006
昼の仕事を終えたグレイは、依頼人の前に陰として立っていた。後ろで手を組み、大人しく従っているグレイを満足そうに見た依頼人は、真暗な雨を背景にグレイへ問う。
「筋書き通りの方が、楽なんだろう」
灯らない照明が部屋に闇を
指摘のような問いは、グレイを表すのに相応しい。ただ、彼にはこの選択しか許されていなかったのだ。
「それは、そうですが、条件ですので」
「うん。この件で、君に台詞を与えない。個人的な事案だろ? 嘘で固めた筋書きを、俺が指定してやる理由が無い。君はそれに納得して、
グレイは、ルークを解放させる為に依頼人と取引を行った。取引と言っても、願い事の範疇だ。シンプルな“願い”を彼に叶えて貰うと同時に、依頼人への
「はい。彼の拘束は、保険の意味合いが大きかったでしょう。――白煙の為に」
「事実。動きを制限させたら、警視庁事件録の不快なアクセスは消えたからね。あのタイミングで彼を捕まえるのは必然だ。変装しているとはいえ、あの瞬間お前は意識を飛ばしていたし、不必要な目撃者は現場から遠ざけるべきだと判断した」
「おっしゃる通りです」
白煙が一度死んだ現場には、ルークの姿が在った。被害者に駆け寄るであろうルークの動きを推測し、依頼人は物語を導く。
“死んでいた”グレイは、知る事が出来なかった事実だ。
――意識さえ保てていれば、ルークが拘束される必要は無かった。
依頼人の話だけを本筋として見るなら、そういう事だろう。ただ、グレイは他にも道が在ると確信していた。
試されていると感じるのは常だ。陰として使われ、白煙として生きているだけでグレイは常に値踏みされている。どんな選択を取ろうと、依頼人の手の中には変わりない。
『グレイがそう選択するように』
身体に絡まる糸を動かしているのは、依頼人だ。それがグレイの心に深く刻み込まれている事実。
他の物語に関して、グレイがすべて把握している必要は無い。
「覚えておくと良い。彼は、君よりずっと賢い」
淡々と告げる依頼人の言葉は、グレイの内側へ緩やかに沁みていく。
彼が自分よりも賢いという事を、グレイは知っていた。教えた事への吸収速度、どの現場でも臨機応変にグレイへ追い付こうとする貪欲さ。何よりあの正義感の強さこそ、警察官になるべく生まれたような男だ。
――あれで、自分自身で決断して動いていると言うんだから、僕より賢いのは当然だろう。
無言で反応しないグレイへ、依頼人は続けて吐き捨てる。
「お前は鍛えてるから、それ相応に見えるだけ。俺の手が掛かってる事に気付いたのも、協力者あっての事だろう。それじゃ、いつまで経っても代理だ。……わかってんの?」
か細くも下から擦り上げるような語尾が、依頼人の苛立ちを含んでいた。
ニコッと笑った依頼人の顔が、グレイの心へ怯えを促す。この男に対する恐怖の感情が、身体の奥底に渦巻くようだった。捨ててしまった感情は、グレイにとって必要の無い持ち物だ。今となっては、もうグレイの心を震わせることはないけれど、燻るような雑念は
グレイは覚悟の面持ちで待機する。返答は求められていない。
「王に並ぼうとせず、超えようとしてくれ。白煙」
突き付けられた言葉は、白煙としての自覚を求められている。
「胸に、刻みます」
「うん。そうして」
絞り出した声は、もう震えない。
グレイは自らが存在する意味を、心臓に突き立てた。
――――――――
「これはゲームだよ」
オーガスト邸から六班へ戻ったルークは、アレックスと盤を挟んで駒を並べる。
――何か、滲み出ていたのかもしれない。
『おかえり』の声に反応したルークがアレックスを見た次の瞬間には、チェスへと誘導されていた。
初めにアレックスを誘った時より、ルークは上達しただろう。動かす駒は軽やかで、ルークの心情を逆さに映すようだ。
レコードの流れない沈黙の中、じっとアレックスがルークを見つめていた。
見透かされると思う程に真っ直ぐな瞳は、ルークを困らせる。適当に持ち上げられた駒を、アレックスは大切そうに掌に乗せて呟いた。
「君の名前と同じ駒。でも、この駒と君自身がイコールで結ばれないように、チェスが上手くなったからって人を動かせるようになるわけじゃないよ」
誰かの指示に従っているのは、窮屈と引き換えに成長を手に入れる。誰かの知恵を利用して、確実に正解を吸収できる最も効率的な方法だ。
ルークにとって、その行為は楽であり、成長への近道だった。誰かを動かすよりも、自分を動かす方がよっぽど簡単だ。
だが、今のままでは足りないと、ルークは手を伸ばす。目先だけでなく、全体を。自分だけでなく、誰かにも目を配れるように。
「……わかってます。でも、アルさんは得意でしょう。そういうの。全体を見て、俺やグレイを動かす事も」
「俺は仕方なく、だよ。最前線に出て、捜査で夜を明かしたり、護衛として人の壁になったり……もう歳だしね! 君たちを動かすプレイヤーのように感じるかもしれないけど、そんなんじゃないよ。せいぜい、ルークやグレイの後方支援ってとこかな!」
「目先の駒に気を取られて、キングを取られるのであればゲームには負けます。俺も、もっと視野を広げたいと思ったんです」
「うん」
頷いたアレックスは他に何も言わない。ただ優しく、待ってくれているのだとルークは理解した。
「俺も、アルさんのように一歩引いた目線を持ち合わせたい。そうすれば、俺たちはもっと上手くやれます」
「うん。――無理してないなら、好きにやってみるといい。でも、俺は君たちに頼って貰えるの、好きなんだけどね」
「ありがとうございます。誰だって、アルさんを頼ってるじゃないですか。俺らだけじゃなく、ギルバート刑事とか……」
「あー! アイツほど、面倒臭い人間はいないね! ……気を遣う。ずっと背中を見られているからね。でも、その視線が俺を律するし、逆に俺がアイツを見ていられるんだけど。面倒な男だなぁ、って会う度に思ってるよ。そのくらいの方が、手を掛けやすいんだけどね」
部署を越えた信頼関係は、ルークが知らない時間に築かれた代物だ。アレックスの背中を見て育った人間は少なくないだろう。
もし、頼もしい上司に『夢物語』だと笑い飛ばされたら。ルークならアレックスを信じてしまう。それくらい彼は頼りがいがあり、信頼を預けられる存在だ。
そんな彼を疑い尽くすギルバート刑事の視線すら、自らを律する力に変えて『面倒臭い』と言いながらも傍に置く。
――本当に、尊敬する。
ルークがそう思うのは、アレックスだけでなくギルバートに向けてもだ。
調べる程に疑いの芽は育っていく。まるで雨を与えられたように。
だが、グレイを『信じている』と断言できなくなっている自分と、ルークは今夜決別できる筈なのだ。
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