っ側から目の前に、見ず知らずの人の尻が現れるのだから、いい気分はしない。


(ぬぐぐ、……ならっ、メニューオープン! ……キャストオフっ!)


 駆け足のまま、ウィンドウを開き、手早く武器と防具を収納していく。他プレイヤーに抜かされていく中、ゲーム開始時の常套手段である――いわゆる全裸状態へと成り代わり、身を軽くして、速度を稼ぐことにした。


(うぉおお! ……ん? 変わった、よな? ……ちびっと早くなった?)


 ともかく、少しの速度アップとスタミナ消費を軽減させられるはず。キャラクターの装備画面には、今の俺の姿、スーパー銭湯のサウナ服みたいな形の、白の貫頭衣と短パン、それに革袋に足を突っ込んでくるぶしで口元を括ったようなシュウマイ型の靴が映っている。


(あっ、……くっ、階段、こえー……)


 視点が低くなったことで恐怖を感じてしまう。山の上に立てられた神殿の、手すりも何もない階段を、右、左、右、と、足を差し延ばし、膝を折り曲げて、急ぎながらも慎重に、ゆっくり一段ずつ、古代ローマ風の、日本最大級の遊園地ほどのサイズの街へと向かって慎重に降りる。


(しっかし、なっげー階段だな。……お? あれ、身体が、実体化し始めてる?)


 うんせ、うんせ、必死こきながら階段を降りて、もうそろそろ眼下に見えていた街へ辿り着けるだろうと、足元から視界を上げて確かめて見れば、先の方を駆けて行くプレイヤーに色味が差していくのが見えた。


(正月の福男選びかよ……)


 不人気過疎初期スポーン地点を選んだけど、流石のプレイヤー数だ。全速力で駆けるプレイヤ-達が、街へとなだれ込んでいく光景を目の当たりにして、若干、たじろいでしまった。


 文字通り、スタートダッシュ勢の進行は、凄まじい。


 急いで先を目指すプレイヤーは、他のプレイヤーに打ち勝つために、混雑が予想される狩場や商店などの人気が出るはずの、目的の場所へといち早く辿り着こうとしているのだろう。


(……やっぱ、正解だったかも)


 マラソンみたいなレースをしても、絶対、勝てないと分かっていた。俺はテイマーを選んだ時点で、レースへの参加を諦めた。その代わりに、別の形式で、勝負することにしたのは、この光景を見て、どうやら正解だと思えた。


(あの感じじゃー、フィールドに出てもテイムできないし)


 それこそ取り合いになるモンスターのみならず、フィールドで得られるアイテムも、砂漠飛びバッタが通り抜けた後の畑のように、片っ端から実も葉も残らず消えてしまうはずだ。


(でも、良かった良かった。予想は正しかったなー)


 団体じゃなくても、ゲーム好きなら、行動が似たり寄ったりになるのは当然のことだ。俺と同じように待ち侘びた準備期間があるのだから、RTA――リアルタイムアタック、スピードランとも呼ばれるプレイで用いられるチャートという予定表を造っていてもおなしくはない。


 そんなプレイングをするプレイヤーと張り合っても仕方ない。


 相手にしないことが正解だ。どちらかと言えば、俺のライバルは、ライト層やエンジョイ勢と呼ばれる、ただゲームを楽しむことを目的としたプレイヤーだ。そのプレイヤー達とかち合わせるよりも早ければいい。そこさえかち合わなければ、先んじれるはずだ。


『……っふぅ、ふぅ、あそこだ。……やっと着いたー』


 俺は、神殿から続く、南区方面へと伸びた長い長い階段を降りきった後すぐに、まず最初に目指す場所と決めていた、この街に複数ある内の一つの雑貨屋へと向かって走り、薄暗い店の中へ入ると同時に、奥へと向かって声を掛けた。


『……あのー、すみませーん!』


 一先ず、店内にプレイヤーの姿がないことを確認した俺は、息を整えながら汗を拭いつつ、安堵した。だが、店員の姿も見当たらなかった。だから俺は、ここでゆっくりとはしていられないと思い、返事を求めるように、再び、声を掛けた。


『いらっしゃいますかー! 店員さーん!』


「あー、はいはいー。今、出るよー」


『あぁ、良かった!』


 俺の呼び声に反応した、店主か従業員かだろう男の人が、カウンターの奥に設けられた扉から顔を覗かせた。すぐさま俺は、そのNPC――ノンプレイヤーキャラクターの元へと駆け寄った。


