#05 Clowns don't pray to God.

001


 燻るような雨雲と灰色街の中間。時計塔からRAINを眺める依頼人が、グレイへ背を向けたままに言う。

 

「バレたんだって?」

「……申し訳ありません」


 背中へ組んだ手を動かすのも忍びないほど、重い空気が作られていた。左右均等に重心を取ったグレイは、微動だにせず謝罪を述べる。どう足掻こうと、これはグレイの失態なのだ。

 誤魔化さずに認めたのは、彼が“グレイ・アシュリー”に焦点を当てて調べていたのを知っていたからだ。ルークが瞳に捉えるのは、Kie shadeという組織でも、白煙という存在でも無い。陰や駒でも無い、グレイ個人を彼は見ていた。正義感から“雨隠し”について辿り着いても、彼はきっと何も出来ない。

 それを依頼人も理解しているのだろう。だからこそ、介入して来なかった。

 

「いいけど。俺は彼に隠す気、そんなに無かったし。まぁでも、仕組まれたように俺が見ていない場面だったね?」


 それが謀られた事とでも言うような台詞回しに、グレイは裏を感じ取る。


 ――すべて、想定通りの展開か?


 決まった台詞を与えられていないグレイが、それでも彼の予定通りに動いているとしたら。それは、グレイの身体や思考に染み付いた“駒”としての役柄ゆえだ。無意識の内に駒として動いているのか、全容を依頼人が見極めているのか。

 ルークがグレイまで辿り着いた事も、依頼人の道筋が在れば可能だろう。サポートが後ろに居るなら、彼は一層頭が切れる。普段、グレイとルークの後ろにアレックスが居るように。


 外を眺めていた依頼人が身軽に振り返る。漂う空気の重さに反して、その顔は笑顔を貼り付けていた。


「彼、勧誘していいかい?」

「……答えていいんですか」

「いいよ。君の意見を聞くだけ聞いてあげる」

「やめてください」


 反射のようにこぼれた言葉を聞いた依頼人は、細めていた目を開いて再度弧を描かせる。


「即答! 随分と自我が出て来たね。そんなに嫌なんだ?」

「嫌と言うか。アレは、すぐ死にます。利用価値が無い」

「君は、すぐ死なないもんね。説得力がある。でもお前の理由はそれだけじゃないだろう」


 殺人の容疑でルークが逮捕された際も、グレイは『ルークには無理だろう』と即座に判別していた。

 理由がそれだけじゃない、と依頼人に指摘されてもグレイには思い当たる節が無い。

 

 ――陰にしたって、確実に死ぬだけだ。駒として生きるアレを、想像できない。

 

「……それだけですが」

「違うな。まぁ、俺がこういうと“お前の答え”になってしまうようでアレだけど、俺の確信は揺るがないだろうから口に出そうか。――彼を、登場人物にしたくない。そうだろう?」


 違う。と、グレイは即答する事が出来なかった。

 依頼人に告げられた答えは、常に白煙の答えとイコールで結ばれる。それは確定事項。そこにグレイの意志は含まれていない。彼が言う揺るがない確信は、この世界における決定事項。これはグレイの中で決まっているルールだ。


 だがこれは、グレイの答えなのだろう。心の深く、ずしりと重く沈んだこの解が、本心という塊なのかもしれないとグレイは感じた。

 黙るグレイを放って、依頼人は台詞を続ける。


「俺もピエロにすぎない。役を得て、演出を楽しんでいるんだ」


 両手を広げた依頼人の影がグレイへ向かって伸び進む。雲の隙間から覗いた太陽が、薄明光線を地上へ注いでいた。逆光がひどく煩わしく感じて、グレイは依頼人から目を逸らす。距離を詰めた依頼人に顎先を持ち上げられたグレイは、彼と改めて目を合わせる事となった。


「誰しもがそういう役回りなんだ。彼だって、ルークを演じているんだよ。彼はしかも、Val姓の肩書まで持っている」

「何が言いたいんです」

「忘れたのかい? 彼は選ばれた人間で、君よりずっと、賢いんだ」


 ――――――――


 ルークは夢を見た。水面から顔を出すように吸った息は、心臓を加速させる。外から聴こえる雨の音や皴になった白いシーツの色でさえルークへ現実を知らせていた。

 それは恐ろしい夢だった。心は擦り切れ、どうしようもなく死が近い状況へ落とされ続ける。追い詰められたような、そんな夢の中で。


 ――死を決断していた。


 目が醒めた時ルークは『夢で良かった』と心の底から安堵を感じ、もう一度眠りへ落ちる気にはなれなかった。例え夢でも、死を覚悟し受け入れた事実を忘れたいとさえ願った。

 朧げながらも瞼を降ろさない微睡の中で、ルークは思う。


 ――グレイは、これを悪夢と呼ばないかもしれない。


『明日に何かを求めて、何になる? 明日生きている保障も無いのに』

 

 湖に降る雨を見つめたあの日、グレイの考えに触れた事を思い出す。

 あれは本心なのだろう。彼はきっと、生と死の境界を常に見ている。


 ――怖くて動けない、なんて。


 何もしないを選択する事が恐ろしかった。自分を奮い立たせて、挑む事が好きだ。そんな事よりも、後で後悔する自分を嫌いになりたくなかった。


 ――後悔を知ってしまったら、その先は?


 気付いた時には、遅かった。

 知る必要の無い事実が隠されている事も、甘い煙が蔓延したこの国自体も、彼が人を殺めてる日常に気付かなかった自分も。


 ――グレイへ、理想を押し付けている事も。


 望んだ理想を鏡のように反射させるグレイは、自分を持っていないのと同じだ。雨雲の色をしたグレイは、曖昧に自分をぼかして他人を演じるのだろう。



 端末の通知が光る。一日が始まる音だった。

 鉛のように重いのは身体ではなく、感情の所為だとルークは知っている。『行きたくない』なんて出勤拒否の衝動は、この感情を持て余しているからだ。


 英雄を怪物だと罵るのは、俺の役目になるだろう。

 仕組みの断罪の先には、崩壊が待っているのだろう。

 夢物語だと聞き入れられず、闇に葬られるとしたら。


 ――俺を殺すのは、きっと。


 朝が来なければと願っても、神はそれを叶えない。

 

『おはよう! 悪いんだけど、出勤ついでにグレイを見かけたら連れてきてくれる?』

『無理なら、放置で!』


 視界の端に映ったメッセージは、理想の願い事。アレックスからの連絡は、今のルークに突き刺さる。


「あー……、もう」


 彼を放って置く事は出来ない。それだけは、ルークの選択肢に無かった。

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