002
ルークが無機質な部屋に連行されてから、長い時間が経っていた。
視界に入るのは、コンクリート色の壁と床。この部屋の入口だったドアは、内側からは壁に見える仕様なのだろう。他には、机と椅子。二脚ある椅子のひとつに腰掛けても、もうひとつの空席が埋まる事は無い。
捕まって以降、この部屋に放置されたルークは、時計も無いこの空間でただ時間を消費していた。
――あれから、どのくらい経った? 取り調べもされないんじゃ、弁明も出来ない。
机に伏せても、固まった身体を縮めるだけだ。
訳も分からず拘束され、ルーク自身にも思い当たる節が無い。絞り出すとすれば、過去の事件にアクセスした事くらいだが、それは調べ物の範疇だろう。閲覧は六班の権限で付与されているし、ルークは書き換えてもいない。
――他には、『雨隠しの件で』とか?
疑念は抱き続けている。だが、それだけだ。心に留めた思想は、自由の範囲内だろう。
刑事部は『雨隠し根絶』を信念に捜査をしても、戯言扱いだ。勿論、誘拐や他の事件も担当している彼らは『雨隠し』に特化している訳ではないが、こうして捕らえられる事は
共有した相手は、限られる。ギルバートを除けば、ルークはオーガストに共有をした。だがそれも、疑問を口にしただけだ。それで逮捕状が出るなら、この国は全国民を監視下に置いている事になる。
――たった一言さえ、常に誰かに聞かれているなんて。国民全員を把握する、なんて。……不可能だ。
『雨隠し』について、疑問を抱いている者はきっと他にも居る。そして、真相を知っている者も居る筈だ、とルークは思考を巡らせていた。
カチャリ ――
存在しないドアの施錠が開いたような音に、ルークは飛び起きる。電子ロックを解除するような「PPP」という機械音が続き、灰色だった壁に白いドアが現れた。
曇り硝子に似せたドアが開かれると、そこには久し振りに見る相棒の姿が在った。
「や、ルーク。捕まったんだって?」
「グレイ……。どうして」
「どうして、って。君の冤罪証明の他にあるか?」
彼が此処に居るという事は、陛下の護衛が終わったという事だ。ルークはグレイ不在が一週間の予定を思い返し、この部屋で数日過ごした事を察した。
向かいの椅子に座ったグレイは、ルークに警察手帳を差し出す。目の前に置かれたそれは、拘束時に回収された物だ。セキュリティカードも備える身分証明は、ルークの解放を意味しているのだろう。
「――いや、それより。その怪我、何?」
目の前に現れた相棒は、左腕を吊っていた。骨折特有の不自由さと、首元に忍ぶ包帯から彼の異常は見て取れる。
この数日、自分が置かれていた状況の解決よりも、ルークは目の前のグレイの姿に驚いていた。
「え? あぁ、まぁ気にしないで。それより、君を助けに来たんだから」
「おい!」
グレイは回答もせず、ルークの腕を持ち上げるように席を立たせ、「散々だったね、僕が居ない
歩みを促されたルークは「それはもういい! ありがとう助かった、それよりだ!」と、閉じ込められていた部屋を出られたにも拘わらず、声を張り上げてグレイを止めた。
「何があった、その怪我は」
「気にするなと言っただろう」
「気になるだろう!? どうしたんだよ、それ。……というか、いつの怪我だよ? 君、治癒力高いよな? 包帯巻いたところなんて、見た事ないんだが」
「僕だって、怪我くらいするよ」
――言わない気だな。
ひた隠すように怪我の理由を答えないグレイに、ルークは再度問う。
「何があったんだよ、陛下の警備についてたんだろ」
しつこいと思われようと、この男は聞かないと答えない男だ。ルークはグレイをそう解釈していた。
少し黙ったグレイを、急かす様にじっと見る。瞳に映したグレイを、本人が確認できる程に距離を詰めれば、グレイは視線を逸らして口を開く。
「……転んだ。それだけだ。今日明日には治るから、気にしないでくれ」
「転んだあ? 君がか?」
「悪い?」
「悪いっていうか、想像がつかないっていうか?」
「僕はつくけどね。君が転んでるところ」
「俺は転んでねぇよ。……にしても、派手にやったな。痛いんじゃねえの」
「痛いよ。痛くても、君のところに来たんだ」
微笑んだグレイの表情は、国民を助ける警察官の顔だ。こんな風に笑うのを、たまに隣で見る事がある。
「俺はそれ、嬉しくないからな」
国民を助ける警察官は立派だ。ルークの理想に限りなく近い、警察官の鑑と言える。
だが、それは国民に対して行う正義感。自分ではない、誰かへ向ける為の笑み。
グレイが自分の為に何かを犠牲にするくらいなら、ルークはこの部屋で捕まっていたって構わないのだ。
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