 しかし、カウンターに近づけば近づくほど、木で出来た壁は高くなっていく。だから、程よい所――カウンター越しに店員さんの顔が見えるギリギリのところで立ち止まって、要件を済ませることにした。


『装備を売りたいんですけどー!』


「はいはいー。ここへ出しとくんなぁ。あぁ、その木箱に乗ってくれりゃいいさ」


『はいっ。……ふっ、んしょ、……く、んぬ……はぁ、……ふぃー』


 分かっていたことだが、己の非力を痛感した。それくらい木箱へ乗るのは、とても大変だった。それでも、ハーフリングが利用しやすい気遣いというか、あらゆる種族が利用しやすい設定というものは、有難かった。そうじゃなかったら、カウンターに物品を乗せられなかったところだ。


『これで全部です! 買取をお願いしまっす!』


「えーと、初心者用の装備のー……短鞭たんべんは3000、上着とスボンは2000ってとこだなー……ふむ」


 流石NPCといったところか、店員さんは俺の取り出した初心者装備を、一つずつ手に取り、クルクルひっくり返して見ただけで、手早く査定を済ませてくれたようだった。そして、


「全部で7000G。それで、いいなら買い取りさせてもらうが、どうするね?」


『それで、お願いします!』


 店員さんからの提示金に、俺が二つ返事で答える。すると、店員さんは、カウンターの内側から銀色のコイン7枚を取り出して、テーブルの上へと置いた。その銀貨を手に取ると、手の中からフッと重みが消えた。


 メニューウィンドウで確認すると、所持金が7000G増えていた。


 どうやら、これに関しては他のMMORPGと同じように利便性を考えられた機能設計になっているようだ。当たり前と言えば当たり前だからか、些細なこと過ぎるからかは分からないが、こうなるという情報を得ていなかったから、少し驚いた。


 メニュー操作など、システム面のチュートリアルとヘルプはあった。


 しかし、それ以外のことは、懇切丁寧に教えてくれるゲームではない。だから、触ってみて初めて分かることも多いみたいだ。それも、ファンタジーとリアリティの融合、便利不便、有利不利のバランスを求めた結果、こうなっているらしい。


『買取、ありがとうございました!』


 色々とやるべきことが増えたと思いながらも、店員さんに礼を言ってから、店を飛び出す。そしてまた、通りを走り、次なる目的の穀物屋へと向かう。


(……人通りが多いなー)


 こうして走っていると思うが、パッと見ただけではプレイヤーとNPCの違いが、全然分からない。特別な条件下以外、プレイヤーかNPCを区別するためのマークの表示が無いというのは、なかなかの拘り方だと思える。


 初心者装備の統一感や白の貫頭衣姿、物珍しそうに首振って辺りを見ていたり、浮かぶ小さな玉型のカメラに向かって話しかけていたり、似た装備品を纏った複数人がはしゃいでいたりしていないと、本当に見分けがつかない。


 これは対人に向けて、戦闘行為を仕掛け辛いな。下手に、NPCに手を出したら、不味いことになる。NPCは死亡すれば復活しないし、懸賞金が掛かる可能性もある。それに、NPCの家族、友人、知人から復讐されるなんてこともある。


 あまりプレイヤーが無茶苦茶し過ぎると、国を挙げてNPCが襲い掛かって来るようになる。プレイヤー対NPCとの戦が始まると、好き勝手冒険できなくなるらしいし、あまり見かけない形で自由と不自由さが混在するゲームに仕上がっている。


 現に、βテストの最後は、PK愛好家が街中で暴れまわったせいで、戦争へと発展し、それに巻き込まれたプレイヤーが奴隷落ちするなんてこともあったらしいし、自他共に気を配っていなければならない関係性であることは確かだ。


 とは言え、βテスト期間中は、経験値が数倍跳ね上がっていたから、起こったことでもある。基本的に生まれたての俺達と、この世界で長年暮らしてきたNPCとの差は、かなり開いているから、そう戦争が引き起こされることもないはずだ。


 何か起こるとしても、個人単位のことでしかない。戦闘を仕掛けても、精々が返り討ちにあって、お終いだろう。それで運よく逃げ延びたとしても、犯罪者となって手配書が回る。そうなれば、拘束か罰金、脱獄するか、キャラのリメイクになる。


