002


 指定された出勤場所は、高く短い銃声が鳴る射撃練習場。十数名の警官候補生が的を狙う横で、アレックスはルークとグレイ両名に気付いて笑う。


「本当に連れて来たなぁ」


 アレックスの笑みは呆れたような、喜んでいるような。グレイを引っ張って出勤したルークは、訝しげに眉を歪ませてからグレイを上司へ差し出した。


「おはようございます。アルさんが言ったんですよね?」


 グレイは勢いを消しながらアレックスの前で立ち止まる。億劫そうに顔を上げた先で、彼はアレックスと目を合わせただろう。


「おはよ。まぁ、とは言ったけど」


 グレイを覗き込むようにして柔く伝えられた挨拶は、ルークにも送られたものだ。上司の反応は『物珍しい、良い物を見た』と言いたげなものだった。ルークは「見つけて連れて来いって話かと」と言って、頭を掻く。

 そうして二人が話してる間に、存在感を消すように影を薄くしたグレイをルークは見ていた。出口へグレイが足を進めようとした時、ルークはすかさず制服の首元を捕らえる。


「ちょ! っと待て!」

「何、離して」

「お。本当にグレイを捕まえられるようになったのか」

「消えられるのも面倒ですから。初手動きそうな時にグレイだけを見ていられるなら、誰にでも出来ますよ」


 止まない銃声は、訓練の一環だろう。此処に立つアレックスは、候補生の監督という面倒事を引き受けたとルークは読む。だからグレイを必要としたのだ、とも。


「いい加減離して。逃げたりしないから」


 不満気に文句を垂れるグレイを力任せに引き寄せ、改めて腕を掴んだルークは言ってやった。それは、出勤前の出来事も含んだ嫌味だ。


「どうだか。こっちは逃げるのを先読みして捕まえたんだ」

「君が顔を合わせづらいかと思って、気を遣ったんだけど」

「あ? バカか?」


 頭に血が上る感覚を、こうも理解する事は珍しい。


 ――こっちがどんな思いで、普通を選んだと思ってる。


 威圧として睨んでも、グレイの涼やかさは消えない。怒りを受け流して飄々と躱すグレイの側面に、ルークは心が痛くなる。


「はいはいはい! 連れて来たならそれで解決だから! ――俺に注目!」


 パキリとした一声で、ルークとグレイ以外の候補生の視線も集めたアレックスは、自らが持っていた自動拳銃をグレイに渡して言った。


「今から手本を見せる。コレは理想に近いから、よく見ておくように。――上、脱いで。シャツまで。当てられるだけ当てなさい」


 指名されたグレイは、片手で制服を脱ぐ。隣のテーブルへ乱雑に置かれたジャケットやベストは、衣服から聴こえない音を立てていた。


 ――ああ。気付いてしまえば、こんな音さえ理解出来る。


 何か仕込んでいるのだろう。知ってしまった事実は違和感に答えを与える。ルークは心の重量が増すのを感じ続けるしかなかった。


「コレは筋肉が付きにくい。だが、鍛錬で幾らでも理想に近付ける。姿勢を見習って」

「弾数設定は?」

「重くしてもいいよ?」

「……“7”で」


 的に撃ち込む姿はしなやかだ。筋力だけで補っていない、彼がその目で見た経験が生きている。静動ともに“7”で終えて見せれば、候補生から拍手が上がった。


「いいね。お見事!」

「この人は弾数設定“3”でも全弾当てますよ」

「余計な事言わなくていいんだよ! コレは理想ね。すごく練習すれば、皆もこうなれます。じゃあ次、ルーク」

「俺もですか?」

「うん。彼は君らより一年だけ先輩だけど、秀でて腕が良い。高い目標として、狙ってみて」


 気恥ずかしくなりながらも、グレイと同じように制服を脱ぐ。そしてそれを、ルークは隣へ戻って来たグレイに預けた。

 警察の象徴を受け取ったグレイが僅かに目を見開いた事に気付いたルークは、視線だけでグレイを窺う。その動作に応えるように、グレイは呟いた。


「軽いな。驚いた」

「お前のが重すぎるんだ。何を入れたらそうなるんだよ」

「色々、だよ」


 微笑に含まれたのは、非道の群れだろう。彼の根底に溜まった色々を察してしまった憂いを掻き消すように、ルークは的へ引き金を引いた。



 

「グレイ、俺も行く」


 足早に射撃場を立ち去ろうとするグレイにルークは声を掛ける。そう言えば足を止めてくれると分かっていた。


「君はさ」


 彼が意識して一線を引いている事も、ルークは理解していた。何でもないように声を整えて、ルークは答える。

 

「ん? うん」

「もう、僕の事を多く知っているだろう」


 最適解を瞬間で答える事が出来ないのは、彼の欠片しか見えていないように感じるからだ。

 全てを知りたい。知識欲の支配下に堕ちて、相手を壊してはいけない。君の全てを知りたくない。渇望した解を得て、君に課された悲劇を鑑賞したままで居たくない。そんな欲が腹の底では渦巻いていた。


 二人の間に流れるのは沈黙。世界では銃声が鳴り響く。模擬演習は続いていて、会話を盗み聞く距離に人は居ない。


 返答を待っていた筈のグレイは、制服の裾を通って腰へ備えた銃を持つ。手元へ目線を落とし、気怠げに弾数の操作をして見せていた。


「……此処で君を撃っても、そこまで目立たないと思わない?」

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