008

 

 身体を揺すられて、グレイは目を覚ます。やけに重い身体と、照明を背景に覗き込んだ医師の顔を見て、手術台の上に居る事を思い出した。

 

「お前を連れ歩くなんて、RAINレインの国王も自分が一番可愛いんだな」

「……僕は居るだけでいいと」


 潜水艦内は変わらない明るさだが、朝が来たのだろう。護衛中も『好きにしていい』との事だが、一応医師もグレイを国王の元へ戻す気があるようだ。

 

が足りてねえな。お前が此処に居るって事は、不在になる場所があるだろ」


 幾ら白煙を語る陰を仕立てても、グレイ・アシュリーはこの世にひとりだけ。外見を似せられても、内面まで完全な同一人物の複製には、現状手が届かない。

 

「陛下の護衛と、此処で貴方の診察を受ける事。それが僕の任務です」


 任務を遂行する事が、グレイの役割だ。重い頭を押さえながら起き上がると、グレイの視界には自らの身体に巻かれた包帯が目に映る。


「なんだ、不満か?」

「いいえ。分かりやすくて、良いと思う。国とご自身を天秤にかけたら、『白煙はRAINに置かない』という結果になっただけだ」

「珍しい。お前、物分かり悪いのにな」

「僕でも理解わかる簡単な事ってだけです」


 無意識にグレイは目を伏せるようにして話していた。視界の端で、グレイの頭上に影が伸びる。頭に乗せられた医師の手が、髪を梳くようにグレイに触れた。


「人の心は、結局何かに願いをかける。平和を、安心を、欲を求めて、何かにすがる。神に願いを、星に願いをってな。叶えて貰った事も無いのに、遠いに願うんだよ、人間は」


 他人に責任を預けるほど、恐ろしい事は無いとグレイは思う。誰かに頼る行為は、グレイの選択肢には現れない。

 

「グレイ、俺らはと等しい。Kie shadeの存在が、お前の存在が、世界の均衡を保つ。だがな、は在るようで、無い物だ。――誰も、お前を見ていないよ」


 触れていた髪が重力に引かれるように、医師の手から離れる。

 神や星の如く人の理想を叶えても、彼の存在意義は、白煙として役をこなす事で意味を成す。グレイは、何かを成し続けなければならないのだ。

 

「わかってる」

「なら良い」


 話を終えたかのように、医師はグレイに背を向ける。

 

「ところで」

「ん?」


 彼を引き留めるように、グレイは口を開く。

 

「この、身体中の包帯は何?」

「物分かりが良くなったと思ったのに、何も理解してなかったな。――お前が眠っている間、色々試させて貰った。やり過ぎたらしい、治りが間に合わなかった」

「え? 治りが間に合わないって、今も?」


 この体は、平均的な肉体よりも治癒力が高い。部品ではなく、グレイ自身の身体的進化の結果だ。大抵の怪我は、直ぐに薄まり再生される。


「痛くない?」

「……僕、もあるんですけど」

「そのうち治るだろ。そのまま行け」


 ――身体が重い。鈍いような、引き摺られるような。


 両肘や両膝、関節の箇所にぐるぐると巻かれた包帯が目立つ。首に触れると、首にも巻かれているのが分かった。『左腕、折れてるんじゃないか』とグレイが触って確認していると、医師がその手を掴んで離させる。


「流石に気付くか……」


 その一言を聞いたグレイは、今迄も知らない所で手を加えられてそうだと理解した。


 ――――――――


 警視庁の喫茶店でオーガスト伯爵に呼び出されたルークは、テーブルに映し出されたチェス盤を挟んで座る。


「六班? 君は、警備部じゃないんだろう? 何処の部署だい?」


 ロードを訪ねて来たらしいが、真意は分からない。巡回でも無い、本当に他愛ない時間としてこの席が設けられた。オーガスト伯爵の暇潰しに過ぎない戯れの中、ルークは随分と亡霊に気に入られてしまったようだ。

 

「部署には所属していません。独立した班なので。警視庁内の、雑用係的立ち位置です」

「雑用係? 聞いた事が無いな」

「まぁ、外では『警察です』としか名乗りませんから」

「嫌じゃないのか?」


 ――嫌?


 配属初日こそ驚きはしたが、ルークはそれを簡単に受け入れていた。好き嫌いで仕事を選択していないし、今となっては六班で良かったとさえ感じる程だ。


「……思った事無かったですね。仲間も、頼れる方々ですし」

「それは良い。尊敬出来る者がいれば、理想を追い求めやすいだろうから。――世間話はこれくらいにして、本題に入っていいかい?」


 雑に駒を動かしたオーガストは、テーブルの上で手を組んで微笑んだ。ふっ、と短く息を吐いたルークは、彼に答える。


「その話を出されると思ってました。貴方の言葉は、不可解な点が多い。……考えては、みましたけど」


 途切れるように言葉を繋げたルークに、オーガストは目を細めて「真面目な好青年は、何を考えたんだ?」と笑う。

 彼の思い通りに操られるのは不本意だ。だが、お喋りな老人は、答えを語らない。ルークが自分で探し当てるしかないのだ。


「……当たり前の事を疑問に思うのは、変じゃないですか?」

「変?」

「変でしょう。常識から外れます。人と、意見を違えてしまう」

「意見は個人の持ち物だ。それを語り合い、我々は理解し合う。例えば、君の理想と、私の理想は必ずしも一致しない。それと同じ事だ。君は……、怖いのか?」


 煽る言葉を、彼は好んで使っているのか。敢えて、それを選んでいるのか。この不快感は、オーガストの邸宅でも得た感情だ。

 

 

「私の、理想の人間を話そうか。きっと、君とは異なるだろう」


 ルークが言葉を詰まらせると、眼鏡の位置を整えた彼が先に話し始める。

 

「例えば、それは圧倒的な力を持っている。敵対すれば勝ち目なんて無いと思わせる程に。それは自由自在に身体を動かせて、時間すらも越えたように飛び回る。消えてしまう時は一瞬で、きっと私は目に映す事も出来ない」


 はは、と笑ったオーガストに対し、ルークは彼が並べた理想の条件を頭の中で組み立てる。

 

「それは、私を揶揄からかってます?」

「そう思うのも無理はない。なぁ、どう思う? 人の祈りに答える英雄だと思うか? それとも、お伽噺に出てくる怪物だと思うか?」


「いえ、と言うか」

「なんだ?」


「うちのグレイにも、お会いした事ありました?」



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