009


 街灯が明滅を繰り返す。定期的に置かれた灯の隙間で、ひとつが消えてしまえば暗闇は増す。接触不良を起こした不規則な光でも、掴み上げたグレイの表情は確認できる。月明かりは頼れない程の雨だった。


 回答を寄越さないグレイは、肯定の意思と取れるだろう。沈黙のままルークを見つめた瞳が、何を見ているのかルークには分からない。

 捧げられた物語の主人公がグレイではない事を、祈っていた。


「……暗く紫、静かに忍び寄る白煙」


 “白煙”と呼ばれる存在が、この世界の均衡を保つ鍵になる。

 暗闇の中で静かに忍んだ“得体の知れない何か”が、RAINという国そのものを傘のように守っているらしい。まるで、世界を調整するように。


『それを君は、怪物と呼ぶか、英雄と呼ぶか――。どう思う?』


 オーガストに問われた答えを、ルークは探し続けている。

 英雄は誇り高く、崇められるべきだろう。栄光に近い行為は、崇拝される。警察官の仕事としての名誉を越えて、革命を果たした英雄や常人では成せない功績は讃えられて星のように輝く。


 だが、これは雨隠しも代償に加えられている。

 平和を、人間を生贄にして買っているようなものだ。


 これが、オーガストの話を聞いてルークが導き出した答えであり、老紳士の信頼を不快と嫌悪で固めた理由になった。

 


「鍵は陰が持つ、だろ。待ち合わせの合言葉」


 与えられたのは“彼ら”の待ち合わせに介入する手段と、老紳士が知るお伽噺の続き。


 雨が無ければ民は飢え、草花は枯れ果て、国は世界に見放される。雨雲が無ければ、影は存在しない。平等に与えられた太陽の光だけでは、今のRAINは成り立たない。

 怪物が居なければ、陰が無ければ。この国も、世界も、乾きが消えないだろう。

 雨が足らない、人間が足りない。需要があるから、RAINは求められている。切り売り出来る雨雲が、使い捨てでも良いから欲しい。染まりやすい性質を、陶器のような艶のある外見を、壊れにくく治りやすい素材は、魅力的に映る代物だ。

 

 植え付けられた習性を剥ぎ取って、彼を暴く為に此処へ来た。

 誘拐や死に限りなく近い“雨隠し”は、ルークの中で最悪の解を導き出している。

 

 

「お前の待ち合わせ相手は、俺だろ」


 書き換えられた報告書も、グレイが傘を差す理由も、彼が自由に動ける辻褄合わせなのだろう。

 空箱の中身が無いと知っていて、当たり前に嘘を吐くグレイが悲しい。

 

 ――嘘を、吐くなよ。息をするみたいに、当たり前に嘘を吐くな。


 そんなものは、自分を殺し続けているようなものだ。

 煩い雨が二人へ落ち続ける。ルークにされるがまま、胸倉を掴まれていたグレイは雨に濡れながら口を開いた。


 

「なんだ。やっぱり、知っていたのか」


 驚きも、不意打ちも無いのだろう。たいして表情を変える事も無く、グレイはルークを見て薄く笑った。


 ――ああ、知っていたさ。知っていたとも。


「知りたくなかった」と呟いた声は震える。掴んでいた手の力が少しずつ抜けていく。目の前の彼が「知らなければ良かったのに」と言って、ルークの手を緩めると距離を取って服を正す。

 警察の象徴を着ないグレイは、スーツ姿だった。アンモラル廃特区での彼も、ルークの家で夕飯を食べる彼も、制服の下は常に同じだ。それは街に潜み易い色と形だった。


「これが僕なんだ」


 知る必要が無い事に足を踏み入れてしまった実感が、グレイの肯定でじんわりとルークを蝕む。

 濡れた服をグレイは気にしないだろう。彼にとって、それはあまりにも日常だ。そうである筈にも拘わらず、落とした傘を拾おうと目の前から移動するグレイの姿が、ルークの目には酷く不愉快なものに思えた。


「拾うな」


 あと数センチで傘の柄に触れる。ルークの声に反応したグレイは、伸ばした指先を一瞬止めた後、傘を拾う。


「拾うなって!!」


 声を荒げたルークは、グレイから身体を背けて地面へと言葉を吐く。

 雨が遮られたのを感じて振り返ると、そこには雨に濡れるグレイの姿が在った。


「君が、濡れてしまう」


 差した傘の下に、グレイは居ない。雨から守られたのはルークひとりだけだ。髪先から滴る雫も、深く沁みてしまったスーツも気にする事なく、彼はルークを見ていた。光も、影も宿さない彼の目は真っ直ぐだ。射抜くような鋭さは抑えられ、作られたような弧も描かず、ただじっとルークを雨から守り続ける。

 

 悲しさの上に、切なさが重なるようだった。


「バカじゃねえの」


 弱弱しく呟いたルークはグレイの腕を引っ張り、傘の下へ引き入れる。


「グレイも濡れる必要なんて無い。お前が、傘になる必要なんて無い! 何が調整役だ。怪物なんて比喩、君に似合わない」

「僕は別に、濡れても、濡れなくても良いから」

「濡れるなって言ってんだ!」


 はぁ、と息を吐くのはグレイの隣に立っていれば良くある事だ。

 頭で理解していても、現実味が無い。確かに、グレイは戦闘に秀でている。銃の腕も、反射速度も、誇れるものに間違いない。だが――。


『その正体の核心には、きっと私は触れられない』


 ――人を、殺しているんだよな。


 待ち合わせ場所で合言葉も理解しているという事は、グレイが白煙なのだろう。それでも、相棒を“怪物”と重ねることが出来ない。結局のところ、ルークはグレイを疑い尽くせていないのだ。


「ほんとうに、お前が調整役? ……違うと、言ってくれ」


 言葉に混ざる願望は、認めたくない現実を否定したいだけだった。


「何? 違うよ」

「違う、のか?」


「違わないけど。そう『言って欲しい』って、君が言ったんじゃないか」


 喉元を空気が突き刺した。

 人の祈りに答える英雄を、こんな風に求めたのは誰だ。


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