006
好物が並べられても、幼い弟妹は瞳を潤ませる。
「もう、あえないの……?」
「うわぁあん」
「おかあさーん! ちび組泣いてるー!」
幼い子供たちは、雨隠しに遭った兄を想い涙を溢す。泣き声が聞こえる幼少組のテーブルで、シスターが涙を拭ってあげていた。
「ほらほら、そんなに泣く必要無いでしょう?」
「だってぇ! 会えないなんてイヤ!」
歳が小さいほど、雨隠しに動揺してしまう。兄が居ない空席は、間違いなく心にも穴を空けている。
寂しい気持ちはあれど、これは“仕方ない”事なのだ。無差別に居なくなる昔ながらの風習のひとつ。ご馳走の日に子供の泣き声が響くのは、此処では恒例行事だった。
「あいつら、お子様だな!」
ルークの隣の席で、少年は頬に食べ物を詰め込んで笑う。幼少組に向けたフォークを、ルークは手で覆うように止めさせる。
「お前だって、この間まで泣いてなかったか?」
「今は泣きませんー! もう
そんな言葉に、ルークは弟の成長を感じていた。「へえ?」と勢い良く頭を撫でてやれば、弟は抵抗しながらも嬉しそうに笑顔を見せる。
――幼い子供であればある程、この世界の“当たり前”を理解していないからだ。
ふと過ぎった自分の心の声に気付いたルークは、手を止める。
何処かに、ヒビが入ったように思えた。それが広がるのは一瞬で、亀裂は深く心に刺さる。
「良い事なんだから、泣かないの。美味しいご飯を食べて、みんなと」
シスターの凛と響くはずの声が、今は遠く篭ったように聴こえる。
「ルーク?」
急に手を止めたルークを、弟が見上げていた。その声に反応して、ルークは平常を装った。
「ほらもう、せっかくだから、もっと食えって――」
自分の言葉に動揺が乗る。
――『変』だと思われてしまう。
感情を押し殺すように、ルークは顔に笑顔を貼り付けた。
当たり前に隠れた違和感のひとつだろう。知らない事を、ひたすらに信じていた。幸せであって、めでたい事だ。泣く必要なんてない。これは、幸福な事なのだから。
――何故、幸せだと言い切れる。
――誰か、知っているのか? 雨隠しにあった者の行方を。居なくなった者が、今何をしているのか。
――俺は、知らない。知らないのに。
子供の方が、慣れが無い。得た感情をそのままに溢れさせた子供たちの心は、人間が持つ“当たり前”の感情に近いのではないか。
次第に矯正されてゆく。されてしまう。
――知らない事を、当然のように信じているのは何故だ。
『植え付けられた習性』
『理想通りの国民』
オーガストの言葉が、頭を巡る。愛しい家族との時間を過ごす笑顔の裏に、恐れの感情がルークの身体中を渦巻いているようだった。
――――――――
海は暗く、波が静かな深い夜。国王が乗る船に潜水艦が横付けされる。甲板からそれを目視したグレイは、潮風が吹く中で階段を降りた。
側面に垂らした梯子を利用して、潜水艦に飛び移ったグレイは、黙って月を見上げる。波を受けて揺れる感覚に、体幹を合わせていると、丸みを帯びた入口が開かれた。
下へ、下へとグレイは降りていく。薄暗い艦内で、カタンと床に足を着け、機械に囲まれた廊下を進む。突き当たりの壁まで歩めば、壁は自動ドアとなってグレイを迎え入れる。
「来たな」
白衣を纏った男が、グレイを見向きもせずに言う。
「お久しぶりです」
「実物はな。そこ上がって」
机に集中した彼が、顔も上げずにグレイへ指示した先は、手術台の上だ。彼にとって、診察台と手術台が同意義なのをグレイは知っていた。
手術台に手を掛けると、冷たい
グレイが横になると、彼は立ち上がって手術台の側に立ち、手繰り寄せた照明でグレイを照らす。
「具合は?」
覗き込んだ視線は、右眼に注がれていた。照明の眩しさを受けて、反射で閉じようとする目を意識して開く。
「問題ない」
「動きが遅れるとか、なんか無いの?」
胸元に挿したペンライトを光らせると、合図も無しにグレイの眼球に直接触り、ライトを当てる。
今はグレイの右眼とはいえ、これは
この右眼をグレイへ嵌め込んだのは、この男なのだから。
これは、いつも通りの診察。
抵抗は無意味だ。
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