004


「チェス?」

「はい。ロード隊長から、アルさんは上手いと聞きました」


 上司のデスク前に立ったルークが詰め寄ると、当の本人はデスクと距離を取るように腰掛けていたチェアを後ろへ滑らせた。

 

「えー。あいつが弱いんじゃないかな?」

「そのロード隊長よりも、自分は下手だと面白がられました」

「はは! 何、悔しいの? 大丈夫だよ、オーガストの大叔父さんには、最初は皆負けてるだろうから」


 おどけるように人差し指を空中でくるくると回して見せたアレックスは、ビシッとルークを指差す。

 悔しいのかと言われれば、そうだった。あの場で“最弱”の扱いを受けた後にアレックスの名が挙がったので、帰って早々にその話題を口にしたのだ。知ったように伯爵の名を出したアレックスに、ルークは問い掛ける。


「お知合いですか?」

「いや、知合いではないよ! オーガスト家は王家の血筋でもあるし、俺が警備部に居た頃何回か会ったくらいかなぁ。今は殆ど隠居状態って聞いたけど、あんま変わってないね」


 ――亡霊、と言ったのは年齢的、実権的意味を含めて言ったのだろうか。

 

 大叔父と呼ばれている事から、先々代の可能性をルークは予想した。

 

「アルさんも、やらされました?」

「うん。一勝一敗かな?」


「やはり、勝った事あるんですね。――こういうのは、繰り返しやれば出来るようになるかと。ちょっと付き合ってください」

「ええ! やだよ! これで負けたら俺弱くなるじゃん!」


 チェスのゲームをダウンロードしようと、端末を取り出した途端にアレックスがわざとらしく声を上げる。

 

「やってもないのに、俺を弱いって断定してますね……」

「だってロードより下手なんだよね? 俺、ロードには負けた事無いよ」


 ルークは『対戦しても負けると思うよ』と言いたげなアレックスの意図を汲む。ならば、と標的を変える事にした。


「グレイとやった事はありますか?」

「あいつは下手だよ。覚える気も無いと思う」


 その答えにルークは妙に納得した。グレイが『覚える気が無い』という事にもだが、今迄自分も覚える気が無かったと腑に落ちたからだ。

 

 名入りのメモには、オーガスト伯爵より『またおいで』との字が綴られていた。紙のメモは、手元に残るのが厄介だ。今度こそ、秘密を抱く必要も無いのに証拠が残る手紙の文化を、面倒に感じてしまう。

 だが、もしまた彼と再戦するなら。偶然にも、周りがチェスを嗜むなら。これを機会に、新しい事に手を出してもいいかもしれないとルークは考えていた。



 それ以外にも、ルークには抱えている言葉がひとつ。


 ――こんな他愛ない話は、グレイに言うべきだろうけど。


 今、彼は居ない。わざわざ言わなくても良い事だ。調べる必要も無い。

 だが、胸の引っ掛かりを仕舞い込む必要も、同じく無いのだ。



 自然にルークは息を呑んでいた。喉が動いたのを感じた後、息を吸って声を発する。



「アルさん、つかぬ事をお聞きしますが」

「何? いいよ、なんでも」


 チェスは断られたが、本気で頼み込んだらアレックスは相手をしてくれるだろう。世間話の流れで、ふざけたようにルークを揶揄った後でも、アレックスは相談しやすい空気作りをしてくれる。常に、親しみやすく頼れる上司で居てくれるのだ。

 そんな彼に、ルークは少し頼る事にした。

 

 

「この国に違和感があるとしたら、なんでしょう」

「……本当に何? 謎かけ? 実家で聞いてきたの?」

「どう思いますか?」


 怪しげに目を細めてルークを見たアレックスへ、何も答えずに聞き返す。すると、アレックスは考える時間も取らずに自らの両手を軽く握って拳を作り、ルークへ選ばせるように片手ずつ持ち上げて言ったのだ。


「そうだな。王道? 捻った方が良い?」

「王道で。本当に思いつかなくて」



 微笑んだアレックスが片方の手を開く。


「それなら、一択だ。ルークも納得する答えをあげよう」


 いつの間に仕込んだのか、手の中には飴玉が隠されていた。

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