 だから、俺は、そうならないように気を付けるつもりだ。


「いらっしゃい、いらっしゃいー」


 今の俺なんて、この穀物店の軒先に立っている、戦闘はからっきし出来そうにない、ほっかむりした町娘って感じのお姉さんでも、簡単にブチ倒されてしまうはずだから、ケンカを売らないようにしないといけない。


「寄ってって、寄ってってー」


 ここは、プレイ開始の最序盤では、あまりプレイヤーが立ち寄らないはずの店だ。凝った料理を作りだしたり、畑を持つなどしない限りは、あまり興味を惹かないというか、最序盤に優先して進める人が少ない業種の関連店舗だから客入りが悪そうだ。


 他のプレイヤーらしき人達は、お姉さんの声に気が付いても、軒先に並んだ穀物の入った袋をちらりと見るだけで、ほとんどが素通りしている。だから、ここでなら、多少、質問しても、鬱陶しがられたりしないだろう。


『あのー、少し聞いてもいいですかー?』


「あら、いらっしゃい! 何を聞きたいんだい?」


『えーと、小動物が好むような、何か良い穀物ありますかー?』


「うん? 小動物、ねぇ? その動物にもよるだろうけど、……ここいらの麦とキビ、それとこっちの豆は、どっかの牧場で飼料に使われてるって聞いたねぇ……」


 お姉さんは、そう言って、小麦っぽいのとトウモロコシ、大豆やあずき、みたいな形と色をした穀物を教えてくれた。その他にも、クルミやナッツ類は、森の動物が好むらしいと言った話も聞かせてくれた。


「……って、ことぐらいしか分からないねー」


『ありがとうございます。じゃあ、1000G分、あ、嘘っ、えーと、今教えてくれた穀物を少しずつ全種類、5000G分、買います』


「あいよ! ありがとうね! あぁ、袋は小分けにするかい? それとも一緒でいいかい? 小分けなら、その分の麻袋代をもらうことになるけどー……」


『あ、袋は結構です! そのままでー、多分っ、大丈夫です!』


「そうかい? じゃあ、ちょっとオマケしとくよ!」


『ありがとうございまっす』


 礼を返すと「こちらこそ」と言ってお姉さんが微笑んだ。そして、お姉さんは、そこにあった目の細かいザルを手に取り、穀物と豆類を少しずつ目算で計りながら集めてくれた。


「はいよ。お待ちどうさまっ!」


 お姉さんは、穀物と豆類を集め終えると、ザルの中が見えるように屈んでくれた。


『いえいえ! ありがとございます!』


 ザルの上には色とりどりの穀物と豆類が乗っていた。正直、なにがどうとか、あまり良く分からなかったが、俺の握り拳――今は、縦に二つ分重ねた位の量になった穀物と豆類の小山を確かめると、代金を取り出して支払いを済ませることにした。


『はいっ、5000Gです』


「ありがとね! 確かに丁度いただくよ。それでーこれはどうすんだい?」


 ザルを持つ手とは反対の掌の上で、銀貨を転がして代価を確認したお姉さんが、ザルの上の穀物の小山を揺すって、袋でも持っているのか、という風に聞いて来た。


 だから俺は、そのザルの上に、掌を伸ばして――


『インベントリに収納……お、出来た!』


 ――物は試しに、インベントリに収納できるかをやってみた。


 すると、ザルの上の穀物の小山が、フッと消えて空のザルだけが残った。


「あら、収納持ちだったのね」


 お姉さんは、納得した、と言うように頷いていた。


 それ以外には、何も言われることもなかった。多分、システムの設定的に、こういう収納方法が珍しい物でもないか、面倒臭くなり過ぎないようにAIの設定が成されている作りなのだろう。


 もし、これが、異世界転生ものの創作物なら、ここで何かしらを言われる展開があるんだろうな。……あ、今は、呑気に、そんなことを考えてる場合じゃないや。


『それじゃ、また来ます! ありがとうございましたーっ』


「はいよー! また来てねー!」


 俺は、お姉さんに手を振って挨拶を終えると、穀物屋から脱兎の勢いで離れた。


 とは言え、それ位の気持ちで駆け出したが、実際のところは――


「そんなに急いだら、コケちまうよー! 気をつけていきなぁー!」


 ――子供の駆け足程度だ。


 もう10秒以上経っているというのに、お姉さんの声が、しっかりと耳に届く距離までしか離れられていない。


『はいーっ!』


 ……くぅ、遅い。でも、頑張るしかない。大丈夫だ。


 だから、恥ずかしく思う必要なんてないぞっ――俺っ!


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