#06 Make a Wish

001


 寒暖差で曇る硝子を拭って、グレイは意味も無く外を眺めていた。硝子に触れた指先から、外の冷たさが伝わる。


『濡れてしまった指先から、少しずつ溶けてしまえばいい』なんて言葉を、頭の隅で誰かが囁く。あまり力を入れると割れてしまいそうで、硝子から手を離した。


 ――死んでくれ。そう言ったら、死んでくれないだろうか。


 人間という物は、瞬間に消えて無くなる事は不可能だ。雨に溶けて消えてしまう素材で出来ていれば、グレイの任務は今以上に簡単だっただろう。


 ――命を絶つ選択を、彼に。


 与えられた任務内容に書かれていたのは、ルーク・ヴァレンテの名。グレイの瞳に映った彼の名が、瞼を閉じても浮かび上がる。


 ――彼にそれを選ばせるのは、考えるだけでも面倒だ。


《消しさえすれば、殺し方は自由》


 そう言った依頼人は《じゃあ、よろしくー!》なんて、いつもと変わらない軽快な口調で電話を切った。

 自由なんて聞こえは良いが、全て自分で決めなければならない方が、グレイにとっては憂鬱だ。


 暗い自室に響く秒針の音を、知らぬ間に数えていた。

 肺一杯に貯めた空気を長く吐きながら、グレイは肩を落とす。


 ――死んでくれないだろうなあ。


 依頼人から送られてきたルークの生い立ちや経歴が記されているデータを見ながら、グレイは深く椅子に腰掛ける。


 ルークもグレイと同じ、孤児だ。孤児院に拾われたのも共通している。ただ、彼はそのまま孤児院で年月を過ごし、独り立ちのタイミングで孤児院を卒院。警察官の志願理由は“自分のような孤児をひとりでも救う為”……。


 彼のような正義感溢れる人間の、ルーク・ヴァレンテの物語を読み進めるほど、グレイは理解に苦しんだ。


 ――彼は何故、僕を似た者同士だと言った?


 理解するまでも無い、とグレイは思考を停止させる。


 ――生きたがる理由を排除したら、容易に死んでくれるかもしれない。


 そんな事を考えている自分には生きる理由なんて何ひとつない事に、笑いが零れた。

 こちら側から見れば、グレイすらも正義と呼ばれるかもしれない。

 “正義”なんて、人の数ほど存在する不確かなものだ。



 ――――――――


「内部調査、ですか?」


 六班にて、ルークはアレックスの言葉を確かめるように復唱した。

 今日も天気は雨だ。いつも通りに並べられたグレイとルークは、ちらとお互いに視線を交わす。直ぐにアレックスを見れば、彼は爽やかな笑顔に加えて、真剣な上司の眼差しを併せ持っていた。

 

「うん。詳細は伏せるけど、警視庁内部にスパイが潜んでいる可能性が高い」


 ルークが横に立つ相棒の顔を盗み見ると、グレイは眼球さえ動かさずにしれっとした態度を崩さない。


 ――スパイ、ではないか。大局的に見れば、グレイはRAINを救ってる。国を売っている訳でもない。

 

「調査対象は刑事部、警備部、公安部……」


 並べられた部署名に、ルークは「範囲、広いですね」と眉を寄せる。


「上の話だと、情報漏れが何処からか読めてないそうだ。だから、孤立した六班に情報収集して欲しい……とのことです!」


 伝達を告げる若手のように声を張り上げたアレックスへ「分担は?」とグレイが問うと、彼は「俺が刑事部、公安も引き受けるよ」と微笑んだ。

 

「珍しい」

「グレイ? 俺、上司なんだけど?」

「最前線、嫌なんじゃ?」

「ルークまで……。まぁ、うん。だから、警備部をお願い」 

「警備部が怪しいんですか?」


 ルークが問うと、アレックスは呆れるように笑った。


「怪しいだなんて、悪い人みたいじゃないか。少し気になるなって、俺が思ってるだけ。まあ、消去法もある。公安は若干面倒だし、刑事部にはギルバートがいるし。――それと、ルークが鍵を握るかも。と思ってね。

 実は、Valente孤児院での殺人事件の捜査担当が、公安から警備へ引き継がれる。ルークからの目撃証言、現場の証拠があっても追えない……ってどう思う?」


 ――どう、と言われても。


 隠した事実があるルークは、密かに心臓を鳴らす。表情や態度に出さないよう、間違ってもグレイを視界に入れないよう努めていると、少しの空白を置いてグレイが答える。


「それこそ怪しい。公安が対処しない案件を警備に回して、守りにでも徹するのか?」

「少し気になる、だろ? 公安は手を引くのが早すぎる。捜査の肩入れは出来なかったけど、護りなら“面倒事”と称される筈だ」

「……身内の護りなんて、やらせて貰えるんでしょうか」


 現場に残った唯一の目撃者であり、生存者。あの孤児院で育ったという根深い縁がルークの身体に巻き付いて、捜査に加わる事は許されなかった。

 

「可能でしょ! なんなら、連中は“もう終わった”と思ってるかもね。未解決事件なんて、彼らは扱い慣れているだろうから」

 

 ルークには、都合が良かった。この件に関して、彼は解決を求めていない。


 シスターは孤児院の家族を裏切っていたのだろう。

 彼女が撃たれなければ、自分が撃たれていた。その事を、ルークは身に刻まれたのだ。

 

「ふたりの目で見て、何かあれば報告を。黒か白かは、俺が判断するよ」


 アレックスの言葉を聞いて、ルークの心臓には黒い煙が籠るようだった。

 知っている真実も、覆い隠す感情も、比例するように増えていく。

 

 正義の色が何色かなんて、ルークには分からない。

 隣に立つ相棒が、自分を救ったという事実だけを信じていたい。

 

 心の内で密やかに願った希望は、誰かに叶えて欲しい祈りではなく、自らに与えた使命のようなものだ。

 自分自身の為に縋った使命を、ルークは銃撃戦の隙間で鮮やかに染める事になる。

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