007


 ――何故だ。


 ルークは人質役には似合わなかった。第一に、条件が噛み合わないのだ。

 侵入者の足を止める理由として、知らない警察官の命なんて捨て駒以下な筈だった。

 

 それでも、撃ったのは侵入者だ。頭部を一発で撃ち抜かれたシスターは、先程までルークを制止していた状況が嘘みたいに動かない。彼女の血が周りを汚し、ルークにも赤が散る。充満した鉄の臭いが、慣れた空気を覆い隠していた。

 


「シスターを狙った理由は、殺した理由はなんだ」

 

 ルークは絞り出すように言葉を吐く。答えを知っている気がしたのは、彼女が発した知らない音の正体が“自分に向けられた殺意”だとルークが感じ取っていたからだろう。引き金を引かれる前に、目の前の悪がルークを救った。ただそれだけが、事実として残ったのだ。

 

 沈黙の中、微動だにしない相手の返答をルークが待っていると、背を向けて立ち去ろうとした侵入者がほんの僅かに振り向いた。


 まるで盗み見るみたいに、影からこちらを覗くかのように。


 暗く、雨雲の夜の下だ。室内灯は役割を果たさず、暗闇に慣れた瞳だけが頼りの中。深い色のマントや素顔を隠した仮面が邪魔をして、目が合う事は無い。


 ――違和感だ。


 ルークの中で燃えていた炎が鎮まって、嫌な煙が漂う。


 ――違うだろ、どう見ても。


 撤回した“嫌な選択肢”を思い出す理由が解らない。

 静寂の雨音が聴こえる。窓を揺らす風が彼の正体を囁くのは、気の所為だ。

 


「何故、逃げない」


 無意識にそう声に出してしまったら、翻されたマントや抱えられていたシスターが闇に消えるのは一瞬だ。目の前に居た侵入者は形無く居なくなり、ルークには追い掛ける気力が残されていなかった。



 朧げな意識の中で、端末から声がする。

 

『すぐ行くから、待っていなさい』


 アレックスの声だった。呆然としながらも上司へ報告をした自分に、ルークは驚いた。


 ――勝手に助かってるだけだ、なんて言っておいて。また俺は、助けられたんじゃねえか。

 

 シスターの血は、雨で追えなくなっているのだ。


 ――――――――


 

「この変装、どうですか?」


 時計塔に戻って第一声。白煙は依頼人を試すように声を掛けた。

 外側の変装は保たれていても、切られた衣装には穴が空く。血を吸った痕が残る切れ端を纏って、グレイの腹は傷跡を消していた。


 荷物を担いだまま、その場でくるりと回って見せると依頼人はグレイを一瞥し、適当な笑顔を貼り付けて立ち上がる。そうして白白しく手を広げた依頼人は「どうって? 似合ってるよ」と、称賛を与えるように答えたのだ。

 

「そうじゃなくて。変装できてます?」

「あぁ。どこからどう見ても、にそっくりだよ」


 弧に描かれる依頼人の表情を見て、答えを与えられたは「そうですか」と偽物の仮面を外す。

 

「向上心でも芽生えた?」


 背を向けて自席へ戻る依頼人の背中に、グレイは言った。

 

「さっき、初めて見破られているような気になって」


 それを聞いた依頼人の足は止まり、改めてグレイへ向き直して笑う。

 

「へえ。誰に? いつ?」

「うちの……同僚に」

「彼か。見破られたのかい?」

「いや、です。有り得ないでしょうけど、なんというか、目が」

「そう。いいなあ、彼」


 続きを遮った依頼人が顎へ指先を当てる仕草は、妖しい美しさを秘めていた。欲しい物を狙う瞳をグレイは何度か見た事がある。そんな時、大抵面倒な事が起こるのだ。

 担いだ荷物の先端から床へ落ちる一滴に気付いたグレイは、自らの足でそれを防ぎながら目的を口にする。

 

「先生は何処に?」

「奥に仕舞ってある。大事だからね」

 

 荷物コレに用があるのは白煙と医師くらいだろう。循環された空気に血の臭いが残る事は無い。明らかな死体を在って無い物とする依頼人は、コレを使った次の手を見据えている。

 

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