008
深い夜には静かな雨が降る。街の騒めきは消え去って、雲の向こう側には月が潜む。月影も透けない雨雲の厚みの下で、ルークは核心を待っていた。
『疑い尽くせないんじゃないか?』
突き付けられた言葉は重い。先の手を読めないルークでも次を動かせる程に、盤は整っている。
俯いたルークの足元で、雨粒が地面を濡らしてゆく。点になり得る疑わしさを持っていたルークにとって、オーガストからの御伽噺は繋がって線を結んだ。
耳に慣れる雨音がRAINの全てを覆い、身体の内側で膨らむ疑念が、ルークの頭を侵す。集めた疑いの欠片を合わせても、求める答えは生まれない。
瞳の色が変わりそうな程、心に闇が溜まっている気がして、それを取り払うようにルークは頭を左右に振った。
――何が、お伽噺だ。誰が、怪物だって?
いつか聞いた理想的な英雄は、誰かの怪物像と重なる条件だった。睨んだ夜空は灰が広がる。降りしきる雨を見つめて、ルークは愚かな決意を捨てた。
――ああ。俺は此処に来ても、疑えない。
――信じたい。
消えた証拠を“見て”、背中を辿って。そうして調べ尽くしても確信を得ることが出来ない。
――確信を得るには、導かれた答えを知るには。
最終的に“信じる”という決断をするのは自分自身だ。手本と異なる心の弱い部分を照らされているようだった。
――繋ぎ合わせた所で、答えを、出せない。
――違う。出した答えを、認められないだけだ。
心の嘆きは口に出さない。雨にも、街にも、国にも聞かせない。背後に近付いた誰かにも、届く事はない。
――こんな問答は、意味が無い。
傘に落ちる雨音が二重になって、待ち合わせの相手が現れた事を確信する。柄を握り、静かに目を瞑った。
お伽噺の英雄を、ルークは心待ちにする。憧れと理想を混ぜたような、自分の隣に立つ存在は此処に現れないと願って。
誰かに怪物と称されても、彼は人間に変わりない。同じ年で、同じ孤児。同じ職場で、同じ理想を抱く唯一の相棒は、彼ひとりだけだ。
隣に立った気配を合図にして、決まらない覚悟のままルークは目を開く。
傾けて覗いた傘の外には、待ち合わせの相手が立っていた。
「なに、してんだよ。此処で」
望んでいなかった。傘に落とす雨の音も、乾いた灰色の髪も求めていない。隣に立つのは、今だけは――。
「ルークか。どうした?」
何でもないようにグレイは言った。普段と変わらない瞳が、薄暗い街の光を集めて揺らいだ。
「……待ち合わせか?」
必死に絞り出した声は、震えなかった。握り締めたくなる傘の柄も、掴みたくなる衝動も、何もかも動かさないように。感情と身体に、動揺を封じ込ませる。
「そうだけど。夜深いぞ? 君、明日も仕事だろう」
「それは、グレイもだ」
「うん。君も、誰かを待ってるのか」
「……あぁ」
「そうか。君のところに行くのは、朝になるかと思ったんだけれど」
隣で微笑んだグレイの音が、寂しそうに感じたのは気の所為だろうか。
――そうだ。此処で会わなければ、此処に来なければ。グレイが来るのを待って『なんでもなかった』って笑い飛ばして、夕飯のような朝食を摂って。『疑い尽くしても君を信じ続けられる』って、そうなって欲しいって、思っていたのに。
勝手に抱いた理想を『叶えられないから』と、不満にして押し付けるのは滑稽だ。期待したのは自らの責、足を踏み入れたのも自分の意志だった。
ルークは逃げ出そうとも思えない。固めた筋肉と皮膚の外側で、普通を演じていられなかった。どうにか押し込めようとしたのは、体の中で滾る理不尽の塊だ。
「なぁ、なんで」
「ん?」
「なんで、傘差してんだよ」
吐き出した声は震えていて、息を出来ているかさえ解らない。都合の良いように彼を見ていた自分を知って、汚い感情が逆流する勢いで押し寄せる。自分の血肉さえ、理想通りに動かせそうにない。
強まる雨音は、ルークの耳にも届く。この国に降り続ける雨なんて、当たり前に寄り添っていた筈なのに、どうしてこんなにも煩く喚くのだろう。
「雨、降ってるから」
その一言を聞いた瞬間、ルークは熱に頭を奪われる。
「――ッ! いつも差してねぇだろ!!」
「声デカ、夜中だぞ」
気付けば、グレイの胸倉を掴み上げていて、情けない程に両手は震えていた。力を込めすぎている事は理解していても、ルークはこの感情の名前が判らない。
抵抗しない先輩を初めて見た時と重ねてしまう。
――あの時も、俺は傍観者だった。
勢いを増したのは雨も同じだ。ざあざあと煩い雨が、ふたりに落ちる。身体を濡らす冷たさも、グレイの頬に跳ねる雨粒も、ルークは気にも留めずに吐き続けた。
「こういう時だけ、傘差してんのか。それとも、傘差してれば
確信を投げても、グレイはただルークを見上げるだけだった。
掴んだ襟を離せないのは、合言葉との照合を終えていないからだ。
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