012
自販機の音が鈍く揺れる。視界の揺れは、ルークの気の所為だ。足は震える事も無く、地に着いている。
「アルさん、ですか? なんで……」
「あの人は、雨隠しに肯定的なんだよ。俺が幾ら訴えても『姿を消した者が幸せじゃない証拠も無い』って、子供の夢物語を聞くみたいに笑う。まぁ、そんな人間が大半だがな。きっと皆、何処か
でもアレックスさんが
温厚なアレックスが『仕方ない』と笑っているのを、ルークは容易に想像できた。どちらも立証できない事象なら、ルークとギルバートの違和感も仮説でしかないのだ。
――グレイは、どうだろう。
国民の大多数が信じる伝説と、ルークが憶測で作った仮説なら。
頭に浮かべた疑問を解決する事は難しい。相手はグレイだ。アレックスのように笑うかもしれないし、ルークに賛同するかもしれない。
沈黙の後、ギルバートはハッキリと言葉を発す。
「――何も、疑うような事は無かった」
はぁ、とギルバートは息を吐いた。
「じゃあアルさんは『信じられる人』って事ですか?」
ルークの声に明るさが滲む。
すると、ギルバートは目尻を下げて、悲しそうに笑う。
「俺はな、疑う癖がついちまってる。お前は、人を信じすぎる節があるって言われないか? ……言っただろ。『証拠は残らない』って。何も出なかった事すら、俺は疑ってたんだ。アレックスさんを敵に回したくないから、あの人を疑い続けてた」
「じゃあ、」
――疑いは晴れないじゃないですか。
ルークが続けようとした言葉を、ギルバートは遮った。
「だが、何も無かった事は間違いない。結局疑っちまうなら、自分が『信じたい』人を信じる方が良いと思わないか?」
「信じたい人を信じる、ですか」
「怪しい奴なんて、腐る程いる。雨隠しって伝統に楯突いてる俺らだって、怪しさの塊だ。結局何も分からないなら、俺らは害虫ですらない。
――お前にこれを教えてやったのは、俺の信じたい人が可愛がってる部下だから。以上、納得できる理由だろ?」
――――――――
空を見上げても、真っ直ぐ太陽に貫かれない暗さが性に合う。RAINの地に足を下ろしたグレイは、自らに変装を施し別人に扮していた。
今、RAINにグレイ・アシュリーが存在すると辻褄が合わない。白煙に化けた陰を置いて来たからには、こちらでグレイとして動く訳にはいかないのだ。
それとは別に、もうひとつ。他人として生きるのには理由が在る。
見上げていたのは、太陽を遮る雨雲ではなく、自らに当たる雨だ。
“ザーザー”と振り続ける雨は、少し強めと言えるだろう。一定量が降り注ぐのは日常。それでもグレイが雨を気にせずにはいられないのは、
――身体に落ちる雨は、こんなに煩わしいものだったろうか。
肌に落ちた雨粒が、身体を濡らすひと粒が、グレイの感覚を犯していく。
幾分にも鋭く磨がれた感覚が、鬱陶しい。それどころか、グレイの身体に
背中に垂れた水分は、雨じゃない。汗が背骨の上を落ちてゆく。
身体が作り替えられたみたいに、痛みを訴える。粒となる程の冷や汗は、自分の物とは思えない。
――任務中だ。意識を変えなければ。
酸素を吸う肺すら、震えているのだろうか。心臓と共鳴するように、身体が生を叫ぶ。
――落ち着け。痛みは無い筈だ。
――遠い所へ、追いやれば良い。
――持っている必要が無い荷物は、捨てるべきだ。
言い聞かせるように、グレイは自己暗示をかける。呑み込んだ息と纏めて、感覚を消化させようとしても、それが消える事は無い。
人が当たり前に持つ“消える筈の無い感覚”を、零に近く鈍らせたのはグレイ自身だった。
痛みや苦しみに溺れていた頃、彼が身に付けた処世術。幼い子供が起こした偶然の産物は、只の実験台だった彼が拾われる理由になり、白煙として生きる道を拓いた要因となったのだ。
街へ移動したグレイは、人々が行き交う道の途中で立ち止まり、路地の影に潜む。
傘を差していれば、雨粒が刺さる事は無い。外側の風貌が変わっていても、中身はグレイだ。無意識下で行う
《思ってたより、普通だね。本当に痛いのか?》
残念そうな声は依頼人。長髪に隠れた耳で、ピアスは光っている。
「片腕は折れてるらしいので」
《
命令でなければ、グレイが『痛い』と報告する事は無いに等しい。それを先読みしたであろう依頼人は、グレイの答えを断定していた。
「……はい。久しぶりに」
引き摺られるような怠さがグレイの身体を蝕む。『やりすぎた』なんて申告した医師は、狙って施術したのだろう。彼より優秀な医師は、この世に存在しない。
《いいね。存分に痛みを味わってくれ。アドリブよりは良くなるだろう》
「わかりました」
だが、この身体が重要なのだ。故に、白煙はRAINへ戻された。
《うん。じゃあ、始めようか》
依頼人の声を合図に、グレイは街中へ姿を現す。後ろで緩く結んだ長髪は、対象の特徴だ。きっと本物は、Kie shadeによって匿われているのだろう。
少し離れた場所から走るのは、騒がしい男達。叫ぶ名前は、外側の男の名だ。人混みを掻き分けて注目を集める様は、課題をクリアしていると言える。
それが狙いだ。此処に居る人間の、記憶に残る必要がある。これは、そういう任務だ。
《走れ。足に一発》
男達に怯えるようにグレイは後退りをすると、依頼人からの指示通りに走り出す。傘をぶつけながら人を掻き分けるグレイの後ろで、怒声が響く。それを聞いた街の人間は『何かトラブルでも起きたのか』と、非日常へ意識を取られる。
続く銃声は、一発。
――い゛ッ!!?
太腿に命中した弾丸が、グレイの足を止める。
銃声に反応した街が騒がしい。悲鳴と動揺、パニックが広がるのは一瞬だ。
痛みを与えられたグレイは、素直に痛みを受け入れた。過剰に反応する必要も無く、足を貫いた痛みが全身を強張らせる。喉に溜まった空気が、勢いを付けて口から零れ出るのは久々だ。撃たれると先に認識させられたグレイの脳は、打たれた瞬間から痛みの信号を身体中に知らせていた。
《倒した白煙の上に乗っていい。心臓は撃つな》
向こうに指示を出している依頼人の声が、グレイにも届く。肩を掴まれ、思い切り地面に倒されたグレイと共に、傘も地面に落下する。
対象者の演技と別に、グレイの身体そのものが空気を求めていた。肩で息をするのも、短い呼吸も、存分に痛みを味わっている故だと言っていい。
熱い痛みは、ドクドクと酷い音を響かせて増えていく。地面に倒された衝撃すら、身体に痛みとして認識される事実を思い出した。
人の視線は集まっている。突き付けられた自動拳銃は、直ぐにでも引き金を引かれるだろう。
《一度死んでくれ、白煙》
騒ぐ周囲より、台詞を吐く目の前の男より、心臓が五月蠅い。
――
グレイが予感めいた“只の事実”を知った時、次の銃声がRAINに響く。
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