003


 銃声に慣れた耳が、グレイの声だけを拾う。騒騒しい最中さなかで柔く微笑んだ彼は、自動拳銃をだらりと持ったままルークの周りをゆっくりと歩く。そうしてルークの背景を壁にした位置で立ち止まり、再度優しく問い掛けたのだ。


「どう思う?」


 銃口が向いても、ルークは恐れを感じなかった。こちらの反応を試すように構えた拳銃の向こうで、グレイは不思議そうに首を傾げる。


 ――君は引き金を引く時、そんな風に照準をずらさないだろうに。


「なんなら、装填解除してそうだ」


 ルークは呆れて見せてから、グレイへ歩み寄った。向けられた自動拳銃を覗き込んで弾数設定を確認すれば、数字は“0”だ。ルークの読みは当たっていた。

 鋭さを忘れた瞳は、つまらなそうにルークを見上げる。短く吐いた息は不満足を知らせるような仕草だ。


「僕の事、何だと思ってるんだ」

「何って。グレイだと思ってるよ」


 苦みと軽蔑、落胆を混ぜたような表情の中で、グレイの瞳は少しの煌めきを見せる。


「何だよ、その顔。俺、変な事言った?」

「いや、言ってない」

「どう思っていて欲しかったんだよ。俺はグレイみたいに、何も言わずとも願い事を叶えるお人好しじゃない」

「僕も違うけど。君はお人好しだろう」

「お前はグレイ・アシュリー。俺の先輩で、俺の相棒。それは変わらない事実だ。と、そう思ってる。……違うのか?」

「そうだね」


 ――こんな聞き方をしたらグレイが頷くのは知っているのに。これは、卑怯な弱さだ。


 返答は嘘に浸されているかもしれない。それを可能性に残し続ける自分の思考回路を、ルークは焼き切りたい衝動に駆られる。グレイを信じて、白煙を疑う。対立した感情を鏡の前で反射し続けて、自問自答を繰り返しているようだった。

 

「俺がおかしいのか?」


 頭を冷やしたくて、熱から逃げるようにグレイを外へ誘導する。射撃場を出た後も、肩を並べながらルークは問いを重ねた。


「お前が正しくて、俺が間違ってるのか? 誰も気付こうとしない。事実を知っても『仕方ない』って順応する俺が、本来の俺なんじゃないかって」

「……君の中では、正しくないといけないのか?」

「そうだろう。正義を胸に、抱いてる。俺は警官で、それに」

「じゃあ君の胸に聞いたらいい。君が求める正しさは、君基準のものじゃないか」

「俺が決めてしまったら、俺は、グレイを」


 言葉が詰まって、話す事を放棄する。続きが空気に触れる事すら嫌で、押し込めた解は矛盾に近い。此処まで手を出しておいて、正体が現れたら思考を止める。伸ばした指先を止めてしまうのは、越えられない一線として停止線を引かれているようだった。

 無理に押し込めた続きを、グレイはさらりと口にする。


「殺す?」

 

 交わした視線から読めるのは、グレイの無垢さ。汚れ切っている筈の彼から純真を感じたルークは、己の瞳にも自信を削がれる。

 

「次の台詞、間違ってた?」

「……歯車をひとつ抜いたら、この国はどうなる。どうにも、ならないんじゃないか? 君が起因で鍵を握っていたとしても、世界は『君の代わりを嵌める』とかバカな選択を平気でほざきそうだ。犠牲が繰り返されるんじゃ俺の正義は満たされない。世界を変えなければ意味が無い。――だから聞いてるんだよ、先輩。俺が、間違ってるんじゃないかって」


 今迄の常識が覆されるように。煙が蔓延した国で、思考は蝕まれて雨に浸される。天秤に載せるのは、個人への執着と全体の平和だろうか。

 これは、無意識に願いを叶える怪物への問いではない。ルークは、横に歩く先輩からの助言を求めていた。


「君はいつも正しいよ。理想と正義を飼い慣らして、自分の瞳を持っている。僕の目を通すと、君は少し眩しい気がするし」

「どこが。こんな中途半端で薄っぺらい理想、眩しさの欠片もない。まだ出来てないだけだ、なんて。そんなのは俺への蜜だ。鎖で、眩しさよりも暗さが似合う心の靄でしかない」


 弱音を吐いたあの湖で、情けない自分の影が色濃く見えたのは隣の男が眩しかったからだ。並び立つ時間で互いを知って、己に住む闇を暴き合っている。彼を疑い尽くせなかった甘えが、ルークの足に纏わりついていた。

 

「ふっ」


 溢れた笑みは、隣を歩くグレイのものだ。口元に手を寄せ、顔を背けた彼にルークは毒気を抜かれる。

 

「は? なんで笑うんだよ」

「いつか、僕は君に殺されてしまうかもなって」

「……は?」


 愉快げに笑みを浮かべたグレイを見て、ルークはいつかのを思い出していた。


『君には無理だろう。殺人は』


 ――そう言ったのは、お前だろう。


 心地良い呪いだった。破る未来のない約束は、絆を強固にする。交わしてはいない約束、呪文も吐かれた覚えはない。


「君は、僕が間違っていると思うか?」

 

 勝手に絡まった結び目を一方的に解かれるようだった。

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