011
夜を巡回する警備員が、軽く会釈をしてルークの前を通り過ぎる。廊下に置かれたベンチは、自販機前の休憩スペースだ。自販機の光が眩しく感じるくらい、廊下は薄暗い。
簡素なベンチに座るルークが警備員の背中を眺めると、丁度良く待ち合わせ相手が姿を現した。
「よぉ。あれ、もうひとりは」
二人きりの廊下に、彼の低い声が反響する。ルークが呼び出した相手は、刑事部・ギルバートだ。
配属初日の誘拐事件以降、グレイと組んで面倒事を請ける姿を、彼も見ているのだろう。周囲を確認した彼に、ルークは立ち上がって答える。
「お時間頂き、ありがとうございます。今は、陛下の護衛に就いていて」
「
ギルバートはルークの肩に軽く手を置くと、自販機に近付いて並んだ品々を眺める。初対面で肩を掴まれた衝撃が薄れるくらいには、刑事部の雑用も請けていた。
アレックスの後輩であるギルバートは、以前同じ部署でバディを組んでいたらしい。彼との話題にはアレックスの名がよく挙がる。
「はい。現場には出ないって言いながら、色々と忙しそうにしてます」
「だろうな。――で、聞きたい事って?」
ガタンと音を立てて自販機から選ばれた飲料が落ちる。
「少し、気になる事があって。ギルバート刑事にお話伺えたらなって」
そうルークが伝えると、ベンチに勢い良く座ったギルバートは顔をしかめた。
「なんだよ。事情聴取か?」
「違いますよ!」
間髪入れずに否定したルークを横目に、ギルバートは珈琲缶の蓋を開けながら「なんで俺? アレックスさんは?」と言い、珈琲を一口含んだ。
突然連絡をよこした他部署の新人に、対応してくれる辺りが彼の人柄を表している、とルークは思う。アレックスのように滲み出る優しいオーラを放っているわけではなくても、じろりとルークを見る目の向こうには厳しさと正しさを持っているように感じていた。
ルークはギルバートの隣に座り、廊下の壁に少し背中を預けると、掌を
「アルさんより、刑事部の
……ギルバート刑事は、雨隠しについて何か思う事はありますか?」
――無い、と言われれば、それまでだ。
曖昧な聞き方だ、とルークは自分を笑いたくなる。もし、同じように雨隠しに疑いを抱いているなら、怪しい言い回し。当たり前に受け入れているなら、意味不明な問いだ。
だが、その怪しさを含めても構わないと思えるほど、誘拐と雨隠しには通じる部分が在る。それを取り扱う刑事部が、ギルバートが何も思っていないとは、今のルークには考えづらかった。
少しの時を置いて、ギルバートは呟くように答える。
「へえ。まだ新人なのに、成長速度が速いな」
その言葉を聞いたルークは、瞳に宿す光を微量に増やす。少し目線を上げた瞳に、光が入り込むようだった。
隣に座るギルバートが、続けて言葉を発す。
「思う事、あるよ。刑事部は……、特に俺の班は『雨隠し』の根絶を目指してる」
「根絶、ですか」
「あぁ。国民を『雨隠し』にも『誘拐犯』にも奪われたくないからな」
夜が深くなる頃、わざわざ地下まで休憩に訪れる警察官は少ない。ギルバートが何かを語ってくれる可能性に賭け、ルークはこの場所を選んだ。
当たり前に起こる現象の不可解さを、ルークはギルバートと共有した事でより実感する。
「そのふたつ、奪われる事実は同じですよね。なのに、感覚が違う。自分も、つい先日気付いたんです。この違和感に」
「違和感、ね。まぁ確かに? それでも何の問題も無く、この国は回ってる。気付いた所で『伝統みたいな形無いモノに異議を申し立てても』って何もしない奴だって、少なくない」
「刑事部は、どう区分けしているんですか? 感覚だけで、事件と伝統を分別しているんですか」
事実に違いは無い。だが、確実にRAINの国民は、この現象に慣れている。
ギルバートは、首を振って言う。
「いいや。誘拐と雨隠しじゃ、圧倒的な違いがある」
立ち上がったギルバートは、自販機横のゴミ箱に缶を捨てると、何も持たない手を開いてルークに見せた。
「証拠が残らない。跡形も無く消える。敢えて言うなら、それが証拠だ。実態の見えない何かが、人を消している」
「わからないんですか?」
「わからない、というか何も出て来ない。雨隠しが起きた事に気付くのは、消えてからだ。気付いた時には、もう居ない。――大っぴらに捜査させない辺り、警視庁内部も毒されていると思うけどな」
「……尋ねておいてアレですが。何故、それを私に教えてくださるんですか。警察内部に、協力者が居るとわかっているなら、自分も例外ではないでしょう」
自販機の光を背にして、ギルバートはルークに問う。
「お前、『信じたい』と思う人間は居るか?」
ルークは反射的にグレイを頭に浮かべる。『信じたい』という希望より、『信じている』という事実がより近いだろう。信頼関係を築き上げるのに、ルークはまず己が相手へ信頼を預ける事が多かった。
信じたい。そう思う人間が、ルークの周りには多く居る。孤児院の兄弟たち、親身になってくれるシスター、グレイやアレックスも今はもう大切な存在だ。
――実の親なんかより、よっぽど信じられる。
孤児であるルークは、血の繋がった親の顔を知らない。今のルークを作り上げたのは、間違いなく自分を捨てた血縁者ではないのだ。
空き缶を手放したギルバートは、再びルークの隣に座る。両膝に肘を置き、手を組んで重心を前に置くと、静かな廊下に少しずつ声を響かせた。
「人を疑うのは、労力が要る。相手の仕草ひとつ揚げ足を取るような仕事をしておいて、と思うかもしれないが、人間は何かを信じたい生き物だ。――だから俺は、憧れの先輩を疑い尽くして、調べ上げたことがある。その人を、心の底から信じたい自分自身の為に」
ギルバートは「職権乱用だろ?」と笑う。過去を思い出すように目を細めた彼は、ルークに視線を合わせると真っ直ぐな眼差しを見せる。
「俺が調べ上げたのは、アレックスさんの事だ」
しんとした音が、響いたようだった。
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