004



 雨音がルークの耳に入ると共に、手に持つ傘が重くなったようだった。


 ――強くなってきたか?


 グレイから視線を外して、地面に跳ねる雨粒を量る。足元に落ちる粒は、先程と大した差は見られない。

 翳った雨雲が厚みを増したのか。そんな事をルークが考えている隙に、グレイが口を開いた。

 

「僕と病院に行ったのは覚えてる?」


 人影は遠く、雨が周囲と二人を隔てる。通行人が居ないのを見計らって、グレイは話しているのだろう。疑問符が語尾を上げる。雨の音に掻き消されなくても、聞こえる距離は傘のおかげだ。

 

「勿論。君が、殴られた時の事だろ」

「うん。刑事部の代わりにね。君には言ったと思ったんだけど、言ってなかった?」

「何を」


 病院での記憶に深く刻み込まれているのは、あの暗い廊下。グレイが殴られて、何も出来なかった自分の不甲斐なさ。最初に感じたあの地獄を、ルークは今でも思い出せる。

 それ以外に、グレイが『言った』何かを探して、ルークは記憶を駆け回っていた。


 探し出すよりも、グレイが答えを提示する方が早い。


「囮捜査に失敗した、って。言ったよね?」

「あ……」


 ――そうだ。あの後、中庭で。


 確かに聞いた、と記憶のピースがはまる。あの瞬間、グレイに憤りをぶつけたのも一瞬。その後、グレイを追いかけたり、港へ向かったりで頭から抜け落ちてしまっていた。


「港で助けたあの子も、囮になる予定だったと思う。あの時、本気で女の子を助けようとしたのは、――君だけだったから」


 ふっと細められたグレイの瞳に、暗さが混じる。傘の陰も、雨雲の厚さも、光を奪う程のものではない。

 変に突き放すような物言いを、ルークは許さなかった。


「……グレイもだろ」

「……まぁ、そうだね? そういう事もあるから、報告書は書き換える時もあるんじゃないか?」


 納得とは別の感情がルークの中に渦巻く。あの一件は、バイクの破損や予定外の動きが多く、刑事部からも続けて関わらないよう指示があった筈だ。だとしても、ルークは囮捜査の事実を知っていたにも拘わらず、それを黙認していた自分に嫌悪感を抱く。

 記憶から抜け落ちていたとしても、まるで自分の中で都合の良いように解釈したようで。違和感を得るべきところで、疑問を維持せず受け流したようで。自然にそれを放置した自分自身に、ルークは恐れを感じていた。



 グレイの問いを返さずにいたルークは、ひとつの疑問が浮かぶ。


「思い出した。グレイ、きみ……、ギルバート刑事に『囮捜査だと思わなかった』って言ってなかったか?」

「うん? 言ったよ」

「囮だって、わかってたのか?」

「わかってたよ」


 涼やかに微笑むグレイの心が遠くにいるような。そんな錯覚を覚える程、当たり前に彼は笑う。

 

 

「さっき、雨隠しについて聞いてきたけど」


 ドキリと心臓が大きく脈を打つ。グレイの伏せた睫毛が、瞳に陰を落とすのを見た。

 

「誰かに殺された、囮に使われた、バラバラにされた。理由を知ると怒り悲しむ。けれど、知らない場合はをする。それがRAINの国民性。『仕方ない』は呪いの言葉だ。『雨隠し』は人を無理矢理に納得させる、理由のフリをした空箱だ」


 語るように、諭すように。『特に思う事が無い』と言ったのも嘘だったかのように、グレイは静かに言葉を繋げる。

 意図的に作り上げられた国民性を、呪いと称した鎖を、彼が自分よりも理解している事にルークは驚いた。同時に得たのは、心が軽くなるような安堵と、そこまで心に抱いていて何もしていないグレイへの疑念。形無い伝統を『空箱』と言語化したグレイに、ルークは嫌な浮遊感を得たようだった。


 

「……グレイ、お前」


 ルークが言葉を選ぶ間に、グレイは微笑む。

 

「こういう答えを、君は求めてたか?」


 ふわりと溢した笑みは、優しさが混じった柔らかいものだった。ルークへと細められた瞳は弧を描く。自分へと向けられた表情は、冷たさの欠片も無い。それでもルークは何故か冷えを感じていた。


 ――求めてた? 俺が?


 もうひと呼吸もすれば、ルークはグレイへ疑問をぶつけられただろう。

 それが叶わなかったのは、遠くから二人に声を掛けた一般市民に対して、グレイが警察官の顔を見せたからだ。

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